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【悲惨!】孤独な空気中学生。

【嗤う狂人 社会不適合者、生誕の秘密】 #002

私は小学校ぐらいの時から志村けんさんが大好きで、
バカ殿様やだいじょぶだぁなどをしょっちゅう見ていた。
テレビで志村けんさんがおもしろいコントをしているのを家族で観る時、
その時だけ、あの真面目でいつも難しい顔をしている父が、少し笑うのだ。

私は、父が笑うのが観たかったのかもしれない。
大爆笑はしないけど、少し「ふふっ」って笑うのだ。
私にはそれがすごくうれしかった。

と同時に、
こんな父を笑わせる志村けんさんがすごいと思った。
人を笑わせるってすごいことだなって思った。

もし自分が志村けんさんみたいにできたら父は笑ってくれるだろうか?
大爆笑じゃなくてもいいから少しでも「ふふっ」って
笑ってくれるだろうか?
そのときからすでに「笑いの世界」の入り口に立っていたのだろう。

私は学校や親戚の前でまるで志村けんさんのように
バカなことやおかしなことをやるようになった。
変な顔をしたり、変な踊りを踊ったりした。

当たり前だが、志村けんさんがやっている芸とは
雲泥の差、志村さんを真似ている、なんて失礼すぎて
言えないような奇行を繰り返すようになった。

それを見て、人は笑った。
私は、笑われていた。

そう。私は笑われていたのだ。
ゲームも持たず、お小遣いも持たず、変な服を着て、
おかしなことをしている変なヤツとして笑われていた。

学校ではからかわれても決して泣いたり怒ったり、
チクったりせず甘んじて受ける。
私は背が低く、体重も軽いし腕力も弱いから簡単に持ち上げられて、
振り回されたり関節技をかけられたり。
そういう時も、テレビで観た志村けんさんが竹刀で叩かれた時を思い出してリアクションをする。
それを見たほかの子らはまたやり続ける・・・。その繰り返し。
いじめられていたとかそういうことじゃない。


単純に自分から尊厳を捨てたのだ。

私自ら、ひとりになるのが怖くてどんな扱いでも文句は言わないと、
自分を捨てた。

しかし人からそんな扱いを受けて平気だということではない。
心の奥底では嫌だったし、泣きそうだった。
笑っている同級生の顔が怖かった。

どこまでやれば気がすむのか、どこまでやられれば
「友達」だと認めてくれるのか。

どうなったら私はひとりでなくなるのか。

学校では精神的にも肉体的にもからかわれていた。
自ら尊厳を捨て、人から笑われる毎日は続く。

それはそれで人気といえば人気のうちだろうと我慢した。
とりあえず学校の休み時間はゲームの話ばかりだったのが、
私をいじくり回すという一部の集団が現れたために
私は一人ではなくなった。

持ち上げられ、
振り回され、
プロレス技みたいなのをかけられながら
変な声を出したり、変な顔をする。
みんなが笑う。
笑われながら、まるでテレビの画面のように自分を客観視していた。

父は笑っているだろうか?


小学校はそんなこんなで乗り越えた。
変なヤツとしての確固たるキャラを携えて、立派に卒業した。

しかし、まだ本当の地獄の入り口にすら立っていなかった。

中学生になって全てが狂った。みなさん思春期である。
最近の言葉で言えば「スクールカースト」が出来上がる。
私は、一番下のそのまた下にポジショニングされた。

人気者グループ、不良、スポーツ系、オシャレさん、
勉強ができる子、オタク系、地味系などの
どの類にも属さない一番下の最階層。
みんなには私が見えていない。


入学してすぐ空気になった。


今でこそそんなことはないかもしれないが、
“お笑い”というカテゴリーは人気者グループが権利を持っていた。
どんなにおもしろくなくても人気者グループがやっているから
おもしろいということになる。

逆を言えばどんなにおもしろくても
ある階層より下の子がやると“調子に乗っている”とのことで
上階層の子より注意、警告、ひどい場合は執行
という形で実害を及ぼす場合がある。


中学生になって私は小学校の時のようにいじくられることはなくなった。
ある特定のグループがいじくられる役割の子を囲っているのだ。
だから、いじくる側は私なんて必要ないのだ。

いじくられることさえない私はただの変なヤツである。

またひとりになった。


人気者グループのようにみんなで買い物にもいけない、
不良のように強くもない、スポーツには向かない、
流行りの服は買えない、買ってもらえない。
「ツルシの服」は子供服だったので中学校になってからは
着せられなくなった。
もちろん普段は制服なので休みの日などは唯一持っていた家着用の黒いパーカーと貰い物の真っ青なデニムのみ。

オタクと言えばやはりゲームなので無理。
当時まだアニメや声優といった波はきていなかった。
私のリアクションや言動は地味系にとってはテイストが違い、
ひっそりと過ごしたい彼らには刺激が強すぎ、敬遠された。

朝、学校に行き机に突っ伏して寝る。
誰かを呼ぶ声、何かを落とす音、いろんな音が耳に入ってくる。
誰も私がここに座っているなんて思ってないのだろう。

理科の実験の授業でもひとり。
体育のサッカーではどっちのチームなのかもはっきりせず、
形だけフィールドにいて立っているだけ。

昼ごはんも食べなかった。
理由はパンを注文しないといけないのだけど、朝学校へ着いた時にはもう注文用紙が購買部に提出されているということが一点。

もう一つが母親が昼ごはん代とのことで200円をくれるのだが、
少なくとも一番安いパンで100円、
飲み物を買うとなるとパンを二個は買えない。
成長期でお腹が空くのは当たり前でパン一個では
足りないと思い、昼ごはんはきっぱり諦めた。

だから大人になった今でも食に関してはほぼ無頓着である。
ほぼ1日一食、食べなければ食べないでいいし、
“おいしいもの”をわざわざ探して食べに行こうとも思わない。
お腹が空き過ぎたらなんでもいいから空腹さえ感じないように
何かしら口にする。

この無頓着さが後に大きな事件へと発展するので期待していてほしい。


さて、昼ごはんに関しては自己都合なのだが、
学校の授業に関しては納得いかない。
これだけが理由ではないが私が「学校教育」に対して
いい印象を持っていない
のはこういう理由からである。

体育で私がどっちのチームにも属していなかったことや理科の授業でひとりだったことその他、他の生徒と絡む場合
目に見えてひとりだったにも関わらず、
教師陣からはまったく何もなかった。
ほんとに見えてないのでは?と疑った時もあった。

別に教師や学校に助けて欲しかったということではない。
他力本願でなんとかしてほしい、とかではなくて、
「ここにいる人間が見えているのかどうか」ということである。

見えてないわけではないはずだ。私は空気ではないはずだ。
それを放置できる教師どもの人間性が納得できない、と言っているのだ。

優しく声をかけてほしかったわけでもない。
むしろ授業なのだから、ちゃんと言われたことをやっていない私を叱ってもよかったはずだ。
私は教師が
「よくわからないものは見えてないことにします。」
そう言っているのだと解釈した。

私は中学校生活の大半を、生きているか死んでいるのか、
存在しているのかしていないのか、わからずに過ごしていた。


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