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振付について考えてみる——『アウトラップ』オンデマンド配信記念座談会

ラッパーのステレオタイプな動きを、言葉から膨らませたイメージ=想像のトラックによって身体を振り付けるチェルフィッチュの方法論によって刷新したチェルフィッチュ × Otagiri × 丹下紘希『アウトラップ(いかにも音楽的な語りのなかにもキラリと饒舌なシナリオ)』。昨年12月、チェルフィッチュ初の映像作品として期間限定配信されたこの作品のオンデマンド配信が2021年6月22日(火)よりVimeoオンデマンドでスタートした。(購入はこちら)この配信を記念し、「振付とは何か」について考えるオンライン座談会が開催された。登壇者は振付家・ダンサーの木村玲奈、ダンス研究の呉宮百合香、作家・演出家の中村大地、振付家・ダンサー・美術家のハラサオリ。批評家・ドラマトゥルクの山﨑健太をモデレーターに、関わるジャンルや立場の異なる4人が『アウトラップ』をどう見たのか、振付や演出をどう考えどのように実践しているのかについて交わされた言葉の一部をお届けする。

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座談会の様子

『アウトラップ』をどう見たか——それぞれの視点

座談会の冒頭ではまず、オンラインでの座談会視聴者とともに『アウトラップ』の全編を改めて視聴。その後、それぞれ『アウトラップ』のどの部分に最も興味を感じたか、面白いと思ったのかを聞いた。

木村  前半と途中で寝るところが好きだな、いいなと思ったんですけどそれは見ていて一番バラバラな感じを受けたからなんです。たとえば見えているものとその奥にあるもの。Otagiriさんが振付を真摯に遂行しているからこそ、岡田さんが作り出しているもう一つの世界が見える、日常が想像のトラックと交差しているのがわかる感じがしました。音と動きもバラバラな感じがします。どの音が現場で流れていてどの音が流れていないのかが見ていてもわからない。最初は画面が暗いのもあって、本当にそこにいる人が声を出しているのかもわからない感じが面白かったです。

呉宮  しゃべりながら動いているのに声にまったく影響が出ないのは不思議ですよね。私も本当にそこで声を出しているのだろうかと思いながら見ていました。ラップと動きとでリズムのアクセントが置かれているところが違っているんですけど、それでもごちゃごちゃにならずにそれぞれのラインが進行していく。
身振りと言葉の関係が説明的なわけでもなく、でも完全に抽象化しているわけでもないのも面白いです。イメージが結晶化する瞬間もあるんですけど、全体としてはイメージや意味が拡散していく。言葉というのはフレームにはめたり定義したりという側面があるものですが、その逆にどんどん広がっていく印象を受けました。

山﨑  今回、撮影の段階ではOtagiriさんはイヤフォンから流れるメトロノームの音に合わせてパフォーマンスをして、トラックは映像に合わせて後から作られたそうです。

中村  ビートが先にあると想像のトラックを走らせづらいのではないかと思ったので、クリエーションのどの段階でトラックがついたのかということは気になっていました。
振付の作業の一環として岡田さんが執筆したサブテキストと完成した映像のあいだには稽古という作業がありますよね。動く目的がほしいということをOtagiriさんも稽古のなかで言っていましたが、映像を見ていても、想像のトラックと体をつなぐ目的というか、たとえば鏡の存在など、外的に拘束するものがないとあんなに動き続けられないのではないかということを考えていました。想像のトラックに身を委ねるとはどういうことか。それは音楽のトラックと同じくらい確固たるものとしてあり得るのか。ダンサーの人がそういう作業をどうやっているのかというのも気になるところです。

