「何度も泣いて、自分の人生が愛おしくなった」
前回書いた、ショートストーリー。
早速、あずきちゃんから、OKが出たので、公開します。
これは、一人の女性が勇気を持って、自分の過去を話してくれました。
「人には言えずに、もやもやしている人への力になればと」公開を承諾してくれたあずきちゃん。
このショートストーリーは、私のあずきちゃんへの応援であり、彼女の想いが循環して、誰かの背中をそっと押してくれることを信じて書きました。
では、どうぞ。
母を超える日
~自分の居場所が欲しかった~
朝、起き抜けに、ベランダに出て、あったかいコーヒーを飲む、ゆっくりとした時間が私は好きだ。遠くには海が見えて、今日もこの時間は静かだ。
「は~、今日も頑張るか」、あずきは、子どもたちの朝食を作り、仕事に行く準備をする。
思えば、私の人生はいつも逃げてばかりいた。
韓国人の祖父母が、朝鮮戦争から避難し、着の身着のまま名古屋の地についた。
韓国2世の母は、女手一つで私を育ててくれた。
母は、水商売で資金を貯め、居酒屋3店舗を経営していた。法人化までし、稼いでいたので、私は金銭的には何不自由なく暮らせた。美人で、何でもできちゃう人。母はいつも私と比較していた。
私は、中学受験で失敗し、高校受験でも失敗した、推薦までもらっていたのに、
本番に弱いタイプだ。
母に呆れられたと思った。母は何をやってもそつなくこなすから、できない私の気持ちなんて分からない。
母との苦しみは、友人に話すこともできず、誰にも言うことができなかった。苦しかった。一人で誰にも言えずに、ずっと苦しかった。そのバランスをとるように、高校生の頃から、過食症で、たくさん食べては吐いて、食べては吐いてを繰り返していた。それを見た母は「何でそんなことするの!」と責めるだけだった。
母は、「誰でもいいから結婚したら」と昔から言っていたのだけれど、いざ、当時付き合っていた彼を連れていくと物凄く反対された。母の中にも、理想があったらしい。
私は、彼のことが大好きだったし、母の意思に抗うように、子どもを身籠り結婚した。
過食症は、私が結婚して、妊娠した29歳になるまで続いた。
今思うと、自分より大切な子どもを身ごもったことで、自分の居場所ができたから、自然と止まったんだと思う。
第二子も生まれ、幸せに暮らしていたのだけれども、一緒に遊ぶにはいい相手だったが夫として一緒に生活するようなタイプではなかった。
離婚を決め、実際に離婚するまでは2年もかかった。
その時も母は、「やっぱり、私の言ったとおり」と言った。
離婚が成立するまで、心身ともにすり減っていた。大好きだったはずの彼の、見たくない嫌な部分も見せられた。あり得ないようなことが度重なって、こんなことってあるのかと愕然とした。
今後は私が稼いで食べていかなきゃ。誰にも依存せずに
ーーーー私は私の足で立ちたい。
そう誓って、仕事をしながら通信制の大学に通った。そこで、今の仕事とも繋がる「キャリアコンサルタント」という仕事の存在を知るのだった。
そう言えば、小学生の頃、TV「世界ふしぎ発見」が好きで、その中でナイチンゲールを見て、
『人に貢献する』っていいなと想い、看護師に憧れたことがあったけな。
私には、母は自分のために働いて、自分のためだけにやっているように見えた。
そういうのは寂しいとどこかで思っていた。
私は、社会とつながっていたい。社会貢献したいと。
今の、若年の学生をサポートするキャリアコンサルタントの職について、約4年。
先生と話しながら、学生向けにキャリアの視点でサポートするカリキュラムは、アナウンサーなどの外部講師を招いて行っている。1年かけた総決算として、子どもたちがワクワクする世界がどんな世界なのか、それを実現するにはどの単元を学べばいいか、どのターゲットを狙えばいいのかを発表してもらった。そこで、いいなという人には、学校内で使えるオリジナルのお金を作り投資をするというカリキュラムで、とっても好評だった。
幼少期、児童養護施設にはいなかったが、心はいつも寂しかった。児童養護施設の子どもたちが、当時の自分と重なって自分ができることはないかと奔走した。1年かけて頑張ってきたこと・やりたかったことが実を結び、児童養護施設にキャリアコンサルができる事業を立ち上げることができた。
苦しい時、いつも私は足掻く、めちゃくちゃ足掻く。
とにかく、行動して、行動して、行動しまくる!
ーーーーーー自分の足で立つと決めて、約6年。
最近は、望む人生が、手に入ってるんだなと感じている。
いつか母に、私はこれをやりました!と証明したい。
いつだって私の中に母の存在がある。
実は、幼少期、母に叩かれていた。離婚して母と一緒に住んでいた時に、ついに子どもにまで手を出すようになって、子どもからSOSの電話があった。
「離れよう」。
着の身着のまま子どもを連れて出てきてから今まで、ずっと連絡は取っていない。果たして母に認めてもらうようなことをすることが、本当に私の幸せなのか。
自分が自信を持って「コレ」というものに出会ったら、母に会いに行こう。
怖いけど、母に頑張ったねって言ってもらいたいから。
黒髪が風にゆらりとなびく、あずきは清々しい表情をしていた。
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人の心の琴線に触れる言の葉を綴りたい
こんなにも、誰かの背中を押せるのであれば、それは私は本望だ。
ーーー人が見ている世界、経験したこと、感じたことは尊い
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