どしゃ降りの朝に、君がいてくれて
枠にはまったガラス窓の奥は、一面の桜だった。
開いた桜の花たちを「ほれ見てみろ」という具合いに、窓一杯に枝を広げて見せつける木々。
確か去年も、この景色を見たような気がする。
あのとき、彼女は僕の横にいただろうか。
いろんな種類の木材を組み合わせた、寄木細工のような床に視線を落として思い出そうとするけれど、思い出箱のフタは重い何かでふさがっている。
「こんなところに、喫茶店できてる!」
後ろから若い女性の声がして、僕は下げていた顔を進行方向に向けた。左手にそびえたつ大型スーパーの1階の出入り口横に「コメダ珈琲」という看板が見えた。
「え~、いきたいな~」
後ろから、先ほどと同じ女性の声がした。
何度も通っていた道なのに、気付かなかった。あの場所は、もともとどんなお店だったっけ。
確か信用金庫か、何かだったような気がする。
その場所は今や学生たちであふれかえり、熱気を帯びていた。試しに入ってみようかと思った僕は、その熱気を前にきびすを返す。
「すぐ諦める」
どこかで、鈴のような声がした。
後ろを振り返ったら、20mくらい向こうから杖をついて歩いてくるおじいちゃんの姿が見えた。そこにはいない、彼女の声。
もうそろそろ、なんとかしたいんだよな。
自分で自分に呆れかえることには、もう飽きてきたんだ。
部室のドアを開けると、埃と土臭さと年季が入り混じった匂いがした。「喚起をすればいいんだよな」と思いながら中に入ると彼女がいた。
「あー、おつかれさま」
後ろを振り返って僕を見た彼女は、陸上部のマネージャーだ。
「おー」
あいさつだけした僕は「奥の棚の一番下にある段ボールの中に入っているから」というコーチの手がかりのみを頼りに、冷却材を探しにかかる。
「何か探し物?」と背後から近寄ってきた彼女に僕は「そう。冷却材がこのへんにあるっていわれて」と振り返らずに答える。
彼女は「冷却材…?」と考えているような声を出し、そのあと「こっちじゃない?」といった。
段ボール箱をのぞきこんでいた僕は、その声に彼女のほうを向く。見ると彼女の手には冷却材があった。「え、どこあった?」と聞くと「目の前」と笑いながらベンチ前の空間を指差す。
「助かるわ、ありがと」と冷却材を受け取った僕は「ほんのついで」という感じで、
「元気?」
と聞いた。
小さな部室の窓から、驚くくらい強い光が差し込み、羽のような埃が煙のように揺れている。静けさの中、僕の心臓が「ドックドック」と重低音を奏でる。
どんな返事が返ってくるのか分からない。僕は彼女と、話したい。
「元気だよ、元気」
なぜか二度同じ言葉を繰り返す彼女は頼りなさげだ。さみしそうな物言いに、僕の庇護欲が刺激される。
何かあったのだろうか。それとも何もないからだろうか。
そう聞いても、いいのだろうか。
「そっか」
結局、それしかいえなかった。
彼女はベンチの上にのせた書類の上に目を走らせ、作業を進め始めた。そのことにショックを受けた僕は、もう外に出るしかなくなった選択肢をしぶしぶ選び、入り口に向かう。
「気まずくさ」
彼女の言葉に、僕は足をとめた。
「気まずくなっても、 話せて嬉しいと思ってる」
なぜだか急に鼻の奥がツンとした。涙が込み上げてくる合図だ。なんでだろう。なんでなんだろう。悔しくてたまらない。自分が情けない。嫌気がさしてたまらない。
外に出ると、雨が降り始めていた。
彼女と過ごした日もこんな雨の日が多かった。
あの湿った、あたたかい時間を忘れないようにと空を見上げてみたけれど、空は群青色をしている。台風が来そうだ。
後ろを振り返っても、部室の扉は閉じたまま。
僕らの雨が降ることは、もう二度とない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?