ハラ  鏡の存在は作品にとって大きいですよね。この作品では、鏡に対峙するプレーヤーとそれを覗き見る私たちという関係がまずあって、でも鏡にはたとえば岡田さんが映り込んだり、映像のフレームの外にあるはずのものが映ることでその存在の仕方は揺れています。そういう、揺らぎつつもかっちりとした鏡というフレームが空間の真ん中にあって、一方には映像を撮影しているカメラ、私たちが見ている画面という揺らがないフレームがある。そのそれぞれがあることによって生まれる効果が面白いなと思って見ていました。他にも、鏡と同じ長方形のオブジェクトとして椅子が存在していたりして、そうやって交わっていくレイヤーが楽しい。
もう一つ、想像のトラックということには私もすごく惹かれます。イメージという言葉はもともとイマーゴというラテン語から来ていて、幽霊とか亡霊とか形という意味なんですけど、想像のトラックについても、姿形は見えないけど漂っているものという意味で幽霊という言葉がしっくり来るなということを考えました。

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『アウトラップ』本編より

振付/演出とは何か

岡田利規は『アウトラップ』オンデマンド配信に含まれるインタビューのなかで、人が言葉を発するというパフォーマンスをしているときに思い描いていることを作っていくこと、そこから動きが生まれることを振付と呼び、それは演出でもあるのだという主旨のことを言っている。では、アーティストや研究者としての座談会参加者それぞれにとって振付や演出とはいったいどのようなものなのか。

木村 『どこかで生まれて、どこかで暮らす。』という、初めて他者に振付をして、その後も長く取り組み続けている作品では、ダンサーが方言を話しているものを録音して、それを音源として使っています。私からこう動いてほしいということを伝えるのではなく、タスクを渡しながら相手の身体や他のダンサーとのバランスを見るということをしているんですけど、それは人の体がどう存在するのかということに興味があるからなんです。たとえば強い意味や思い入れのある言葉、あるいは行ったことのない土地の言葉をどう聞くのか。
振付というのは誰かの体を扱うという意味で怖いものでもあります。一度誰かのダンスを踊ったり振付を遂行したりするとその体験やプロセスは体に蓄積されて、心や習慣にも影響を与えるかもしれない。だからこそ、自分が誰かに何かをしてほしいと頼むこと自体を疑いながら実践しているところはあります。

ハラ  作品ごとにプロセスは違うんですけど、体の形を決めていくのではなく、空間のなかで状況をデザインすることが私にとっての振付ということになります。様々な要素をどう配置するか、オーディエンスがどこにいるのかなどの条件を決めていって、最後にプレイヤーの体が来る。空間からスタートして、目に入るものや置かれたオブジェクトによって体がどう動かされるかに興味があるんです。空間に体を沿わせる方法論が振付だと言うこともできるかもしれません。そういう意味でプレイヤーありきではない作り方ですし、自分が権力を行使して全部の条件を作って最後にプレイヤーに入ってもらうことになるので、トップダウン的な作り方をしていると言えると思います。

呉宮  最近は振り付けない振付家、プロジェクトベースの振付というのも出てきていて、振付家が全てを決めるのではなく、キュレーション的な発想で色々な要素を集めてそれをひとつにデザインしていくとか、ダンサーと向き合うなかで作っていくということも増えてきています。体が動かされる環境をデザインすることも振付だと考えると信号機も振付だと言う人もいます。
私はしゃべりながら踊るダンサーに興味があって、主に研究の対象にしているのは、いわゆる「演劇的」な、きちんとしたセリフがあるものよりは、ダンサーが即興的にしゃべったり、言葉が作品としてのまとまりを作っていくのではなく作品をバラバラにしていくようなタイプの作品です。
言葉を発することは極めて身体的な行為で、どこで言葉を発するか、声がどうあるかなど、体のあり方にも影響を与えるものです。言葉を発するという状況を作ることで意識の外の動きが出てくることもある。言葉が作品としてどう配置されているか、全体がどうデザインされているか。そういうことをすべて含めて一種の振付として扱って上演を分析することで、それが作品のなかでどのように機能しているのかを考えるということをやっています。

