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【学び直し生活】「自分なり」でいいことを思い出した。

生涯学習上級コーディネーターの資格の勉強のうち、新支援技法コースの方が最終レポートを残して課題まで終わりました。こちらのコースの方がより概念的な部分を取り扱っていて私には興味深く、基礎コースより毎回先に勉強を終えていました。最後の第4単元は、自己や他者、そしてその関わりに関する内容が外から見た関係性ではなく内側のことについて書かれていて、大変興味のあることだったので、気が付いたら最後まで終わっていました。

いつかは変わらないといけない

この数年、正確には前々職の芸能マネージャーを辞めてから、なんだか自分らしくないというか、どんどん自分ではなくなっていく生活を公私共に今年の6月まで7年間送ってきました。その間のことを思い出すと、ケバブみたいに自分が少しずつ削ぎ落とされていく感覚だったと思います。そんな環境を選んでしまった理由は、「いつかは変わらないといけない」という考えがどこかにあったからです。前々職を退職したのは35歳。当時は自分の道を突き進みすぎているから結婚できないし、子供もこのままでは持てなくなると周りから言われていました。誰かと一緒に生活するためには私は変わらなくてはいけないのだと思いつつも、周りの言う通りやって窮屈だった子供時代を思い出し、「本当にそうなのかな?」と疑念を持っていました。でも試しにと思い、8年間頑張ってみたけれど、結果はただただ自分がなくなっていっただけで、結局、結婚も出産もしませんでした。やっぱり自分が薄々感じていたように、自分を変えたり捨ててまでやることではないし、出来なかったです。ただ、悪いことばかりではなく、ケバブに例えたように、自分を削ってしまったこと、別人のようになってしまったことは良くなかったですが、反面、余計なものが削ぎ落とされていったというのも事実です。その中で1番なくなってよかったのは、「いつかは変わらないといけない」という思考と、「変われば良くなるよ」という人達です。

本当に変わるということ

もうこの8年間していたことは終わりにしようと思いチャレンジし始めた学び直し生活で、生涯学習コーディネーター資格のテキストを開いた際、学ぶことは行動変容につながる、つまり変わりたかったら学ぶ必要があると書かれていて当たり前なのですが、自分にとっては衝撃というか目から鱗で、「やっぱりこの8年間は違ったんだ」という認識への強力な後押しとなりました。私がやっていたことは、「合わせる」「なくす」で「変わる」ではなかったと気が付きました。

「自分なり」でいい

私はスタンダードから外れることが多く、35歳まで、すごくいいと言ってくれる方もいれば、ダメだ!と言われることも多いタイプの人間でした。そして、よく「変わらないと幸せになれない」「変わったら幸せになれる」と言われていました。確かに自分の年齢やそれ以上の方が一般的に幸せとする状態からは程遠かったですが、自分の人生を生きている感覚はかなりありました。「本当に変わったら幸せになれるの?」疑問に思ったら試してみたいタイプなのでやってはみましたが、自分を変えてまで得るそれなりの幸せは、そもそも私にはありませんでした。それよりも今、学び直し生活に挑戦し、それを受け入れてくれる人達ともう一度成長していける人生を作ろうとしている方が幸せだと感じます。自分の方法で、自分が幸せだと思うように生きることが悪いことではないと今は思えます。

自己変容に注目

なぜオトナのマナビが必要か?

そのこと自体を今学ぶことができていて、ハッとさせられることが多いです。私と同じように変わるということについてや、どうやって変わったらいいのか、変わる方法が分からないという方はいるのではないでしょうか。オトナのマナビが必要な理由のひとつとして、変わるには学びが必要だし学んだら変われるという部分があると思います。変わらなくてもある程度は生きていけるかも知れませんが、学生として学んでいた時代から実際生きる中で時代は否が応でもでも変わっていきます。時代の変化の最先端をいく必要はありませんが、今を正しく認識して、それに合わせて自分を変えられるよう学ぶ意識があれば、より人生の瞬間瞬間を長く楽しめると感じました。

少しゆっくり今の自分を見つめた際に考えたことを書きました。

今日も学びを深めつつ、この学びを仕事へ結びつけることを少しずつ考えていきたいと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

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