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君のいる景色 5

 大晦日。景子は茅ヶ崎の実家に帰った。
「ただいま。」
海に近い景子の実家は、日当たりの良い庭のある二階建ての一軒家だった。
「おかえり。」
父と母が玄関で出迎えてくれた。ラブラドールのハナが大喜びで景子に飛び付いてきた。
「ハナ!会いたかったよ。」

 リビングのソファーに座ると、母がお茶を出してくれた。
「お父さん、お土産。」
景子は早速、神川酒造の日本酒を父に渡した。
「景子が日本酒を持ってくるなんて珍しいな。」
「頂き物なの。お正月だからね。結子達も来るんでしょ?」
毎年お正月は、妹の結子一家が姪の日向子を連れてやってくる。
「日本で一番新しい酒蔵のお酒なんですって。」
「ほーお。どれどれ……」
 景子は愛犬のハナの頭を優しく撫でていた。ハナは景子が実家を出た2年前、母が買ってきた犬だ。父は孫の日向子の名前にちなんでハナと名付けたらしい。まだ若いハナはかなりのヤンチャで、いつも和ませてくれる。
 正月準備に忙しい母は、キッチンに籠ったきり出てこない。
「お母さん、何か手伝おうか?」
「助かるわ。」
「私、手を洗ってくるね。」
腕まくりしながら洗面所に行くと、景子はここで毎朝妹と場所取りの小競り合いをしていたことを思い出した。今から思うと懐かしい。
 
 手を洗いながら鏡で自分の顔を見ていると、ふと高校時代の友人の顔を思い出した。それほど美人なタイプではなかった彼女が学校の姿見の前で髪を直し始めた時、鏡越しにハッとするほど可愛らしい表情を見せたのだ。
 鏡の前では無意識に、自分が一番良く見える表情を作るものなのかな?
「うぬぼれ鏡か……」
景子自身友人といる時の顔、仕事をしている時の顔、雄大といる時の顔、両親といる時の顔、全部自分の顔と思っているけれど、もしかして人には全然違う別の顔が見えているのかもしれない。女はいくつの顔を持つのだろう?
 鏡に向かって目をパッチリと見開き、口角をちょっと上げてみる。
「心がけだけでもね。」
一人つぶやきながら、景子はキッチンに向かった。

 翌日の元旦、景子は母とリビングに座卓を出しお節料理を並べた。父はハナを散歩に連れ出した。年賀状を見ながら待っていると、やがて妹夫婦の車が到着した。
 庭先で、ちょうど散歩から帰ってきたハナに姪のヒナが抱きついている。
「ヒナちゃん、いらっしゃい。」
「明けましておめでとうございます。今年もお世話になります。」
結子がヒナの手を引いて玄関から入って来た。
「卓也さん。いらっしゃい。」
母が結子の夫、卓也をリビングに案内する。
 父がハナを2階の寝室に連れて行くと、ヒナがグズりはじめた。
「ハナだけ一人でかわいそう……」
「ヒナちゃん、ハナはお姉さんだから一人でも大丈夫なのよ。」
景子がヒナをなだめる。
「ヒナもお姉ちゃんだもん。ね、ママ。ヒナもお姉ちゃんになるんだもんね。」
「え?」
「二人目できたのよ。」
「いつ?予定日は?」
「8月の予定。」
「おめでとう。早速、今年の楽しみができたわね。」
母は大喜びだ。
「ハナ!ヒナ!だから、赤ちゃんはフナがいいよ。ママ。」
「えー!フナはお魚の名前だよー?」
家中が明るい笑い声であふれた。

 父は早速、日本酒を卓也に勧める。どうやらこれを楽しみにしていたらしい。
「ヒナちゃんは何がいいの?」
「ピンクの!ピンクの!」
「はい、はい。ピンクのカマボコね。」
母は、ヒナの世話を焼くのを楽しみにしていたようだ。
「卓也さんの実家には行かなくていいの?」
景子が気を回して聞くと、
「明日、親戚が集まるから来てって言われてるの。今年はこんな体だから無理しないでって。」
「よかったじゃん。ねぇ、ヒナちゃんもうあいうえおがわかるのね。」
「絵本を買ってやったら覚えたみたいなの。読んで、読んでってうるさくって。」
久しぶりに会った姉妹の会話もつきない。

 宴もたけなわに盛り上がった頃、突然2階でヒナの泣き声がした。
「ヒナちゃん?」
ハナが2階の階段から飛び降りてきた。ヒナがいつの間にか2階の寝室に入ってハナを放してしまったらしい。
 結子があわてて2階のヒナの様子を見に行く。母は重箱を持ってキッチンに逃げる。
「お餅はダメ!」
ハナがお餅でノドを詰まらせては大変と、景子はお雑煮のお椀をかき集めた。卓也はお銚子とビールを抱えてオロオロしている。ハナを捕まえようとした父が座布団でスベってハデに転んだ。
「お父さん!」
ハナは座卓にダイブして取り皿に残ったご馳走を片っ端から食いつくしていく。その素早いこと!
 ようやっと、父がハナを取り押さえた。
「お父さん、大丈夫?」
母が駆け寄る。
「ああ。スベっただけだから大丈夫だよ。」
惨憺たる有り様に皆笑い出した。
景子も笑いながら、大泣きするヒナをなだめていた。


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