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歩む

 校舎を出る際、陽射しが少し傾き、それでもなお残る暑さに面食らった。今日は誰とも話をする気分になれず、早退するかのような早さで玄関を出た。何となく外の空気が無性に吸いたかった。

 ゆっくり一人で歩いていた僕のリュックに、後ろから誰かがぶつかって来た。中学生の頃、3年間同じクラスで仲が良かった歩(あゆむ)だ。今の高校でも偶然同じクラスになった。
「あ、ごめん。」
「おう。」
「もう帰るの? 早いね。」
「歩も……」
 随分早く帰るんだな、と言おうとしたが止めた。
「ああ、うん。」
 歩はチラリと僕の顔を見たが、僕がそれ以上何も言わないので、その流れのまま去って行った。その後、何となく直感が働いてリュックの外側のポケットに手を突っ込むと、折り畳んだメモが入っていた。勘は当たっていた。歩からだ。

『○○町のコンビニにいる 歩』

 その一言だけが書かれていた。
 歩とは中学生の頃、よくお喋りをした。とても楽しかったが、そんな姿を周りから冷やかされて、思春期の始まりだった僕らは疎遠になり、そのまま同じ高校に入ってからも距離を置くのが癖になって、挨拶もさっきみたいに周囲に訝しがられないような素っ気ないものになっていた。

 メモに書かれた通り、少しだけ周囲を窺いながら歩が指定したコンビニに入った。涼しさにホッとしながら歩を探した。
「理知(りち)、ここ。」
 ドリンクコーナーの前にいた歩が手を挙げた。僕は歩の横に並んだ。
「……どうしたの?」
「また理知といっぱい話がしたいな、と思って。中学生の時みたいに。」
「なんで急に?」
 少し驚いて声が上ずってしまった。
「急じゃないよ、ずっと考えてたの。さっきのメモも前から持ってたんだけどなかなか渡せなくて。たまたま一人でいる理知を見かけたから。何か話しかけてくれるのかなって思ったけど、言葉の途中でそっぽを向いちゃったでしょ? どうして? 見えない何かに阻まれてるみたいだったよ。」
「そんなことないよ。」
 冷静を装っていたが、心の中はしどろもどろだった。
「じゃあ、さっき何を言おうとしたの? 『歩も』って言いかけたでしょ。」
「いや、別に大したことじゃないよ。歩も帰るの早いなって。」
「そう言えば良かったじゃん。」
 だから今言ったじゃん、と返そうとしたが、意味がない会話だと思った。歩はそんな議論をしたいんじゃないんだ。僕の態度が変わったことを何故なのか、と問うているんだ。
「いつも素っ気ないから話しかけるのは無理だと思って諦めてたの。だけど私は、理知と話してる所をみんなにニヤニヤされて中学生の時に途中から喋らなくなったこと、本当に時間の無駄遣いしちゃったって思ってるんだ。」
 僕は目の前に並んだペットボトルたちから目を離さないで答えた。
「そうだけど、いきなり話すようになったら変な目で見られない?」
「誰に? 大事な人?」
 大事な人。僕は言葉を見失ってしまい、しばらくペットボトルのドリンクを選ぶ振りをして言葉を探した。
「いや……」
 たった一言しか出て来なかった。
「理知はどう思ってる? また私と話したいと思う?」
 少し間ができた。僕は懸命に考えた。中学生の頃の歩との会話を。歩と僕がお腹を抱えて無邪気に笑った顔を。そうだ。今日みたいに学校がつまらなくなって、ふらっと帰ろうだなんて思ったこともないくらい楽しかった。
「……話したい。」
 歩が力強く僕を見つめた。久しぶりに目が合った。歩の瞳は新品のガラスみたいに輝いていた。
「じゃ、変えようよ。変える時は思い切らないと逆に恥ずかしくなっちゃうじゃん。」
「え、どうやって。」
「じゃあ、まずここ出ようか。」
 僕と歩は互いに500mlのペットボトルに入った飲み物を買ってコンビニを出た。

