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2005年『メゾン・ド・ヒミコ』感想

2005年映画『メゾン・ド・ヒミコ』(監督/犬童一心)鑑賞。

あらすじ

本名、吉田照男こと、卑弥呼(田中泯さん)は、かつてゲイバーのママだった男。彼はゲイのための老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」を作り、自らも他のゲイたちと共にそこで暮らしている。しかし彼は癌の末期であり、死期が迫っていた。

卑弥呼には沙織(柴咲コウさん)という娘がいるが、沙織は母親と自分を捨ててゲイとして生きることを選んだ父親を許せないでいた。沙織は金に困っており塗装屋で事務をする傍ら風俗のバイトを探している。卑弥呼の恋人である岸本春彦(オダギリジョーさん)はそんな二人の関係を修復しようと、老人ホームでの高額なアルバイトを沙織に持ちかける。

参考:Wikipedia

老年を迎えるゲイたちが過ごすための老人ホームのお話。
多分、西島さんが出演していなければ縁がなかった作品です。男女問わず年老いて逝く先は同じだけれど、その間にどう生きるかという住人たちの感情のオチのオチのオチまで丁寧に描いた作品でした。あくまでも人生最後という意味のオチではなく、感情のオチです。

オダギリジョーさん演じる岸本は、ゲイだと言わなければ女性たちをも惹きつける整った容姿をしている。親子以上に年の離れた卑弥呼を心から愛しているがほぼ一日ベッドに臥している卑弥呼の世話をしているせいか、覇気がなくて今にも消えてしまいそうな儚さを纏っている。反対に柴咲コウさん演じる沙織は、普段から化粧もせず飾り気がなく愛想笑いもしない。理不尽さに対し、本気で噛みつく。

そして、西島さんが演じるのは沙織が務める塗装店の上司、細川専務。
既婚者だが職場の女性に片っ端から手を出し、履歴書は写真で決めてしまうような女ったらし。ただ「メゾン・ド・ヒミコ」に塗装の仕事に赴き、岸本と話をしてもゲイを非難したりはしない。その代わり大して興味も持たない。冒頭では電話越しに部下を怒鳴りつけるような一面はありつつ、大抵はフラットな態度なので観ていてそこまで嫌な奴には見えなかった。

破格のバイト代欲しさに雑用係として「メゾン・ド・ヒミコ」に渋々やって来た沙織に、洗礼の如く、ゲイの住人たちに堂々とセクハラをされるが沙織は怒りを隠さない。最初から父である卑弥呼を始め「メゾン・ド・ヒミコ」で暮らす全員に対して嫌悪感を持ち、許せないことを言葉でも表情でも露わにするので、観ているこちら側は危なっかしくてハラハラするが沙織には生命力に溢れている。だからこそ彼らの話をぶっきらぼうではあっても聞くことができて、次第に彼らと交流を深めることができたのだろう。

「メゾン・ド・ヒミコ」は世間から離れてゲイたちが自由に暮らせる老人ホームだが、蓋を開けてみると卑弥呼が病に倒れてしまったことで経営状況の悪化など様々な問題が露呈する。岸本はその場で起こるトラブルをとりあえず収めることはできるが、根本的な解決方法は判らないでいる。

ゲイのルビイ(歌澤寅右衛門さん)は鼻っぱしが強く、いつも明るく沙織をおちょくっているが、ある日突然脳卒中で倒れ、大きな後遺症を残し、話すこともできなくなってしまう。ルビイは息子夫婦が引き取ることになったが既に性転換の手術を施していたことを息子夫婦には隠していた。それらを知った時、息子夫婦から突き返されるかも知れない。けれどそれを「賭け」だと岸本は言う。もしかしたらそのまま看てくれるかも知れないし、ダメなら他の医療ができる施設に預けるしかないから、ここには戻さないだろうと。

沙織はその言葉に、ゲイとして暮らすと言って母親と自分を捨てた父親、卑弥呼の言動が重なった。卑弥呼が去った後、母親は悲しみに暮れ、最後は精神疾患も発症したと話す。自分たちがゲイとして勝手に生きるために家族を捨てたのに年を取ったら結局家族に看てもらうのか、と沙織は激昂する。岸本は呻くように「お前は部外者だ。出てけ」と言い放つ。

