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「世間」とは何か(講談社現代新書・阿部謹也著)~同調圧力のルーツと世間に背いで貫いた’’恋’’の力と~


前回ご紹介した「同調圧力」。同調圧力とは「世間」という日本古来からの独特の生き方がある、といった記述がありました。で、著者のひとり、佐藤直樹さんが引用されていた阿部謹也著の「世間とは何か(講談社現代新書)」をご紹介いたします。

世間をわたってゆくための知恵は枚挙に暇がない。しかし大切なことは世間が一人一人で異なってはいるものの、日本人がその中にいるということであり、その世間を対象化できない限り世間がもたらす苦しみから逃れることはできないということである。

著書の「おわりに」からの引用です。阿部謹也氏は、西洋の「社会」と「個人」を追求してきた歴史家であり、日本で初の「世間」を分析し、研究された方です。

時に排他的であり、時に差別的すらなる「世間」。日本人の生き方を支配してきた世間を俯瞰したところからの分析は、暗黙裡に抱えていた息苦しさから解放されていく作業ともなりましょう。

著書では、万葉集~新古今和歌集~源氏物語~今昔物語~大鏡~方丈記~吉田兼好~親鸞~井原西鶴~夏目漱石~永井荷風~金子光晴…。日本文学を古から縦断するように‘世間’の歴史を紐解いて読んでいくことができます。歌人や作家が、当時の「世間」と戦いながら生きてきたことを伺い知り、当時の社会背景からの「世間」の捉え方の遷移、背景をも知ることができます。

万葉~新古今和歌集 ~世間の噂に悩まされながら闘う歌人~
まず、万葉に書かれた歌から当時の「世間」を読み解くことから始まります。歌人も世間の噂に悩まされながら闘っていたこの時代。無常さ、むなしさが歌われ、この頃から「世」に対して否定的な評価だったことが見えてきます。

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いくつか本で紹介されている万葉の歌、その中でひときわ輝いていた歌が幾つか飛び込んできました。時は天平 -。天然痘が数年間で当時の国土の25%の人口が死亡した時代でもあります。そんな中、恋を歌った歌から、ほとばしる「生」のパワーが時代を超えて伝わってくるのです。市中引き回しの刑にあっても、どんなに引き離されても追い求めていた、まさに゛命がけの恋゛。日本を支えてきた根底にはそんなパワーがあるのでは…と紹介されていた歌を読んで感じました。

さて、古今和歌集になると『世の中を受け入れなければならない』ことを悟った上で表現されている変化が表れます。「世」と「代」の捉え方が万葉集の時代とは異なり、源氏物語では「世の中」が男女関係を表していたり、宮中の人間関係…あの世・この世、そして天皇の治世等…時代背景によって「世」のあり方が遷移していくことが見えてくるのですね。

その後、鎌倉時代にかけて、仏教が「世間」の捉え方の転換をもたらしていったとあります。

仏教用語である「世間」。「世間様が…」の起源
「世間」とは、スクリット後「loka(路迦)」の訳語。仏教で言う「穢土」とは、おごり・いかり・おろかさを煩悩とし、この他に5つの貧窮・下賤・聾・愚痴・妬み・邪淫・不実・怠惰などのあらゆる人間の悪が集まる場で、この世間の彼方に「浄土」が描かれているという構図になっている。

その世間に対して浄土が目的で、無心や無我の境地といった教義で統治をする…宗教と世間意識の形成といった関係があったとあります。

「今昔物語」で仏教的な思想が一般的な人々の中に入っていきます。この時期に「人間」というワードが使われた始めた。また「大鏡」は、人々を前にして語り手が昔話をするという趣向になっていますが、『世の中の人は』といった、’世の人’の口を語る、客観的な語り口になっていき、現代の私たちが『世間では…』『世間様が』と語る起源は大鏡にあったといえるのですね。

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「あの世」と「この世」、宗教的・政治的背景  ~現代に繋がれる死生観~

国家と仏法の関係が変化したのが平安時代。平安末期から鎌倉時代の慈円のことが書かれます。慈円は比叡山・天台宗の僧侶ですが、藤原一門の貴族に生まれます。政治と宗教の両面から権力を握り、地位を盤石なものにしようとしたのが藤原一門。慈円は世を「冥(あの世)」「顕(この世)」の2つの線で表し、政治の失敗や宮中の人間関係の確執で生まれる怨霊を仏法で解決しようとしたとあります。

藤原氏の祖神を政治的に示した、その頃から恨みによる怨霊が生じたとされ、宮中での嫉妬や怨憎…怨霊を封じ込めるために仏法、寺院の建立に至った。この頃からの怨霊信仰が明治以降の近代化を経ても、日本人の死生観の基本をなしているとのこと。

鎌倉時代の「神判と起請文」も中世での刑事事件の裁判において、被疑者が真実を証明するのに用いられたものですが、呪術的な要素があり、くじ引きやじゃんけんの決定方式もこうした由来があるとも言われています。他にも現在の針供養、年賀状の喪中等の慣習に繋がっているそうです。