 それでもまだ僕は少し離れた距離で歩いた。すると、信号機に差し掛かった場所で歩は足を止めた。
「私、この信号を渡って向かいの歩道を歩く。理知はこのままこの道を進んで。道路を挟んで一緒に歩こうよ。」
「家まで?」
「まさか。」
 僕の不安そうな問いかけに歩は前方を指差して言った。
「ここをまっすぐ行くとさ、ここからはまだ見えないけど歩道橋がある。」
「ああ、うん。」
「あそこの上で待ち合わせよう。」
 歩がいたずらっ子のような顔をして笑った。その笑顔が懐かしかった。
「またたくさん喋ろうよ。」
「よし、行くか。」
「うん!」
 僕たち二人はもう先の歩道橋が目標になっていた。
 前につんのめってしまいそうな歩き方で、速さは競歩のようだ。わくわくした。何度も途中、顔を見合わせて笑った。街路樹の間から時折、歩のひとつに結んだ髪が揺れるのが見えた。道路一つ分隔てているのにすぐ隣にいる気がした。バスでならあっという間に超えてしまうけれど自分の足だと結構な距離だ。もどかしい。でも、もどかしさが嬉しい。そうだった。ずっとこんな気持ちで僕と歩は話に花が咲いて、直接会っても電話でも、お喋りが止まらなかったんだ。

 反対側の道から歩が何かを叫んでる。
 車の音が大きくて何を言ってるのかよく聞こえないよ。歩道橋が目に入った。あと何本電柱を越えたら着くだろう。歩道橋の階段を駆け上がったら、どんな言葉も聞き取れる。歩の隣で。顔のすぐ近くで。
 適度に荒い呼吸になった頃、ようやく歩道橋の階段まで辿り着く。向かいで歩が、にやっと笑った。よし、上まで勝負だ。2段飛びしてやろうか。あ、でも転んだらやだな。互いに近づく足音。今まで横を走っていた車の音が遠くに聞こえる。

 階段の一番上。
「見っけ!」
 そう言って歩が走って来る。僕も走って行く。手を伸ばす。手のひらを広げる。そして、僕と歩の手のひらが重なる。歩道橋の真ん中で僕たちは再会できた。二人とも荒い呼吸だが思いっきりの笑顔を見せ合った。
「決めたのはいいけど、思った以上に距離があったね。ごめん。」
「謝らなくていいよ。」
「良かった。結構な決意表明だったんだ。」
 そう言った歩の表情はすっきりとしていて、夕方の太陽が反射して頬がぴかぴかしていた。
「もし、断られたら明日から挨拶どころか、理知に避けられちゃうんじゃないかって思って。」
 その刹那、胸がキュッと痛くなった。

 僕はただ人目を気にしていたばかりで、歩とまた楽しい日を過ごすために具体的な考えを持っていなかった。いや、持たないようにしていただけで歩の『そう言えばさぁ』から始まる、それほど役に立たない小さなエピソードを楽しみにしていたことも、歩に話しかけたい想いも、自分の中で抑えていた。

 気づくと二人とも、途中から全力疾走していたので顔中を汗が伝っていた。僕と歩は歩道橋の真ん中に座って、さっきのコンビニで買ったスポーツドリンクを口にした。喉がカラカラだったので一気に半分ほど飲み終えた。
「そうだ! そう言えばさぁ……」
 僕は弾むような歩の声を頷きながら聞いた。そしてやっぱりその何の役にも立たない小さなエピソードに笑った。でもそれを欲していた。何よりも。そうだ。僕にとって大事な人は歩なんだ。笑いながら二人で見上げた空には、小さな魚が集まって泳いでいるような形になったうろこ雲が見えた。

〈 了 〉

あとがき

 ずっと隠していて誰にも見せていないものがあった。秘密と言う意地悪で甘いモノだ。けれど、それは共有してしまえば胸をパチパチさせる意地悪な炭酸は抜け、ただほんのり甘く、体に美味しい栄養素になる。

 本来、この掌編はとあるアンソロジーに向けて書き始めたものでしたが、短歌+短文というのが条件だったので、短歌を作ったことのない私は断念しました。そちらのアンソロジーはアーティスト、スピッツが新たに発表したアルバムとシングルを祝して、とのことで、私もアルバムとシングルを聴き、そこから想起された物語を作りました。
 そちらに発表することはできなかったけれど、素晴らしいアルバムとシングル曲に出会えて新たな物語を紡げたことを嬉しく思います。私自身、とても楽しく書いたこの掌編を皆さまに読んでいただけると幸いに思います。

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