平田仁子のセオリー・オブ・チェンジ (第一部)
(この記事の英語版はこちら)
気候ネットワークと共に石炭火力発電への対抗
僕が平田仁子と対談した日に繰り返し出てきた概念が、「セオリー・オブ・チェンジ」だった。セオリー・オブ・チェンジとは、どうすれば望まれる社会変革を起こせるのか、つまり変化の理論だ。
平田は草の根環境活動家に対し授与されるゴールドマン環境賞を受賞し、英BBCが選出する世界で最も影響力を発揮する女性100人の一人に選出され、さらに日本の気候変動政策への発言で海外メディアから引っ張りだこである。にもかかわらず、彼女は自分自身、気候変動政策や活動に関する専門知識がないと常に感じていた。
「でも逆にそのおかげで、なんでもできたんですよね」と平田は言う。
なんでもできる。彼女はその信念を行動に移した。世界は脱炭素化に向けた大きなエネルギー転換をこなそうとしている。日本をより積極的に脱炭素化に向き合わせる術は何なのだろうか。
その答えを見出すため、平田は数々のセオリー・オブ・チェンジを試してきた。政策提言、草の根の脱石炭火力キャンペーン、株主提案の行使、地方自治体への助言、シンクタンクの設立、そして日本国内外における気候変動分野での広範で深いネットワークの構築に取り組んできた。
試行錯誤を重ね、平田は日本のあらゆる変革のレバーを引いている。そのすべての道のりを通して、あるいはその結果として、彼女の人々に対するより良い未来への信念は揺るぎない。
一体何が彼女の原動力となっているのだろうか?多岐にわたる経験を通して、彼女は何を学んだのか?日本や世界における気候変動対策の展開をどう見ているのか?昨年9月、僕はこうした疑問を平田仁子に投げかけた。
気候ネットワークへの参加
大学生の頃、平田は気候変動が深刻な問題であり、その解決に貢献したいと思い始めたそうだ。時は1990年代初頭。気候変動に関する国連会議がそのわずか数年前に開かれたばかりであり、日本を含む大半の政府は気候変動の脅威を真剣に受け止めていなかった。
気候変動に懸念を抱き、何かしたいと思う人々の行き所は限られていた。「何かしたいと思ったときに、政治家でもないし、企業に入っても必ずしもできるわけじゃないし」と平田は当時を振り返りながら言った。「真正面から向かえるのはNGOだなって思った。」
しかし日本のNGOの数は少なく、規模も小さかった。日本に拠点を置いていた国際NGOはほんの一握りで、日本の事務所にはスタッフが一人か二人、というのが現状だった。「日本で気候変動のNGOってあってもないような感じだった、」平田氏は苦笑する。
(本ブログの自然エネルギー財団の大野輝之氏とのインタビューでは、日本のNGOが資金調達や影響力を持つのに苦労している理由を簡潔に説明している)
一方、米国のNGOやシンクタンクは活気に溢れていた。そこで彼女は、気候変動交渉を間近で観察し、本場NGOの活動を学ぶために、ワシントンDCに拠点を置く非営利団体 Climate Institute でインターンとして勤める決意をした。
1997年の第3回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP3)で京都議定書が採択されたのは、彼女が米国に滞在していた時のことだった。その頃日本では、京都議定書を機に、今や日本で最も著名な気候NGOの一つとなる気候ネットワークが結成された。
気候ネットワークの前身である気候フォーラムは、京都議定書を確実に成功させるために活発に活動していた団体だ。議定書が採択されると、1998年4月に気候ネットワークに改名した。その2ヵ月後、平田の猛アピールは実を結び、彼女は気候ネットワークの東京事務所に加わった。
政策提言に励む日々
気候変動の解決に向けた最善のアプローチに関する議論は、しばしば個々の行動と制度改革という二項対立に帰結しがちだ。気候ネットワークおよび平田のアプローチは、明らかに後者である。
