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◇飯島貫実師との出会い②◇貫実師に会う前

貫実先生のところのヨーガはオーソドックスでしたが基本的なものを大切にしていました。下の写真は、玄明先生の長勝寺で、撮ったもので、なんと今の娘と同じ年頃です…首から下げてる紐は、お坊さまの袈裟の略式ということで、ダーマヨーガ道会の講師の印です。


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では、少し、貫実先生に出会う前に戻らせていただきます…


私とヨガとの出会いは、18歳の時の「ヨガ入門」(沖正弘師)の本でした。それでヨガに興味を持って、近くの下北沢辺りにあったヨガクラスに習いに行き始めました。40年以上前で、ヨガのブームが来るちょっと前でした。


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そんなある日、親が見せてくれた新聞記事に、「ヨガの専任講師募集のお知らせ」が出ていて、面白そうだと思い、即、申し込み、面接試験に行きました。それは、当時の銀座松屋のカルチャーセンターのヨガクラスのインストラクターを養成するためのものでした。



30名くらい集まっていて、結局3名受かりました。そこは沖ヨガのお弟子さんで、静岡で活動なさっていた美容系の会社をしていた方が、静岡のインストラクターを東京に派遣して進出してきたところでした。


私たち3人は、そのインストラクターの先生について、毎日、先生のクラスの全部に出て学び、クラスのない日は、朝から夕方までヨガの実技と講義を学び…で…毎日、3ヶ月びっちり仕込まれました。途中、三島にあった沖ヨガの本部道場で、何回もヨガの合宿がありました。



私はちょうど短大の卒業の時期で、一応某美容学校への入学が決まっていたのですが、親に頼み込み、そちらの学校は、10月始まりの夜間コースに変更してもらいました(入学金支払済だったので…)そして、卒業式には出席できましたが、謝恩会はヨガの合宿と重なり、アルバムは、○で囲まれてしまいました…



沖先生のヨガは、肉体鍛錬系?で、かなりきついものでした。朝は起きたら、マラソンでしたし…私はもともと器械体操をしていたので、きついのは好きでしたが…


でもいろいろな講師の先生がたの講義がものすごく面白く、ためになるし、学校でこういうことを教えてくれたら、自分の心身を自分でなんとかしようとする人たちが増えるのに…と思っていました。

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一番印象に残っているのは「身口意」(しんくい)のお話でした。その時の私の理解は、「自分が心で思って、口から出して言ったことは、必ず実行する」ということで、その日から、完璧にできなくても、いつもそのように心がけて、いまに至っていますが…


これは私が40歳で出産して、子育てをする時に、大いに役立ちました。(脱線してしまうのでまた別の機会に…)


ところが、後でわかったことなのですが、なんとこれはもともと、「身口意の三業」と言ってお釈迦様の言葉で、心(意)から唱える=念じる、口で唱える=声を出して唱える、身体で唱える=実践していくことでした…(身口意は密教で三密ですby河野亮仙先生)




話は戻って、かなりの苦労?の果てに、やっとクラスを任されのですが、なんとまた次の課題に出くわしました。銀座のマダムたちが生徒さんなので、20歳そこそこの小娘に教わるのが、気に食わない方もいらして、聞こえるように皮肉を言われていました…



ほぼ毎晩、悔し泣きをしていました。嗚咽を抑えるのって結構苦しいんです…胸が詰まってきます…呼吸もできないし…でも泣きながらも考えていました…


そこで、休みの日は、別のところのヨガのクラスの無料体験に出まくって、終わったら忘れないうちにすぐにメモを取り、ノートに書き溜めていきました。


それと、すでに世界に名の知れ渡っていた、桜沢如一先生の「正食協会」の玄米菜食の料理教室に通い始め、圧力鍋で美味しく玄米を炊いたり、ごま塩、きんぴら、鉄火味噌などなど諸々の基礎的なお料理の仕方も教わりました。


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それと、阿部先生の自然療法の手当法のクラスで、生姜湿布、里芋パスタなどいろいろな手当法の実際を学びに行きました。



また東城先生の「家庭でできる自然療法」の本(昭和53年初版ですが、どれだけお世話になっているか)や毎月の会報で学び、特にビワ葉温灸療法も学びにいきました。


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そして、家では、段ボール2つ分、圧力鍋や調味料などのすべてを自然食品店で買って、送ってもらい、家の調味料は母に熱く話して、全て、もったいないという母を制して、一気に捨ててしまいました。


そして、私は玄米菜食を黙々と実行しました。実家にいたおかげですが、ヨガのインストラクターの収入は全て、学びに消えて行きました。(母はもうずっと生活クラブのお世話になっていて、今だに感謝されています!)



そんなこんなで忙しくしているうちに、いつの間にか、なんと銀座のおばさまたちの健康相談を受けるくらいになっていました。



そうなると今度は、先生の決めたクラスの実技のメニューも物足りなくなり、「やりたいようにやりたい!」気持ちがいっぱいになって、先生もちゃんとわかっていて、2期生のインストラクターが育ったら、やめてもいいとのことで、円満退社?させていただきました。



さすがに組織から出たら、仕事はなくなり、さあどうしようと思っていたら、知り合いから、「千葉のお医者さんの奥さんが3ヶ月で痩せたいから、週に3日個人レッスンしてもらえないか?」との依頼を受けて、即、やらせていただきました。



これは、めちゃめちゃ勉強になりました。玄米菜食にヨガのポーズを組み合わせて、自然療法で冷えをとって…などなど、学んできたことを全部フル活用して、見た目もしっかりわかるほど美しく健康的に痩せることができました。なんと体調不良で止まっていた生理まで始まりました。



そんなことが一通り終了した後に、貫実先生のクラスに行くことになりました。すごいタイミングでした…そのころは、達成感はありましたが、結構疲れきっていましたので…



そんな時でしたので、仏教のお話がもう心に染み渡って、面白くて仕方がなかったです。でも多少の方々は、ヨガのポーズをしたくて、いらしてる方もいたので、そういう方達は沖ヨガの方へ移って行きました。私はヨガのポーズは少しでいいから、もっと話しが聞きたい〜という感じでしたので、居心地は良かったのですが…



ものごとは、別に良い悪いではなくて、人それぞれに、求めているものが違っていて、自分が興味あって、やりたいことをやっていくのが良いんだなぁと思いましたが、今も同じ思いです。



私もこの後、今度はアイアンガーヨガにのめり込んでいきましたので…(それはまた後に回して)ちょっとそれてしまったので、次はまた貫実先生に戻ります!










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