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ポストヒューマニティーズとはなんぞや④

内田樹の「寝ながら学べる構造主義」を読み、まとめている記事です。哲学書コーナーづくりに悩む書店勤務のわたくし。
構造主義、ポスト構造主義、ポストヒューマニティーズをぼんやりふんわりと理解し棚づくりに活かしたい、哲学初心者のメモがき。


構造主義、というやつは、それまで人の内面、存在、が重視されてきた考え方から、「人は自分の内側で、自分の感性に従って考えるのではなく、外側の要素によってその考え方を規定されている部分が多くあるのではないか」と、考え方が大きく転換したムーブメントのこと、らしい。

マルクスがその外側の要素として、「階級」、「労働」を設定したのに対して、別の外側の要素に着目したのが、ジグムント・フロイト。

「無意識」の発見だ。

無意識とは、自分では感知できない心の動きのこと。例えばAかBかを判断するときに、じぶんがなぜAを選んだのか、それは、自分では意識していない、抑圧された理由があるのではないか?と考えるのが無意識の働き。

私でも小耳に挟んだことがあるくらいだから「小部屋と番人の話」はきっと有名なのだろうと思うが(意識の部屋と無意識の部屋は隣り合っており、その境目には番人がいる。番人の許可がないと無意識→意識の部屋には入れないが、私たちは番人の存在も、番人の判断基準も知らない、だからどんなものが無意識の中に入っているのか、感知することは出来ない)、
人は、自分が何故Aを選んだのか、本当には知らされていないのではないか、とフロイトは考えた。
ブラックボックスの中で自分の心がどう動いて、嫌悪や感動を呼び起こし、また見えているはずのものを「見ない」と判断させ目を背けたのか、それは知りようのないことだという。

現代でも、「彼の何がそうさせたのか」というような言い回しは当たり前のように使われるし、例えば「リモコンないんだけど!ああ、ここにあった。無意識においてたわ」的日常会話にも、無意識は違和感なく存在する。それだけ、無意識は私たちの中に根付いていて、今でも有効であり続けているのだと思う。


それからもう一人、後世に大きな影響を与えたのがフリードリヒ・ニーチェ。

ニーチェの思想は、

自分を中心に考えるな、というところが構造主義につながる部分。

古典の翻訳家でもあるニーチェは、いま自明と思われている事柄は、実はある時代にたまたま定着した偏見のようなもので、永久普遍ではない、ということを身をもって実感していた。

古代の人々の社会体制や身体感覚を理解するには、その時代を実際に生きた気持ちになって、他者を内側から追体験するべきだ、と考えた。古典文献と向き合い、膨大な資料による基礎づけと大胆な想像力により実践された「共感力」が、ニーチェの特徴。

私たちは、自由に思考しているつもりかもしれないが、実は自分の思考がどこからやってきたか、どのような系譜を辿って、どんな時代背景を参照しながら考えているか、それらを知らずして自由な思考とは、ちゃんちゃらおかしいね!と、ニーチェは同時代の人々を激しく批判したらしい。

私たちの思考は実は自由ではなく、外的要素に左右されている、というところが構造主義の流れにつながる部分。

ニーチェといえば「超人思想」が有名人らしいが、その部分はここでは割愛。

ニーチェの「過去を理解するにはそれが起きた瞬間に立ち返って、追体験しなければならない」というアプローチは系譜学と呼ばれ、ミシェル・フーコーに受け継がれていくらしい。

こうしてマルクス、フロイト、ニーチェなどの思想家によって徐々に更新されていき、ひとまずソシュールに辿り着くそうです。ソシュールは、構造主義の父と呼ばれている人。ということで次回はソシュール!


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