子供の道は誰の道か。子供が「言うことを聞く優しい子」でいてはいけないワケ

こんにちは、Vです。

だんだん蒸し暑くなりつつある6月中旬の深夜ですが、こんな夜は自分の過去から、親と子供の関係、特に将来について考えてみたい。

まず大前提として僕は親のことをあまりよく思っていない。両親から見れば「何を考えているかわからない」という印象が一番強いと思う。昔から人との衝突を避けてきた身であり、目の前の人間の機嫌を損なわないようにすることを第一に生きてきたので、自分の意見を表に出すことがなかった。相手が他でもない肉親であろうと意見に意を唱えることは避けてきた。

「年若い自分が数倍生きている人間の言うことよりも正しい意見を持つはずがない」と考えていたから。

齢26にもなり振り返ってみれば、良い高校を出、いわゆる“堅い“国立大で修士号をおさめており、社会人となり働き始めればその考えも薄まるというもの。
これまで抑えてきた自分の意見を少し表に出すようにしてみたが、肉親の反応は「冷たくなった」という印象のみだった。
突然反抗期がきたと思われたのかもしれない。それか思春期か。

表に出すようになった意見のひとつに僕自身の将来についてもあった。案の定それも突っぱねられてしまったので表題のような駄文を書き連ねるに至る。

両親との不仲については僕自身反省する部分もあるので文句はこれくらいにして、本題。

本題

よく聞く話に「子供の将来は親が決めるべきか」という議題がある。答えはもちろん「NO」だろう。(言い切るべき部分については参考を引くべきなのだろうがここは僕の独壇場なので許して)

「子供は社会に返すもの」
「あくまでも親は子供を社会に出れるよう育てるまで」
という意見をよく聞く。

大人がペアになって子を生み育て、社会に送り出す。
送り出された子供は社会人の一員となり働きながら後継を育てる。社会を存続させる仕組みで考えればそれはそう。

でも親も子供も人間である以上はそこにそれぞれの意思が絡む。特に親からしてみればこれまで色々な意味で手塩にかけて育ててきた子供が一見荒唐無稽で破滅的な道に進もうとしているのを止めるのは当然だろう。しかしそれは本当に荒唐無稽で破滅的だろうか。大きくなってから突然出てきた本人の希望は本当に突然出てきた考えなのだろうか。長年内に秘めていたものではないのか。

日々粉骨砕身の思いで子育てに勤しんでいる親と呼ばれる方々は考えてみて欲しい。「大なり小なり、子がやりたいと言ったことをやらせているか」を。

習い事、中学受験、部活、高校進学、文化祭の役割、体育祭の応援団、大学進学、就職は子の希望を聞いているか。「なんとなく無難な道を選んでおけば後で困らないから」という理由で普通科高校、総合的な諸大学を薦め、そこでの過ごし方も目立つことを避けさせていないか。それは本当に子にとって無難か。

僕のように幼少期から「親のいうことを聞いておけばいい」「親はこう考えているだろうしこう振る舞えば波風立たない」と思っている子供は将来自分のやりたいことが選択肢の範疇にないことに気づきそこそこ絶望する。

「言うことをよく聞く優しい子」は自分の将来像が無い、もしくは無理して親の意向に恭順している場合があるので注意が必要だと思う。

ちょっと私情(僕の場合)

そういえば両親は僕が悪目立ちすることをひどく避けるきらいがあった。
小学校の時に進級した際のレクリエーションでクラス向けに「どの天気が好き?」と言うアンケートをとったことがある。
なんとなく目立ちたかったので「雨」を選んだら一人だけだった。それで母に叱られた。要するに「普通の回答をしろ」と言う話だった。

前述したように僕は大学に入るまで自分が将来何になりなりたいか具体的な希望を持ったことがない。中学の時に抱いていた「製菓の道に進みたい」という希望なども話すこともあったが、「一旦普通科の高校に行ったら?」と言う意見に従った。それに反発するほどの情熱と根拠が用意できなかったから。中学の成績が良く、所謂進学校に行ける見込みがあったせいもあろう

考えてみれば今界隈で活躍している諸兄はその「周囲の反対を押し切る」情熱があったんだろうとも思う。残念ながら僕にはなかった。

高校の応援団に入るのも止められた。理由は「勉強する時間が減るから」。
まぁ当の本人も面白そうだからというふわっとした理由しか持っていなかったのでここでも押し切ることはできなかった。

大なり小なりそう言うことが積み重なり、僕の中には「無難な道以外は希望しても無理」と言う思考が染みつき、意見を親にぶつけられない子供が出来上がった。

「親のせいにするな」と思うだろう。それもめちゃくちゃわかる。
誰かに責任を押し付けたいだけだから本気で怒らないでほしい。ただこう育ったという事実があるだけ。

そんなこんなで結論:子供に責任を負わせると良いかも

上記のような経験が積み重なり、こうなったのは親のせいだというモンスター息子が出来上がったわけだが、昔から選択をさせてもらえれば違ったのかもしれないと思う。

なんにせよ子供にやるorやらないの選択をさせて、その責任を負わせる。責任が伴う意識があれば子供も慎重に選択するようになるだろう。

「自分で選択をした」という自負が、本人の力にも枷(良い意味で)にもなる。

そういう意味では、僕は今まで「親に従う」という選択をし続けてきたとも言える。違うのは責任を負う意識があったかどうかだ。僕にはなかった。

僕「親の選択に従う(責任は親が取る)」
親「子供(僕)が選んだ道(子供が責任を負う)」
てな具合なので親からすれば良い迷惑だろう。他責だと思っていたものが本人から「お前のせいだ」と言われたようなものだ。

もうひとつ大事なのは、その選択が本当に子供の意思なのかを親が判断できるかどうかだと思う。

じゃあその判断はどうするのかって、そんなもん目の前の子供と話合って欲しい。僕にもおそらくそういう時が来るのだろう。

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こうして形に残しておけば何かの役にたつと信じて今日はもう眠いし飽きたので一旦筆を置く(お疲れ様でした)

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