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やさしくなんかない

幼少期から外ヅラが良かった私は、
よく優しいねと言ってもらえる機会が多かった。

そして実はそれが少し苦手だったりする。

多分それは、自分自身、自分の行動の本質が
優しさだとは思えないからだ。

行動の本質が本当に優しさから
きているものだとしたら、
きっと受け入れられる言葉なんだけれど、
決してそうではないのだから
私如きにそんな言葉を
かけてやらないで下さいと、
罪悪感を感じずにはいられない。

相手を思いやった上での
行動や発言が優しさだとしたら、
私が普段とっている行動や発言は、
後々自分自身に対して
どんな影響を与えるかを考えた上で取る
行動や発言となり、
結果それは自分都合でしかない。

例えば、仕事で腹が立っても
ぐっと堪えて受け流す。

これは空気を乱さないとか
上司に楯突かないとか、
周りを考えた優しさから出る行動ではなく、
相手に対して感情をぶつける事さえ億劫で、
そこに費やす時間が無駄であると
感じているからだ。

全く優しさなんてない。

私が思う優しい人というのは、
きっとこういう時、相手を思い、
自分の気持ちを素直に
伝えてあげられるんだと思う。

優しさを表す行動を知っておきながら、
私は行動しようとしない。

だから私は優しくない。

そんな私が最近別の観点から
優しさを知ることになった。

私事ながら、2ヶ月ほど前に
約4年半勤めた会社を退社した。

理由は様々あるが、
1番は信頼を裏切られた事で生じた不信感と、
自分を追い込みすぎたことにある。

正直、今までどんなに親しい人に対しても
等身大の自分を見せた事はなかったと思う
(こじらせの塊みたいで恥ずかしいけれど、
20歳頃まで唯一の理解者は
昔飼っていた愛犬だけだと思ってた)。

いろんな人にいろいろな顔をしすぎて、
自分が一体どんな人間なのかが
分からなくなって、
結局どの顔も嘘がバレてるんじゃないかと
ここ最近の私は思うようになった。

最近では1番努力してきたものが
仕事だったし、仕事の世界では
上手く生きてきたと自負していたから、
仕事の世界の自分がミスをした事
(退職を選ばざるを得なくなった事)で、
芋蔓式に全ての自分が壊れたように感じた。

仕事を辞めた時(厳密に言うと
辞めさせられたようなものだったが)、
誰かに今すぐ聞いてほしいのに
誰にも言えない本当の自分がいて、
初めて自分がこんなに殻に
閉じこもっていたんだなということを
思い知らされた。

たった1日で仕事もなくして、
独りでいることを痛感して、
どうやって明日を迎えようか本気で悩んだ。

ちなみにそれが誕生日の翌日の出来事。

今思い出しても最悪だし、
腹が立つし、悔しくて涙が出る。

それでもまだ外界との繋がりが残ってる
別世界の私がいるだろうと自分を強く持ち、
私を知ってくれている友人に
冗談半分、本音半分、
当時の気持ちを打ち明けてみた。

「今日仕事辞めてきたわ」

たったそれだけのLINEの文面だったけど、
すぐに連絡をくれた。

それから何回かやりとりをしたけど
本気で心配してくれているのが
ものすごく伝わって、
初めて大きな声を出して泣いてしまった。

恥ずかしい話だけれど、
26歳にして本当に初めて。

1人は急遽会ってくれることになって、
友人の顔を見た瞬間にめちゃくちゃ泣いた。

初めて泣いてるところを
友人に見られたと思う。

ただただ話を聞いてくれて、
たまに笑ってくれて、
それで私はものすごくすっきりして、
家に帰ってから
「私は全然0じゃないじゃん」と思った。

そしてまた別の友人は
命の安否までしてくれて
(実際そこまでは考えてなかったけれども)、
「あなたが存在してることを
思い浮かべるだけで救われてる人がいるって
覚えておいて」と言葉をかけてくれた。

自分の存在が、
誰かの人生に関わっていた事が
本当に本当に嬉しかった。

その日は生きてきた中で
1番最悪な日だと思っていたけど、
結果的に1番優しさに包まれた1日で、
プラマイゼロ、むしろプラスな1日だった。

この日を過ごしていなかったら、
きっと私は優しさの意味を履き違えたまま
生きていたと思う。

結局優しさというのは、
周りが決めていくものであって、
自分の物差しだけでは分からない
曖昧なものなんだと思う。

友人が私にしてくれた事は
きっと優しくしてあげようと思って
とった行動ではなくて、
私を思ってとってくれた行動を
私が優しさだと判断した。

そこでもう一つ学んだ事。

優しさは相手がいて成り立つものであって、
自分ではそんなつもりがなかったとしても、
相手を思った行動が、
結果優しさを感じさせるのだと思う。

だからね、きっと優しくない人なんて
この世にいないと思うんですよ。

みんなが誰かの為に生きてる。

それだけのことなんだけど
そう考えると世界は優しさで溢れてる…

26年間生きてきて、
ようやく優しさの本質に
触れられたような気がする。

大きな事は言えないけれど、
今日も自分の大好きな人達に
笑っててほしいなって思えたら、
それはもう立派な優しさじゃないかなって
今の私は思います!

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