具体的には、気候ネットワークの初期の活動は、政策提言に重点を置いたものであった。これにはもっともな論理があったからだ。そもそも気候変動は世界的な問題であるため、気候変動対策は、世界中の市民社会が関与する世界規模の規則作りの枠組みに根ざしたものであるべきなのだ。国際協定(京都議定書や2015年のパリ協定など)が締結されれば、あとは国内法を通じて国レベルで実施されるべきである。それが気候ネットワークのモチベーションだった。
焦点となる枠組みが国連であることは明白であったため、気候ネットワークはすべてのCOP(国連気候変動会議)に参加した。そして京都議定書が採択された後は、日本が協定に沿った法律を制定するよう提唱に励んだ。
「日本以外の国、COPのプロセスから降りてくると、一番強いと思ってたの。とにかく良いルールをここで作りたい」と平田は当時を振り返った。
こうした政策提言の必要性は明らかだった、と平田はいう。また、日本政府は、最終的に京都議定書に結実したCOP3の開催を強く望んでいたのも事実である。だが、平田によれば、日本の指導者たちはCO2排出量の大幅削減という過酷な課題に取り組む意欲に欠けていたという。
草の根活動へのシフト
気候変動に難色を示す政府に働きかけようと試みるのは、困難な戦いそのものだった。そして2011年以降、その困難はより一層険しいものとなった。東日本大震災と福島原発事故により、政府は国内の原発の停止を余儀なくされた。太陽光発電を拡大するための新たな政策は一定の成功を収めたが、福島原発事故後の日本では、石炭火力を含む化石燃料の利用が増加し、原発停止が残した電力不足を埋める結果となった。
原子力によるベースロード電力の損失を補うため、政府は新規石炭火力発電所の環境影響アセスメントを短縮する措置を講じたことが明らかになった。政府が許可を出したことで、2011年以降、石炭および石炭輸入への支出は急速に増加し、エネルギー企業は石炭発電所の新設計画を急速に進め出したのだ。また、気候ネットワークは、2016年7月時点で、石炭発電所の新設計画は合計22.8GW以上にのぼると推定している。
石炭推進の政財界の環境で、平田は法改正を促す戦術はもはや打つ手がないと悟った。「当時安倍政権だし、全然関心ないし。政策で止めてる場合じゃない、もう計画が立っているので。」
そのうえ、世間はまだ石炭火力の環境影響に感づいていなかった。原発事故により、それまでニッチな政策課題としか考えられていなかったエネルギー問題は、世間の厳しい注目を浴びることになったのは確かだ。しかしその関心はすべて原発の危険性に向けられており、化石燃料が環境に及ぼす影響には向けられていなかった。「まあ周り見回したら反原発運動はたくさん、その当時だったからあるんですけど、石炭についてはほとんどの人が知らないし、反対運動もない。昔の公害の時以来ない。」
こういった難局に置かれ、気候ネットワークは戦略の転換を余儀なくされた。政策提言に打ち込み続けるより、石炭発電所が建てられるであろう地域の人々に直接働きかける必要があった。
それまで、平田には草の根活動の経験など一切なかった。「もともと私、グラスルーツのキャンペーナーとか、講義したりするタイプって自分でも思ってなかった」 と平田は認める。
米国の環境NPO Sierra Club(シエラクラブ)の支援を受け、気候ネットワークは少しずつ歩みを進め始めた。また、日本全国に点在する石炭火力発電所のデータを地図にまとめ、ウェブサイト上の石炭関連のページを海外の読者向けに英訳した。そして、少数のスタッフを石炭発電所が計画されている地域に派遣し、活動を始めた。
気候ネットワークが重点的に取り組んだ場所の一つが仙台市だ。
