親ガチャ

こんにちは

ちょいちょい、Twitterなどで自分が社会的に成功しない/していないのは親の責任であるという考え方をちらほら目にします。
自分の人となりが親次第で決定してしまうというのと、その両親を子どもは選べないことから「親ガチャ」と呼ぶそうですね。実に現代らしい造語だなあと思います。親のスペックに応じて、子どもへの待遇も変わってくるという事です。
例えば、親が裕福ならたくさん習い事をさせてくれる。欲しい物は買ってくれるし、高等な教育を受けることが出来る。習い事の過程で集団生活にも触れるから、協調性やある程度の挫折も学べる。両親が優れていると、こういったアドバンテージが生まれた瞬間からあります。

さて。

僕は習い事というものをこの22年間やってきませんでした。
塾に通ったことは無いし、スイミングスクールも英語教室にも通っていない。両親はある程度漫画は買い与えてくれましたが、それだけです。

というか、僕の両親はそれぞれ中卒と高卒で、共働きであったのですがあまり収入も多いとは言えず、習い事をさせてもらえるほどのお金がなかったと思うんですよね。僕は一人っ子なのですが、小さい時から「うちにはお金がないから、あんたに兄弟作ってやれんかったんよ」と言われていました。僕はそれでいいと思っていたし、親が借金の話をしながら揉めているのもよく見ていました。

それでも塾に行かずに勉強して、両親は寝る間を惜しみ僕のサポートをしてくれ、第一志望の国立大学に入学し、そのお金を出してもらった。あまつさえには大学院に行く費用まで工面してもらっています。
これは親ガチャの何なのでしょうか。僕はSSR、いわゆる大当たりだと思っています。

ここで言いたいことは、「親の収入がなくても、習い事や高等な教育を受けなくても学びたいことを学べるんだぞ」というさもしい自慢に近い内容なのではありません。周りの環境にかかわらず、自分の努力次第で何でもできるという叩き上げ根性の表明の場でもありません。

確かにうちはお金がなかったと思います。でも僕は両親や親戚に助けられて、かわいがられてここまで生きて来たし、家族と一緒に高校や大学に受かった時には喜び合ったし、時には母が泣いて家出をするのも見たし、父が情けなく借金の返済期限を延ばしてくれないかと頭を下げて乞うている姿も見たし、シビアな現実を話しているのも布団の中で涙を流しながら、一人聞いていました。
人間の心の機微を感じ取ることは、普段の生活からできていたと思うのです。これはどれだけお金を積んでも体験できないことで、まさしく教育の範疇を越えたものなのではないかなと思うのです。

親ガチャは確かに、「学歴」「社会的立場」「収入」「容姿」などの立場から見れば僕はそこまで恵まれたものではないかもしれませんが、それ以外の部分、「しつけ」「感情のコントロール」「思い出」という面に目を向けた時、いわゆるプライスレスな部分に目を向けた時、僕は嗚呼なんて恵まれていたのだろう、と感じるわけです。

幸せはお金で買えない、という言葉があります。
それに続けて、お金で回避できる不幸はたくさんあるという人もいます。それはその通り。お金があれば大抵のことは乗り越えていけます。
でも、ここ最近の僕と同年代の子に言いたいのは、「親ガチャ」なんてくだらない責任転嫁を繰り返すと、やがてそれは廻り回って自分の子どもに痛い目にあわされるかもしれないよ、ってことです。

「『親ガチャを外れだ』と言っている人は甘えだ、努力が足りない」と言っている人は(ちなみにこれ、回帰的階層構造という文構造をしています。)、努力すれば上手くいくかもしれないという思想を持っている点で既に恵まれている、という意見を目にしました。
「親ガチャ」が当たりかどうかは、その当事者にしか分からないと。
「親ガチャ」をはずれだと騒いでいる人を批判する人は、既に「親ガチャ」が当たりの人間であると。

そうみれば、僕は当たり側の人間であるのかもしれないです。少なからず努力はある程度形になると思っているし。

僕はまだ22の若造なので、「努力すらできない」「努力しても無駄」なほど追い込まれている人に出会ったことがありません。だから、自分の中の浅い世界で独りよがりな考え方しかできないんでしょうね。弱冠十代にして、世の中の本質を的確に突いてくる人間たちには心から畏敬の念を抱きます。
何なら、薄く揺らめく嫉妬までしてしまいます。
「その周り見通す能力を持ってるの、間違いなく親ガチャ大当たりやん」、
と。

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本日の短歌です。

・助走付け今走り去れ高架橋 永久にさよなら遠ざかる人

・川べりに月光だけが鳴り響く 希死念慮だけをみずに沈めて

・でめきんは全てを食べる 諦念も 水面に映るゆがんだ顔も

長々と読んでくださりありがとうございました。
何か、読んでくださった方々の心に僕の表現のひとかけらでも残ってくれたら、それ以上の幸せはございません。

…………

おわり

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