【思考の整理】誰かを信頼するということ

初投稿からすっかり日が経ってしまいました。
何をどう書こうと悩みに悩んで、ひとまず最近の思考をぐだぐだと並べてみるのも悪くないかなと、そんな感じで2回目の投稿画面を開いています。
日記じゃないけどそれっぽい感じの何か。まあ、まずは書くことに慣れないと、ってことで。

さて、タイトルの「信頼」について。

最近、というかここもう1年くらいのわたしは、心が非常に不安定な状態だと自覚しています。
特にこの1~2ヶ月は、特に仕事において、じぶんの感覚や感情を少し失う、ということが増えました。

思い返してみれば、もう何年前になるか、わたしが前職を辞めたときもこんな状態でした。
仕事において様々なことで精神的に追い詰められ、逃げることも容易にはできず、だんだんと視野が狭くなり、ついに目の前は真っ暗、感情という感情はほぼ消え去りました。
何があっても嬉しくないし、楽しくないし、悲しくもないし、辛くもない。
ただひたすらに「無感情」が続く。
ごくまれに、無感情の蓋がフッと開く瞬間があって、混濁した感情が噴出して。
周囲からすれば、それはもうおかしな人間の姿であったであろうと、いま振り返って思います。

ある時にふと我に返った一瞬があり、そこをきっかけに死に物狂いで転職に繋げ、そこからしばらくは穏やかに過ごしていました。
新しい環境で、少しずつ、心の状態も回復に向かいました。

そして、最近。
わたしは再び、視界が少しずつ狭くなるのを感じていました。

それは、慣れない新しい仕事へのプレッシャー。
もともと、わたしは人間としてあまり器用な方ではなく、仕事でも少なくとも他人の倍は努力をしなければ人並みになれないくらいなのです。
そもそも仕事以前に、若い頃から、人としての存在価値をじぶんに認められず、ほとんど自信も持てないままここまで生きてきたのです。
そんななかで与えられた職務に対して、なんとか周りに迷惑をかけないようにと必死にもがいて向き合っていたところに。
ここ最近、周囲で予想も付かないような変動が続き、ついにわたしは、じぶんを保たせることが、難しくなりました。

前回の経験があるので、これではいけない、という気付きが早い段階で持てたのは幸いかもしれません。
しかし目の前の日々はわたしを待ってくれるわけでもなく、大した手も打てないまま過ぎてゆくのをただ見つめておりました。

しかし、本当につい最近、むかしといまの環境の違いに気付きました。
それこそが、「信頼」。

前職では、周囲を見渡せば怒号と嘲笑だらけ、わたしのように狂った人間も数知れず、どこにも安心の感じられない環境であったと思います。
しかしこんな環境でも、環境を理由にするのは言い訳、辞めるのは逃げ、この環境を変えられるくらいでないと仕事を変えたってまた同じことを繰り返す、と思い込んだわたしは必死に仕事に打ち込み、ついに閾値を越え、狂ったのでした。

一方で、いま。

正直なところ、安心感のある環境、とまでは言えません。
特に数年前あたりから、不信感に繋がる出来事が少しずつ増え、わたしも周囲も、傷ついたじぶんを守ることに必死になっている気がします。
前述の直近の周囲の変動にしても、そう。

それでも。
身近に、本当に信頼できるひとたちがいる、と気付きました。
それに気付いた瞬間、ほんの少しだけ、感情が戻ってきたのです。

一度傷付いているわたしにとって、誰かを信頼することは、ここしばらく恐怖でしかありませんでした。
仕事でも、転職後は、人間関係はドライに作っていけば良い、そう思ってきました。
一時期アドラーに傾倒した時期もありましたが、それでも他人への信頼は、範囲もレベルも限定的でした。

そんなわたしが、他人を心から信頼する方向に。
まだまだ回復と言うにはほど遠く、視野の狭まりも少しずつ進んでいる状況だけれども、そうやって時々、希望が見える瞬間もあると気付きました。


信頼しているひとには、こころを開ける。
信頼しているひとには、じぶんの持てる力を尽くすことができる。
信頼しているひとのためならば、すこし、強くなれる。

きっと、先はまだ長いはずです。
けれどももう少しの間、希望を捨てずに、信頼しているひとの方を向いて、日々を過ごしてみようと思います。
いつか、少しでも上向きになりますように。


#思考の整理 #人間関係 #信頼

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