大手電力会社の子会社が石炭火力発電所である「仙台パワーステーション」の建設を計画していることが2014年に報じられ、必要となる石炭の量から、稼働後は年間約60万トンのCO2やその他の大気汚染物質が排出されることが分かった。しかし、発電容量が110.25MWの基準をわずかに下回っていたため、「小規模」発電所として分類され、環境アセスメントの対象から除外されてしまったのだ。そのため、仙台パワーステーションは大気汚染防止対策についての情報を何一つ開示せずに建設を始めた。
不安を抱くわずかな住民と共に、気候ネットワークのスタッフは事業者に書簡を送り、透明性の徹底を求めた。そして、事業者がようやくプロジェクトの主な詳細を開示した時、この発電所が旧式の低効率技術を採用していることが明らかになった。また、原発の環境や公衆衛生に及ぼす影響について地域住民に注意を喚起するため、気候ネットワークは大学教授や地元の政治家、生活協同組合とも協議を始め、セミナーを開催したが、当初は数人しか集まらなかったという。
当初は、ほんの一握りの市民しか関心を示さなかったようだ。3.11に爆発したのは石炭火力発電所ではなかったし、評判が悪くなった原発に比べれば、石炭火力はより安全で、自治体にとっては良い税収源だと思う人も多かった。
しかし気候ネットワークは粘り強く活動を続けた。およそ3年間にわたり、石炭火力が大気質に及ぼす影響や、その影響により家族の健康や地域の生態系にどのような害がもたらされるか、また、一般的には「汚染」とは見なされない二酸化炭素排出が今や人類が直面している気候危機の主な原因であることも根気強く説明した。
幾度の対談やセミナーを重ねるうちに、脱石炭デモに参加する人々が増えていった。そして、発電所の建設中止を求める署名運動は、仙台市とその周辺の住民から47,000人以上の署名を集めたことも報告されている。
2017年3月に行われた発電所事業者の説明会には、約500人の仙台市民が集まり、質問や懸念を投げかけた。メディアはこの出来事を大きく取り上げ、地元の政治家や環境大臣までもが事業者を批判する事態となったのだ。
最終的に、市民とキャンペーナー共同で事業者と長期にわたる訴訟に突入したあげく、残念ながら仙台地方裁判所は2020年10月、市民の訴えを棄却する判決を下した。
しかし、その過程においていくつかの勝利も得られたことは確かだ。この脱石炭火力キャンペーンにより、仙台市は今後の発電所事業者に対し、建設に着手する前に徹底した環境アセスメントを実施し、地域社会と関わりを持つよう方針を策定することになった。こうした人々の思いを汲んでか、日本政府は既存の「非効率的な」石炭火力発電所を段階的に廃止し、2030年の日本のエネルギーミックスに占める石炭の割合を削減すると発表した。(ただし、仙台発電所は新設のため、この段階的廃止の対象外となった)そして最後に、仙台でのキャンペーンは、気候ネットワークと他の環境NGOが、国内の石炭火力発電所を地図化しトラッキングするウェブサイト「Japan Beyond Coal」を立ち上げるきっかけとなった。
仙台での努力は気候ネットワークの脱石炭火力キャンペーンのほんの一例に過ぎない。気候ネットワークのスタッフは日本の他の地域でもキャンペーンに取り組んだ実績がある。総じて、計画されていた50基の石炭発電所のうち、20基が正式に中止されたか、建設が進まなかったことが判明した。平田は、こうした中止は草の根活動の賜物だと確信している。
彼女は、こうしたキャンペーンを通じて、小さなキャンペーンが大きな運動へと発展する可能性があることを学んだと語った。
株主の力を行使
草の根キャンペーンが終わりを迎える頃、平田は海外の金融業界が気候変動問題への取り組みにも関心持って見張っていた。欧米では「ESG(環境・社会・ガバナンス)」が流行語になりつつあり、2015年には「気候関連財務情報開示タスクフォース」が発足し、企業が気候変動リスクを投資家に開示するための自主基準が策定され、ダイベストメント運動や気候変動関連の株主提案が相次いでいたのも記憶に新しい。
しかし、こうした傾向が日本の金融界に波及する兆しは見られなかった。これを受けて、気候ネットワークは2020年に日本で初めての気候変動関連の株主提案を提出することになったのだ。