中村  僕は俳優の動きを決めないという意味では振り付けをしない演出家です。僕が書く戯曲はほとんどが室内での会話劇なんですけど、そこで話すための状況、たとえばその部屋でテレビが点いてるということを俳優に伝えるみたいなことが僕にとっての演出になります。言葉の発し方についても、こう話してほしいということではなく、その言葉を発する前に頭の中にあるはずのイメージを想像してほしい、ということを伝えています。そのイメージの搾りカスみたいなものが言葉になる。言葉を話すというのはそういうことだと思っているので、搾りカスの手前のものを作るという意味で岡田さんの方法論には共感する部分があります。
しゃべっている音源を使う木村さんの試みは面白いなと思って聞いてたんですけど、演劇でそれをやるとシチュエーションとして捉えてしまうなとも思いました。たとえば温泉街で足湯に浸かっているところとか、音から想像した状況を空間に落とし込むことになる。ダンスには設定とか状況に置かれた体ということではない別の回路、もう少し体そのもので反応する部分があるのかなと思って、それは自分からするとちょっとうらやましい気もします。

言葉とダンス

山﨑  ダンスに言葉を使うとき、そこにはどんなモチベーションがあるんでしょうか。

ハラ ダンスを見せるときに見る側と見られる側のあいだに生まれる権力関係がずっと気になっていたんです。ダンスというのは見られることに無防備で抵抗しづらいので、ポジティブな感情も含めてダンサーが消費されることで終わってしまうことが多い。言葉はそういう視線を散らすための盾のようなものとして使うことができると思うんです。言葉を使うことで消費関係をフェアにしたい。まなざしをマイルドにしたり、逆に鑑賞者の欲望にフォーカスしたり。
ダンスは問いかけるのが難しいメディアだと思うんです。私は作品を作ることはある問題をみんなで見るようなことだと思っているので、それをするために言葉を使っているところもあります。それをするのに言葉だけに頼っていいのかと思う部分もありますが……。

木村  私はダンサーが方言を話しているのを録音したものを音源として使っていますが、方言がいきなり流れてくるとやっぱり聞いちゃうんですね。そうすると観客がダンサーの体を見ないで、自分のことを考えたり何かを思い出したりしはじめる。でもそれもいいと思っているんです。もちろん見てほしいとは思ってるんですけど、見ないでもよくなってしまうような状態が言葉によって生まれてくる。
一般的には舞台上での上演が作品と呼ばれますけど、そこに至るまでのプロセスというものがまずありますし、長く続くプロジェクトだと特に、上演が終わっても作品が終わったとは思えないということがあります。そうやって「作品」のフレームを拡げていくことで、見る見られるの関係を緩やかにしていくこともできるんじゃないかと思っています。

中村  言葉が視線を体から逸らしている、というのは一つの発見だなと思いました。意味や内容に注意を持っていくことで体を透明にする力が言葉にはある。一方で、自分が作る作品は言葉に比重があるので、言葉を聞いてもらうために過剰にナチュラルな体を舞台に置いているところがあります。体に力が入っているとそれが気になって言葉が入ってこないけど、素っぽい状態だとぼんやりと見ていられる。だから、俳優には一つの部屋で過ごしてほしいということを言ったりもします。お茶を飲んでリラックスしてる体でしゃべってほしい。

ハラ  そもそも、ダンサーが言葉を使うことがすでにポピュラーになりつつあるような状況で自分は作品を作りはじめているので、言葉から振り付けることやダンスに言葉を使うことは私にとって最初から自然な選択肢の一つでした。
ドイツで創作している期間がしばらくあったんですけど、ドイツのダンサーはスキルとしてきちんとしゃべることを押さえている人が多い印象です。でも、日本のダンサーとやっているとしゃべったことがないからできないという反応ももちろんあります。やりたくないことはやらせないということは大事にしているので、そういうときは逆にどうしたら自由に話せるかを一緒に考えることになる。
きちっとしたものを舞台に乗せる、ということではなく、できないものを見せたり幼さや未熟さをステージに乗せる、あるいはできないことを晒すということでもなく、精神的に何につかまって舞台に立つのかということを考えていきたい。そういう作業も振付の一部だと思っています。

木村  振付は体を変えてしまうものであると同時に演じる人のためのものでもあると思うんです。イメージを手渡されることで、そこには必ず手渡されたその人自身の何かが付加されますよね。そうやって演者のイメージも使って何かを作っていくところが面白いし、自分はそういうところを大事にしたいと思っています。

