僕のロマンチック
「5年、10年って今から考えると長いよね。両想いになれない相手のこと、そんなに長く、想えるものなのかな」
結婚式の日取りを決めている最中、彼女がいった。
首が細く、顔も小さい彼女はショートカットがよく似合う。最近見つけた美容院は腕がいいと、ショートの活躍を絶賛する野球好きのおじさんみたいに真剣な顔でいっていたような気もする。
「…… まあ、途中で波はあるだろうけれど、それでも好きなんだろうし。好きじゃなくなりたいけど、好きみたいな。時間がたつほど、ずっと忘れられなくなってるんじゃない?」
「ふーん」
「ぜんぜん共感できてないでしょ」
「いやいや、共感してるしてる。それってロマンチックだよね」
「うーん、どうなんだろう。ロマンチックというか、切ないというか、かわいそうというか」
「あ、そうだね。好きなのに、報われないんだもんね。ずっと寂しいってことだもんね」
「…… うん、そうだね」
長い片思いは「報われない時間」を無理やり経験させられているということで、「不憫」に変換されることなんだろう。
僕の妻になる人は真っ赤なシステム手帳を開いたまま、少し上を向いて「ふんふん」と小刻みに顔を揺らしていたけれど、絶対にこれから飲む甘口ワインのことを考えているだろうなと思った。
「でも僕は『片思いできる』ってことなんじゃないかと思う」
心の中で返事をしたけど、言葉には出さなかった。
彼女は手帳を確認し「よし。やっぱり挙式はこの日にしよう。決めれば、あとはどんどん進んでいくよね」
と僕にほほえむ。
そろそろ半年。
連絡してもいいころだと言い聞かせて、メッセージアプリを開く。彼女の頭文字を検索し、どんな言葉を送ろうかと顔を上げた。
「来週の土曜、みんなで会うけど来る?」
そう誘ったほうが彼女が来やすいと、なんとなく分かっている。
好きな人と結ばれないこと。誰でも、当たり前にあることなんだろう。
好きなのに、隣に自分がいない。自分ではない。
それは正確に表現できない気持ちのオンパレードだ。すべて吐き出して楽になりたいのに、なぜか飲み込んでしまう。早く終わりにしたくて、でもできなくて、忘れたふりをして季節を越える。
片思いは、誰もが経験する成人式みたいな、ひとつの儀式みたいなものだ。そう一般化して「恋の話」として酒の肴に披露でもして、胃の中の食べ物のようにゆっくり消化され、いつか僕の骨や肉になってほしい。
「ここの枝豆とベーコンのパスタは絶品だよね」と2人で笑う。
オープンテラスの風通しのいいカフェ。隣にはフットサル用のサッカーコートがあって、ざわざわとした音が活気を呼んでいた。
久しぶりに彼女と会う。みんなで会うはずが、なぜかほかのメンバーは急に都合がつかなくなってしまった。1年前にもこのお店で数人で会い、そのときも2人は同じメニューを選んだ。
「みんな、来れなくて残念だね」
「うん。タイミング悪かったかな。ここ家から遠いのに、わざわざ悪いね」
「ううん、ぜんぜん。用事もあったんだ。だからついで」
「ついで」という言葉に傷つかないように僕はそっと目をふせて、テーブルの下で足を組み替える。こんな癖がついたのは、いつからだっただろう。彼女の前でしか、出てこない癖。
「最近は忙しいの?」彼女が僕に話しかける。
「うん、転職して半年だけど。まだきついんだよね、完全に体力仕事だし。俺、覚え悪いから、いっぱいいっぱいだよ」
「どんな仕事だっけ、今」
彼女は既婚者で、子どもが2人いる。僕らは古い友人同士で、僕は彼女に恋をしている。恋をしてから、もう15年がたつ。そして僕は3ヵ月後に、ショートカットが似合う別の女性と結婚する。
「そのときは、どんなふうに思った?」
彼女はよく、カウンセラーみたいな聞き方をする。
眼はいつもまっすぐで、それほどやさしい瞳ではない。少し油断すると「とって食われそう」という気持ちが生じ、僕はおびえることもある。
けれどそれが彼女なのだと思う。
それほど世渡り上手なわけでもなく、心を開いた人にしか気を許さない弱さも、しがらみからピョンと抜け出す思い切りの良さも、会うたびに新しい一面を見た気がして、僕はいつもうれしくなる。
たわいない会話の最中も、言葉に含まれない何かを受け止めようと真剣な表情をするのは、15年前から変わらない。初対面のような好奇心で、何かを知ろうとするその姿勢に僕は毎回心を打たれ「まだ逃げられないのだ」と少しうんざりもする。
ランチにデザートはついてこないことを、テーブル上のメニュー表で確認しているであろう彼女に「限定チーズケーキだって」と僕は別のデザートメニューを差し出した。彼女は恥ずかしそうに小さく笑う。
どうしてこの人は、いつまでたっても僕のものにならないのだろうか。
片思いを続ければ、ずっと会い続けられる。
万が一、一歩を踏み出してしまえばその先があり、どんなにゆるやかであっても、おのずと関係は変わってしまう。
じっくりと時間をかけて身体を蝕む毒のように僕をうなだれさせる関係が、これ以上悪くなることなんてないはずなのに、僕はまだ世界の底の底にいることを認められずにいる。
「聞いたよ。春にするんだよね、式」
「ああ… ようやく決まって」
「ほんとにようやくだよね…… おめでとう」
「ああ、ありがとう」
いろいろあった2人が別々の道に歩き出すベタなドラマみたいな会話だなと思ったけれど、僕たち2人の間には何も生まれてないし、これから生まれる予定もない。
逃げることも近づくことも許さない、僕の好きな人。
空がひっくり返ること。海の水が2つに割れること。そうしたありえないことと同じレベルなのに、彼女が近づいてきてくれることを少しは期待してしまう僕は、いつか叫びだしたくなるような絶望感を味わうのだろうか。それとももう味わっている最中なのだろうか。
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