遊びから伸びる

結論からいうと、遊びは重要だ。

だんだんと世の中の雰囲気が変わってきた。論理的なものになっていくけど、生き物的な感じから離れていく傾向を感じる。今回は、遊びから、自分個人が持っている力を大きくしていくはなし。

僕はかつて、その職人業界でトップクラスになれたことがあった。高校の時の大学模擬試験の地理で、全国2位になったことがあった。小2の時に日本の子供の代表の一人として絵が選ばれ、スリランカに日本の風景を紹介した。そういった体験から、今の遊び観や適性を見つけだすことに関して不満がある。心理学や論理で本物を見つけられるのかね?と思う。


よく ・初級者 ・中級者 ・上級者 という。あれ違う。中級レベルの壁は技術ではなく心得で、ものごとに対する心得があったらすっ飛ばせる段階。

中級レベルに長居する先輩方は多い。それでは機嫌が悪くなるよ。あまり思うようにいかないはずだから。いじめだってこういうものが関係してくると思うが。ともかくその心得とは、、

やることによって違うだろうけれど、例えばこう。「道具と仕事をすること」 つまり、道具仕事をするのではない。道具さんのやれることを超えることはできないし、素材さんの都合を超えることもできない。素材さんや道具さんの力や都合などをうかがいながら、自分の意図を強引に押し込まずに、なんなら単なる動力程度の存在になって、それで「匠(たくみ)」になれる。上級者だ。

頭(理論)とか感情で、強引に思い通りにできると勘違いした先輩たちはいつまでも中級フェーズから抜け出せない。アイデア勝負(頭:口)だとかになって、確率論で勝ちを取り合うことになる。それじゃ心が萎えるでしょ。生き心地悪いと思うよ。

中級をパスして強引さがなくなれば、生き心地は気楽になる。現実に則してくるし、ライバルを超えることではなく自分を超えて上達する面白さが大事になっているからだ。(簡単だから楽しい。→難しいから面白い←こっち。)

簡単じゃない方を選べというのもこれ。苦労しましょうと勘違いしちゃだめだけど。

やれたなと。自分やりおるなと。そう思えるだろう難度を選べれば、難しいけど面白いをやっていけると思うよ。欲しいのはハッタリや見栄じゃなくて、上達になるし。


初級者の段階は、そこで必要な基礎技術の習得時期。体感覚を身につけ自動的にやれるようになるのに3年(弱)かかるものも多い。高校野球で高校生トップレベルになるのに2年半かかっているでしょ?

上級者の段階では、基礎技術と基本の心得を持って、そこからオリジナルな感覚がブレンドされていく。無二のものになっていく。

学問知識でいえば、基礎になる学問が手薄だと、知に関して頼れないのだよ。実用的だとわかるものだけじゃだめ。豆知識の集合ではだめで、知の体系が得られていないといけない。知の初級段階を失敗しているし、それなりに使えるようになっても中級で止まってしまう。自分が活きないだろうからだんだんと機嫌悪くなる。

今はコンピューターで調べられることは身につけなくてもよいと言われたりしていて、そういうものもあるだろうけれど、そうではなく身につけないと能力の欠けになってしまうものもある。


上級者の感覚は他者と共有できない。→思考的、論理的なものではなく、感覚だから。←これ だから論理から自分を離してみることも必要なのだ。それが遊びだ。

遊んでトライアルを経て、自分の能力、自分の感覚になる。でもものごとに互換しているので自然体が優れる人々。また、そのあと基本を身につけて自動的にやれるようになると、トライアル時期の心が基本の上で自由になれる。なぜなら自動的にやれるなら考えなくてもやれるからだ。やり方とは別の感覚がやってくる。それが上級者で、機嫌よくいられる。つまり、


・トライアル時期 ・初級者(基礎習得) ・上級者(自分の能力が自由化)の三段階で考える方がいい。このトライアル時期は、遊びだ。

それで現代の考えに不満なことは、なにか始めようとする人に、やるのなら高い道具を買いなさいとか、よい先生に教わりなさいとか、場所とか、金のかかるものばかり、条件的に恵まれないとだめなことばかり言いだす。よい先生にというのは、才能を潰されないようにという意味なら大いに賛成だが。(教育の問題はこういうところも大きいと思う)

金で才能が買えるのかよと。馬鹿だと思うよ。先に能動性だと思う。間違いとは思わないが、当てはまるかどうかの確率でいったら、馬鹿馬鹿しいほど低い確率に一回しかない一生をかけてしまう。大人が、これが理想だと決めつけている。やめときなよ。遊びをせんとや生まれけむ、だよ。


子供時代には特に、興味が広がるまま“幅広く遊び”、大人になってからも適度にトライアルを続けるような進み方がいいのだろう。僕は自分の場合でしか体験できていないのだけれど、説明するならそう言う。

もう子供じゃないよ、、、というなら、少しの自由時間は確保して、いつもと違う、やったことのない遊びを、慣れるくらいには体験してみるといい。ただ遊べばいいのではなく、→遊びの幅を広げていこう←これ

少し慣れるくらいまで試してみて、そういった遊びをいくつもやった中から、もっと上達したいものが絞れてくるだろう。これは時間がかかることもあるかもだけど、楽しんでるなら損はしていないのだから、やってみよう。


遊ぶうちに自分一人でもやれることを発見して、その中からより上達したいものが見つかるという段階がトライアル期間だ。はじめにいい金払えよってのは能動性には関係がない。その後に初級者になって、努力なり基礎の積み上げなり、そういったものは必要になる。努力せずに手に入るものは大したことないもの。

別の言い方をすると、自分になれた気がするとは「適性を発見してそれを努力する」ことで得られる。

他者は関係のない、自分ひとりでも深めてやろうと思える遊びが大事で、それを伸ばしたらなかなかな個性になる。そうやって孤独期を超えたら、人それぞれ違うけれど自分を使いこなした人同士で、互換性を持てるようになる。

「共感」というと同じ感覚のものがあるように思えてしまうけれど、限定的だろう。「互換性」 言葉的に生命感がなくてナンだが、共感よりも互換性の方が、個の確立や生き心地には適した言葉ではないかと考えている。

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