中村  ハラさんの言う精神的なつかまり棒の一つとして想像のトラックがあるということは言えるかもしれません。イメージからズレが生じるところがスリリングですよね。そのスリリングさというのは、そこにちゃんと人がいるように見えるということ、舞台が生き生きとして見えるということなんだと思います。

(構成:山﨑健太)

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配信:202年6月22日(火)〜
視聴・購入:https://vimeo.com/ondemand/cheloutrap
作品詳細:https://chelfitsch.net/activity/2020/12/otagiri.html

<モデレータープロフィール>
山﨑健太
批評家、ドラマトゥルク。演劇批評誌『紙背』編集長。WEBマガジンartscapeで舞台芸術を中心としたショートレビューを連載中。2019年からは演出家・俳優の橋本清とともにy/nとして活動し、これまでに『カミングアウトレッスン』(2020)、『セックス/ワーク/アート』(2021)と2つのレクチャーパフォーマンスを発表。12月には新作レクチャーパフォーマンスの上演を予定している。

<登壇者プロフィール>
木村玲奈
振付家・ダンサー。青森で生まれて、東京で暮らす。’19-‘20 セゾン・フェローⅠ。’12 国内ダンス留学@神戸(振付家コース)を奨学生として修了。環境や言葉においての身体の変化や状態、人の在り方に興味をもち、国内外様々な土地で創作を試みてきたが、感染症下での創作、ダンスの在り方を模索する為、’20- 東京郊外に「糸口(いとぐち)」という小さな場を構え、ダンスと人・土地の関わり方、移動を読み直しながら、ダンスを後世に残していくことを試みている。
https://reinakimura.com

呉宮百合香
ダンス研究。専門はコンテンポラリーダンス。ダンスアーカイヴの構築と活用に関する調査も行なっている。フランス政府給費留学生として渡仏し、パリ第8大学と早稲田大学で修士号を取得。国内外の媒体に公演評や論考、インタビュー記事を執筆するほか、ダンスフェスティバルや公演の企画・制作にも多数携わる。研究と現場の境界で活動中。
https://researchmap.jp/y-kuremiya

中村大地
1991年東京都生まれ。東北大学文学部卒。在学中に劇団「屋根裏ハイツ」を旗揚げし、8年間仙台を拠点に活動。2018年より東京に在住。人が生き抜くために必要な「役立つ演劇」を志向する。近作『ここは出口ではない』で第2回人間座「田畑実戯曲賞」を受賞。「利賀演劇人コンクール2019」ではチェーホフ『桜の園』を上演し、観客賞受賞、優秀演出家賞一席となる。一般社団法人NOOKメンバー。

ハラサオリ
美術家、振付家、ダンサー。ベルリン、東京、横浜など複数の都市を拠点として、空間と身体、帰属意識をテーマとしたパフォーマンスや振付作品を制作する。近年はデザインや生態心理学を参照したムーブメントリサーチを展開している。2021年春、自身のプロダクションカンパニーCo.Sを設立。
東京芸術大学デザイン科修士、ベルリン芸術大学舞踊科ソロパフォーマンス専攻修了。2020年アーツコミッション横浜アーティストフェロー。2020年第9回エルスール財団新人賞コンテンポラリーダンス部門受賞。
www.saorihala.com

<出演情報>
木村玲奈
《STREET MUTTERS #2》
振付・出演:神村恵、木村玲奈
2021/8/6,7,8
会場:糸口
主催:神村企画
助成:セゾン文化財団
何を根拠に踊るのか、なぜ他でもない自分が踊るのか、考えていると踊れなくなり、それでも考えることを中断したくないダンサーたちが、路上にある標識の指示に従うことから、ダンスに取り組む公演。

中村大地
アーティスト・瀬尾夏美とともにパーソナリティをつとめるWebラジオ、「ラジオノーク」を配信中。
毎週木曜日 21:30から1時間半程度、一般社団法人NOOK Youtubeチャンネルでお届けします。
最新回はこちら→https://youtu.be/weaooju9eTM


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