話の中盤で、打ち解けていないまでもディスコで「オカマ」とバカにして来た連中に対して住人をかばった沙織を見て、岸本が突然、沙織にキスをして来たことがあった。ゲイだけど抱こうとしたこともあった。けれど最後まではできなかった。沙織は岸本に特別な想いを抱きつつ、どうにもならないことの苛立ちも含め、今は出て行けと言われている。沙織はお盆のために用意していたおはぎを手掴みし、岸本に投げつけて去る。

その足で、休日出勤を命じられていた沙織は手や顔におはぎの残骸をつけたまま職場に行き、細川専務に「何くっつけてるの」と問われる。
「おはぎです」
「なにそれ」
ほんの少し空気が変わる。
「舐めてもいいですよ、甘いから」
沙織の言葉の意図に気づき、細川と沙織はゆっくりキスをし、抱き合う。

風貌がそうさせるのか、西島さんの若い時期の作品ではこういった唐突なラブシーンが多い印象です。細川専務はいい人という役ではないし「メゾン・ド・ヒミコ」からは外側にいる人間なので仕事(と浮気w)の場面以外は登場しない。それなのに沙織をその時だけとは言え、受け止める立場だと思うと妙に安堵感があり、作品の中に溶け込んでいて物足りなさを埋めるような存在だった。恋愛に本気にはならないと解った上での情事。どちらも期待はしない。けれど行為に対しては本気だ。細川専務にもまた、貪欲な生命力がある。

作中、岸本は「愛より情熱が欲しい」と沙織に話す。どれほど愛していても弱って行くだけの人間をずっと看ていると、健康な人間の心の方が削れて、強い生命力を持つ情熱を欲するようになる。その情熱に引きずり込まれ、何もかも忘れてしまえるくらい強力で自分を壊す力があってもいいから。愛せないのに岸本が沙織を抱こうとしたのもそのためで、沙織が細川専務を誘ったのも圧倒的な細川専務の性欲の中で、このままでは枯渇していくような自分を守りたかったのかも知れない。

可愛い物や美しい物が好きで、自分や部屋を飾る暮らしを愛する住人たちの楽園であるからこそ彼らは「メゾン・ド・ヒミコ」を守りたいが、考えが甘くて問題が起こった時、具体策が出ない。その中で一石を投じたのが沙織という現実を見せる存在だった。

その後、卑弥呼が亡くなり、沙織も「メゾン・ド・ヒミコ」を去る。
バス停まで沙織を送る岸本は、以前塗装の仕事を依頼した縁で細川専務と食事に行ったという。沙織が細川専務と寝たことも知っていた。岸本は茶化す訳ではなく、沙織を抱けなかった自分を思い、細川専務が羨ましい、と話した。そのまま別れて終わりを迎えると思いきや、思いがけずハッピーできれいなラストが待っていた。それでも、多分描かれない部分でこの先は少しずつ襞のように悲しみが重なって行くんだろうな、と思う。
そして、細川専務は色んな女の子と浮気を重ねていたが、沙織にはまあまあ弄ばれたのか最後はキスしか許してもらえない。懲りない人だ(笑)しかし最後の最後まで登場するので、もしや一番美味しい役なのでは、と思いました。

結果的に「メゾン・ド・ヒミコ」はゲイのためだけの老人ホームと謳いつつ、介護者も看護師もいないため、もし住人が体を壊した所で、ここでは看られず、ルビイのように出ていくしか方法はなく本当の老人ホームにはなれない。介護施設や病院にかかるまでの夢の中間地点だ。
卑弥呼役の田中泯さんも、他の役者さんの演技も素晴らしく、美術も劇伴も美しい。それなのに、何かが圧倒的に物足りなかった。けれどそれが何なのか探ろうとは思わない。それは2024年現在の私だから思うことばかりなのだ。

青い空に浮かぶ言葉が印象的なチラシ。
途中出て来るこの麦茶を飲む細川専務を見て、沙織は彼に欲望を感じる
で、何か事件を起こしそうな風貌なのに何も起こらないw

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