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2006年映画『海でのはなし。』感想

楓(宮崎あおい)は、非常勤講師である博士(西島秀俊)に想いをよせていた。ある日、楓は父親に愛人がおり自分自身も愛人の子であることを知る。困惑した楓は、博士に連絡をとり、二人で海に行く。海で博士に告白するが、楓は大切だが恋愛感情はないと断られる。博士は家に帰ると母は見当たらず、パチンコに行っていた。また父は新しく事業をすると夢見がちなことを話していた。博士はこんな両親が嫌いだった。研究室に戻って荒れ、眠ってしまう博士。そこに楓がやってくる。

Wikipedia

Wikipediaのあらすじが、肝心なところに触れていなくて秀逸。
一番知りたいことは本編で。

同じくWikipedia内には、こうも書かれている。

>スピッツの曲のイメージを元に製作されたwebムービーがYahoo!動画において期間限定で配信され、それに音楽を新たにリミックスしたものが劇場公開された。

確かに、観ながらあまりも音楽が流れるシーンが多くて違和感はあった。この映画公開時に出版された小冊子にも元はショートムービーだったと説明されていたのでそういうことか、と納得。当時、スピッツのアルバムのTVCMでも宮崎あおいさんと西島さんが歌うものが流れていて、あのCMからこの物語が派生したのはすごい。小冊子によると、本当に突然ショートフィルムから映画へと変えたようで、そこから完成するまでがバタバタと忙しい日々だったことが書かれている。そう言う部分を読んでしまうと、蛇足だけれどどうしても多少の粗い部分は見逃しちゃおうかな、と言う気分になる。

若い西島さんが演じる博士(「ひろし」だが楓からは「はかせ」と呼ばれている)の存在は無機質で無骨で、女友達はいても女性との色恋に苦手そうな感じが、役ではなく本当に存在しているようで、何だか変な感じがした。何となく変なのだ。変で魅力的なのだ。
宮崎あおいさん演じる楓が、そんなふうに嘘のない態度で接してくれる博士に頼っていってしまう気持ちも判る。ああいう不器用だけど遠慮なく話ができる相手と言うのは特別だ。

楓も嘘がつけない女の子だ。いつもしっかりと行動している。家族にも恋愛に対しても。あんなふうに真っすぐな目で恋心を告げられたら、博士のような人はどうしていいのか判らなくなってしまうだろう。そこからは博士と楓の家庭問題の物語を経て、ふたりがどうやって近づいて行くのか見守った。

ただ、楓にしても博士にしても家庭内のエピソードが独特なので、大事な場面だけど気が削がれる。すべてが重いと、どこに焦点を合わせていいのか判らなくなるし、その後も気になってしまう。もう少しシンプルだったらスピッツの音楽も更に映えるんじゃないかと思った、が、2023年の視点から2006年の作品に文句を言っても仕方ない。しかも当時、時間もなかったという中での創作。だからきっとこの作品ではこれがベストなのだろう。何よりショートフィルムだったものが映画として完成しているのだから。

気になったのはそこくらいで(十分文句かな)西島さんと宮崎さんがとても魅力的だった。薄手のニットとスカートと言うスタイルの楓と白衣やジャケット姿の博士のバランス感、背丈の違いなど、きゅんとする。
あのふたりの距離感の繊細さと、難解だけれど哲学を交えた一生懸命な会話などが観られただけで、もう私は絶賛です。

ふたりのその後は、小冊子にて大宮エリー監督の書き下ろし短編小説「あのあとすぐの、ふたりの手紙」という形で描かれている。この映画と小冊子両方を合わせてひとつの作品なのだろう。

MOVIE WALKER PRESSより

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