見出し画像

宝探しに忙しかった人。

2015/02/24

世界は広い。私はそう思う。
だから、一つのところで
人生や自分を判断してしまわなくていい。

まぁそんな風に思える人は、
とっくにそこから飛び出しているだろうし、
そんな風に思えないから
皆苦労するのだろうけど。

それでも思うことは、
必要なのは自分をどこかに
無理やり馴染ませようとすることでも、
何処にも属さず孤独と闘うことでもなく、
ちゃんとフラットに世界を見て、
自分を豊かにしてくれるものを
自分で見つけ出していける眼を持って、
そしてゆっくりのんびり、
日々の世の中で、
何処かしらからそれをちゃんと見つけてきて
楽しんでいくということの重要性だ。

日常で、追われたり、
課せられたりする色々な義務の中で、
または色んな環境や状況の中で、
自分を縛る条件は、
見つけようとしなくても
山程あるだろうけど、

努力すべきことは、
そこでもがくことでも、
闘うことでも、
諦めることでもなくて、

どんな状況の中でも
自分にとって大事なものや
愛すべき瞬間を見つけていける力を
確実に身につけていくということ
だと最近私は思う。

人もいるし、世界はちゃんとある。
それはきっと、
まだ出会っていないのではなく、
自分の眼がまだ育っていないだけ
なのだと思う。

私はずっと、目指すとこに行きたくて、
いつも"ここ"にはいなかった。

だけどいつも素敵な人達と出会って
最後には楽しくなって、
でも同時に居心地が良くなるのは
とても怖いことでもあった。

そこに満足して、
もうその先へ
進めなくなるんじゃないかって思って。
それが私にとって定住の怖さだった。
でも、そういう考え方はとても寂しかった。

確かに、時と共に環境は
変わっていくかもしれないけれど、
それは時系列的に並んでいるのではなくて、
本当は全部同時に
存在しているんじゃないかって時々思う。
パラレルワールド的な。

だからきっと、
私が行きたいと思っていた場所は
”ここ”じゃない何処かにあると思っている限り、
探しても見つかりはしない。

それは多分、いつでも”ここ”にあって、
自分の視点の問題なんだろう
と思うようになった。

だから、今いる環境の箱の中に
無理矢理自分を
馴染ませようとさせる必要もないし、

かといって、心ここにあらずで
常にどこかを目指している必要もない。

要はこの広い世界で、今ここで、
自分が何をどう観ていくか。
それが一番の近道なのかもしれない。

宝探しの宝物なんて、
意外とその辺に
転がってるんじゃないかな。

だって、あんなに楽しかった一日一日が
宝物じゃないわけないじゃんね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?