ハイデガーが絶賛したという親鸞の「歎異抄」

この頃、京の宮廷社会から出家した徒然草を書いた吉田兼好。世間のしきたりを無視、「世間」に対して合理性をもって随筆を書いていました。「世間」を徹底的に否定し、自己の存在を見出していく、ハイデガーの「存在と時間」を読んでいるような感覚にもなりました。著者は兼好のことを「個人主義」であると言っています。

余談ですが、兼好も恋を知らない男はダメ、と恋のことを言っています。 ~よろづにいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく~   (訳)どんなにすばらしくても、恋を知らない男は非常に物足りない。  

徒然草と同時期、親鸞の「歎異抄」がありますが、ハイデガーはその影響を受け、晩年の日記に記していたといわれています(信ぴょう性は定かではありませんが浄土真宗のウェブサイトをご興味ある方はご覧ください)。   

さて。親鸞は、慈円の呈した「冥」の解体をするとしたことで、怨霊も魔物も恐れることはなくなるという革新的な仏法を説きます。親鸞の死後は、本願寺が成立し、政治的会合の性格を強く帯びるようになったとあります。      

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文学の担い手は、貴族・武士・僧侶→町人へ。
16世紀までは文学を担うのは貴族・武士・僧侶でした。江戸時代からは、井原西鶴といった町人が文学作品の担い手となりました。この頃から貨幣経済が全国展開していきます。そして、人間自体が貨幣によって評価されるようになります。教育の普及にも繋がり、寺子屋も展開されていきました。

商業取引の必要からはじまった読み書きが、定型詩の「俳句」を表現することを町人たちも手にしたのです。16世紀後半、西洋から導入された印刷技術によって、記紀・伊勢・万葉・源氏等の古典が広がっていきます。士農工商の内、ランクは最下位でも商業活動を通じて自由と平等に目覚めつつあった。個の自覚の出発点。それを表したのが「恋」。身分を超えた恋は厳しい取り締まりの対象になりました。その色、艶感が文章から伝わってくるのが凄いです。やはりここでも「恋」なのです。

「世間」「世の中」をわき目もふらずに一心で恋に生き、思いを遂げる。西鶴は、兼好に次いで世の中や世間を対象化した人物と著者は言い、さらに西鶴は、初めて世間は、人と人の関係の絆からやや客観的に対象化されて色と金、特に金の論理が貫かれる関係世界として描かれ始めた。町人目線での文学では「色(女・男色)」と「金」どう金をためていくか・財を成すかが描かれていくのです。  

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明治、「社会」と「個人」への目覚め

前回、ご紹介した著書「同調圧力」では、「社会」と「個人(individual)」に意識を向けること、とありました。

1867年、幕府が倒れ維新政府が成立。1877年、西周がsocityの訳語としてつくり、定着したとあります。哲学・神学をベースにした土台の上に「社会」があり、神との契約が存在する欧米は「個人(individual)」があって成立するものだが、そうしたベースがないままに日本に導入され、西欧の法、社会制度が受けいれられていった。しかしながら、個人の意識は十分な形で確立できず「個人の尊厳」が未だ十分に認識されていない。

したがって、個人の尊厳と切り離されて、法・経済制度やインフラの意味で用いられており、人間関係を含んだ概念とはまだなっていない。それで我々は未だ「世間」という言葉を用いている。この頃から、古来から多くの人が用いてきた世間という言葉は公文書から消えていった

この頃、部落差別をテーマに描かれた島崎藤村の「破戒」、「個人」の立ち位置を模索する夏目漱石の「坊ちゃん」、破天荒な金子光晴の西洋の文明批判のから「世間」の考察が書かれます。

著者の阿部謹也さんは学者でありますが、自身も’学会’という「世間」に埋もれない為、読者が学者に限られていないという理由で出版社を選んだと結びにありました。

「世間」を当時の社会的背景から仕組みを解明していくことで、世間の目に縛られて生きる不自由さから解放され、「個」としてどう生きるのか、より自由に未来を創くひとつの気づきとなれましたら…という願いを込めてご紹介をさせて戴きました。

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そして、古人の歌や文学から知るのは、人との関係、飢饉・天災…「世」「世間」に苦しみ憂いながらも、恋することはやめなかった事実。恋こそ、パワーの源だったのか!日本の国を生んだパワーであり、ウイルスにも不況にも、きっと日本はこうして未来を築いてきたのかな…とちょっと明るい気持ちになりました。未来へ懸ける、そんな戀ができたら…未来は明るいかもしれません。

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 次回は、【「世間」とは何か】の著書・阿部謹也さんと生前交流のあった網野善彦さんの「非人と遊女」をご紹介したいと考えています。遊女とは、現代では「風俗嬢」でありますが、中世、遊女と非人と云われていた人々は、天皇の傘下に置かれ、保護されていた…中世では神聖な職業だったとあります。「遊女」が社会的に卑しめられるようになったのも、女性が公的な地位から除かれたのも同時期でした。コロナ禍で、世間から集中砲火を受けながら補償もなく、社会的にも居場所がないといった風俗業に関わる女性が少なくないことから、この職業のルーツを書かれたこの本をご紹介したくなりました。日本のジェンダー問題を紐解いていきます。

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