これを実現するために、気候ネットワークのスタッフ数名がみずほフィナンシャルグループの株を購入し、2020年6月の株主総会に提案書を提出した。みずほは日本の三大銀行の一つであり、当時はその中で最も気候変動政策が弱かったことも事実だ。特に気候ネットワークは、みずほが石炭火力を含む化石燃料プロジェクトへの大規模な融資と投資を続けていることが、パリ協定への支持を公言していることと真っ向から対立していると指摘した。
提案は簡潔だった:
化石燃料へ投融資し続けることは、気候変動関連のリスクを管理するという銀行のコミットメントに反し、それは株主へのリターンを損なうほど重大なものとなりつつある、というのが提案の主張だった。
上記の提案書の原文は実は英語で書かれていた。それは気候ネットワークのオーディエンスが日本の投資家ではなかったからだ。「最初から狙いは海外の機関投資家の力を借りて、脱炭素の波を国内に吹き込むっていう意図があった」と平田は語る。
結果的に決議案は否決されたものの、キャンペーナーたちの予想をはるかに上回る好結果となった。投票率は34.5%で、懸念されていた2〜3%を大幅に上回ったのだ。そして案の定、 ノルデア・アセット・マネジメントやアリアンツ・グローバル・インベスターズなど、世界的な大口機関投資家がこの決議を支持する結果となった。
この提案は失敗に終わったかもしれないが、いくつかの手応えのある重要な成果を生み出した。その一つは、このキャンペーンが海外の金融メディアから注目されたことだ。「これは日本における ’significant departure’(大きな転換)だとか、日本企業をより良い方向に向かわせていくための株主提案が日本で初めて出た、とか報道されてました」と平田は振り返る。
また、気候ネットワークの株主提案は、(上記のように)広範な言葉で表現されていたため、みずほの経営陣や日本の株主は、細かい点に異議を唱える機会を奪われる結果となった。その結果、他の株主に対して、気候変動関連決議に反対すべき理由や、どのような気候変動対策を講じてきたかを明確に説明するよう迫られる事態となったのも事実。「議決権を行使する株主も、だいたいパリ協定は支持している会社が多いので、パリ協定と整合した経営戦略をとってくださいという株主になぜ反対するのかを彼らも説明しなくてはいけないので、そこでエンゲージメントの機会が増えた。」
さらに、この日本初の気候株主提案の提案は、国内外の石炭火力発電所に投資または所有する日本のメガバンク、大手電力会社、エネルギー企業に対して、気候ネットワークが株主総会決議を提出する前例となったのだ。
脱石炭火力キャンペーンと2020年の株主総会決議における彼女の功績により、平田は世界の草の根環境活動家に与えられる、ゴールドマン環境賞を2021年度に受賞することとなった。平田は受賞の挨拶で、ゴールドマン環境財団と気候ネットワークの友人や同僚への深い感謝の意を表した。しかしその後、彼女は「ここまでやってきたことは、小さな一歩でしかなく、胸を張れるのだろうかという疑問もございます」と語った。
僕との対談で彼女は、それまで気候ネットワークが成し遂げてきたことは、ほんの一握りの新しい石炭火力発電所の建設を阻止することに過ぎなかった、と説明した。逆に見れば、気候ネットワークの何年もに渡る活動は既に運転開始し、地域に電力の供給や雇用を生み出す石炭火力発電所には何の影響もなかった、ということだ。自然エネルギーを優先して石炭火力を段階的に廃止していくことは、想像以上に困難な作業であり、様々な利害関係者との緊密な協力が必要だと彼女は指摘した。
第1部を読んでくれてありがとう。来週公開する第2部では、平田の洞察する日本の気候行動対策における「3つのギャップ」、そして自らのシンクタンクを立ち上げることでこれらのギャップを埋めることに励む直近の活躍を描く。