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僕の同級生

高校時代の思い出は、特にない。


僕はクラスの中で地味なほうだったけど、友だちは多かったし、毎日楽しそうなクラスメイトを見ては、自分も笑っていることが多かったように思う。だけど頭の中をこじあけないと、なかなか思い出は出てきてくれない。


陸上部にいた僕は、走るのが好きだった。

部活が終わってうちに帰ってからも、家の近くの川沿いをランニングしていたことは覚えている。

あれから20年ほどたった今は、体調管理の一環として、健康のために少し走っている。


「ごはん、食べにいこう」

絵文字のない、文面。

仕事の移動中だったので、そのまま携帯をバッグにしまう。3ヵ月ぶりだろうか、彼女から連絡がくるのは。身体の左側にある心臓だけ、少し軽くなったようだ。ふわっとした感じがする。

かわりばえのしない毎日こそが、大切な日々であることは、もう分かっている。だけど、身体の中を通り抜ける血が、鮮やかな赤い色をとりもどすように、生き生きとしてくる瞬間がある。

元気にしているだろうか、とその顔を思い出そうとして、電車の中のなまぬるい空気をゆっくり吸い込む。


メッセージを送ってきた彼女は、高校の同級生だ。

あのころ、同じクラスにいたころ。話したことは片手で数えるほどしかなくて、お互いに「同級生」以上でも以下でもなかったように思う。

大人になって、昔の顔ぶれと再会したとき、彼女がいた。なんとなく連絡先を交換し合い、あるときから2人で会うようになった。


「久しぶりだねぇ、あ、お店予約しなくて良かったかな」

「うん、いつも座れるし、大丈夫じゃない?」

「うん。元気だった?」

「うん」


彼女はよくしゃべるほうだと思う。普段から「静かだね」といわれる僕は、まわりから完全な「聞き役」に見えるだろう。

「あのね、自転車にスタンドってあるでしょ」

「…… 自転車をとめておくやつ?」

「そうそう、あれさ。ママチャリタイプじゃなくて、足でけって、立てて。立て掛けてとめるタイプの自転車あるでしょ」

「うん」

「あの、ストッパーみたいなやつ。自転車に乗るときは、けって並行にしておくものだけど、それをしないまま、乗っている人がいて」

「あー、たまにいるかもね」

「あれ…… あれ、気にならない?」

「……」

よくしゃべるな、と思う。女の人は、そういうものなんだろうか。

でも、4年同棲している僕の彼女はあまり話さない。だから、話す女性が多いのかどうか、本当はよく分からない。僕は話さない女性のほうが好きなのかな、と思うけれど、それもよく分からない。


「あのさ、仕事相手の人に年賀状って出してる?」

「うん、出してる」

「ほんと?どのくらい?」

「…… 100枚くらいは出してるような…」

「ひゃっ…… めちゃくちゃ出してるじゃん」

「今仕事してなくても、昔お世話になった人とか」

「そうか、そうだよね」

お互いに会社員ではない働き方をしているので、少しの同士感はあるのかもしれない。


くだらない、たわいない会話をしながらふと「なんでこんなところにいるんだろう」と思った。僕はなんのために、ここに来たんだろう。

彼女の話を聞くのが嫌で、退屈しているのだろうか。こんなことを考える自分に、うんざりしているのだろうか。でも、そういう負の感情とは、違うような気がする。

彼女の話を聞きながら、ぼんやりと返事をしながら、この感じはなんだろうなぁ……  そんなことを考える。


「聞いてますー?」

「…え、あ、聞いてる聞いてる」

「すぐ眠くなるんだから」


本当のことをいうと、僕はいつも緊張している。

同級生の彼女だけでなく、自分の彼女にも、家族にも、仕事相手にも、お店の店員さんにも。緊張しない相手はいない。

たわいない話に、たわいなく返すのはひどく骨の折れる作業で

相手の言葉から伝えようとしていることを読みとろうとすると、いろんな解釈が湧き出てきて、「これかな?」と思うものを選びとるのに時間がかかる。

だから、間に合わない。

返事をするだけで精いっぱい。

緊張しながら、理解しようとあたふたしている間に相手はまた、新しい話をはじめてくれる。


いつまでも慣れることのない時間。


だけど同級生の彼女といると、ときおり、間に合うことに気付く。

まるでもとからそこにあったような、自然な空白の時間がある。

隣のテーブルから聞こえてくるプロ野球談議、悩める職場の人間関係、恋人たちのすれ違い。

自分とは関係のない声を聞くともなく耳に入れ、僕らは少しの間、空白をながめる。

いつから、長年連れ添った夫婦みたいになったんだろう。


焼き鳥の鶏を串からはずし、ゆっくり口に運ぶとき

レモンサワーのグラスについた水滴を丁寧にぬぐうとき

天井から下がったメニューの札を食い入るように眺めるとき


僕らの間に流れる、空気を噛んでいるような、静かな空白。

だから僕は間に合う。

ゆっくりと息が吸える。吸っていい、と背中を押される。


満足感にひたりながら、彼女は何を思っているのだろうかと思う。

その空白に、本当はほかの意味を見つけたくて、僕の鼓動は早くなる。少しだけ彼女の顔を見るのが怖くなって、また呼吸が浅くなる。

僕の同級生。


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