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未来都市 と男たちのVISION

私が「暮らしたい未来の街」は、もう実現することはない。

それは私が生まれたときには既にそうなっていて、たとえそれに近いものが今後生まれようとも、それはただ似ている別物に過ぎない。

今から55年前、その未来都市を築こうとした人物は、この世界から旅立ったってしまった。

その未来都市は、実験的に築かれようとしていて、その計画はこう名付けられていた。

「 Experimental Prototype Community of Tomorrow 」

和訳すれば「 実験的未来都市 」、略すと「 EPCOT ( エプコット ) 」である。

「 あっ 」 と思った人は、私と同じで彼が作り上げたあの国の虜なのだと思う。まだ、ピンと来ない人には今日この事を覚えてもらいたい。

そう、彼の名は、「 ウォルト・ディズニー 」
誰もが知る「ディズニーランド」を築き上げた男だ。

子どもの頃、「 観光するなら自然と建造物 ( 文化施設やレジャー施設 )だったら、どっちが良いか 」という質問が友人間で話題になることが度々あった。

大抵は、自然派だ。
自然の壮大さに感動する、といった理由だ。

分からなくはない。満天の星に映える北欧のオーロラや、神がかりな島である屋久島の絶景は、誰しもの心を掴むだろう。

それでも、私が建造物派だったのは、私が人の情熱に心を揺さぶられるからだろうか。

自然は、私が生まれなくても、ウォルト・ディズニーが生まれなくても、そこにあったはずだ。むしろ、環境を破壊しているのは人間なのだから、絶景だと感じるそれは、年々劣化しているのかもしれない。

けれど、来園者の9割がまた行きたいという気持ちにさせられるディズニーランドは、彼の誕生がなければ、そこにはなかったのである。

たった一人の人間が、何もなかったまっさらな場所に、天才的な想像力を駆使して、まるで魔法のように、それを生み出したのだ。( 実際は、幾度の苦労を重ね、数えきれない人の力を借りてなのだが、彼がいなかったら存在しなかったことは事実である )

それは、夢の国だけではない。神社やお寺も東京タワーやスカイツリーも、駅から見える高層ビルも全て、「作りたい」という誰かの情熱と想像力がそこにはある。

違いがあるのは、その目的だ。

自らを誇示したいと作られたものなのか。
お金を稼ぐために作られたのか。
それとも、誰かの笑顔のために作られたのか。

現代の街は、これらが混沌としている。

自らやお金のための情熱や、想像力に私は魅力を感じない。けれど、自分の住む街が、私を笑顔にするために作られたのであれば、こんなに魅力的なものはないだろう。ましてや、夢の国を築いた男が生み出した街であればなおさらだ。

EPCOTは、排気ガスを排出しないクリーンな街であり、モノレールやピープルムーバーとよばれる自動運転技術を取り入れる設計であった。

しかし、それは実現することなく、計画は中断。
そして、街ではなくテーマパークとして、アメリカに存在している。

街は想像力で成り立っている。
彼がこの世界に存在していなければ、彼の想像で生み出される街は今後誕生することはない。

2020年1月、トヨタ自動車が静岡県に未来都市を建設することを発表した。

車の企業なのだから、モノレールでもピープルムーバーでもなく、自動運転システムを取り入れた車が街中を走るのだろう。

冒頭、話したようにそれは私が望むものではない。
しかし、それは否定的なものでもない。重要なのは想像力である。

トヨタ筆頭に、今後、未来都市というものは、間違いなく築かれていくはずだ。55年前は、想像に技術が追い付いていなかったかもしれないが、時代は変わった。

建前上、未来都市を築こうとする人物は皆、クリーンな環境などとその目的を説明するだろうが、私たちはその本音を見る必要がある。

今回のトヨタも、営利企業であるのだから仕方はないかもしれないが、ただ単に他社よりも先に、自身の技術の向上を、といった自己利益な目的であるのならば、やはり私はそこで暮らしたいとは思わない。

「人の笑顔のために」という社会貢献は、何かのついでに行うものではないのだ。

日本の街は、幾重なる想像力の基、益々便利に発展していくはずだ。
けれど、やはり私は、人を笑顔にすることに尽力して、55年前にこの世をたった、彼のような想像力の基に生まれる街で暮らしたい。

いつか、そんな街ができることを信じて。

#暮らしたい未来のまち

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