幻の蝶

 外から声が聞こえてくる。それはいつものことだが、今は楽しそうな中にも密やかさがある。声量も控え目だ。
 ここは学校。
 何をしているのか、逆に気になる。中庭との通路の近くにいた人が、教えてくれた。

「蝶が来ているんですよ」

 蝶?思わず、ウタは聞き返していた。まだ春ではない。

「アサギマダラっていう、珍しい蝶なんだって」

 他の人が補足した。続けて、渡りをするのだとか説明があったが、それを聞く間もなく、女の子が通路の入り口に駆け寄って来た。

「見て!」

 網戸越しに興奮して今にも飛び跳ねそうに言う、目の大きい小さなこの子は、エマという外国人みたいな名前だ。
 普段は一つ括りの長い髪を、二つに分けて結んでいる。友達にでもしてもらったか。
 ともかく、エマが主張すると、大事なものを見逃す気がして、ウタは釣られて中庭に出ていった。

 他の大事なものも見逃してきたから、自分は今でも学校にいるのか。それとも、反対に全てのものを見ようとしたからか。
 花壇に向かう短い間に、ウタはそんなことを考えていた。

-アサギマダラ、飛来の地

 確かに、蝶の絵と共にそう書かれた札が立てられていた。しかし、その姿はどこにもない。

「遅いよ!」

 そう、ショウという元気の良い男子が言った。

「飛んでっちゃった」

 間に合わなかったということだ。例によって。

 しかし、そもそも本当にいたのだろうか。幻の蝶だというのに。ウタは半信半疑だった。だから残念という気持ちもない。
 仕事があるのだからと戻ろうとした。南館の壁に背を向けて。外は曇りで薄暗い。

「あっ」

 エマの声に、後ろを振り向くと。
 頭の遥か上を蝶が、飛んで行ったように思った。薄青い羽をひらひら、はためかせて。
 でもそれは目の端をかすめただけで。実在といえる程の確かさもなく。
 なるほど、だから幻なのか、と、ぼうっとしながら歩き出した。

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