「ゆっくりと、しかし着実に」~ローマは一日にして成らず~

紀元前753年に建国されたローマは、前270年にイタリア半島の統一を果たします。この500年間のローマ興隆の要因は次の3点にあるようです。

1つ目は宗教の在り方。ローマはキリスト教に代表される一神教ではなく多神教でした。一神教では神は完璧で完全無欠な存在なため狂信的傾向になります。そして異宗教の他者を認めないとする一面もありました。一方、多神教では神も人間並の欠点をもつ存在で、行いや倫理道徳を正す役割を神に求めません。それゆえに狂信的でも排除的でも閉鎖的でもありません。それは他者の神も認めるということであり、他者の存在を認めるということ、他の民族の存在を認めるということがローマ人の宗教観だったようですね。

2つ目は独自の政治システム。弱小国であったローマは先進国であるギリシアに視察団を派遣します。しかしローマは絶頂期であるギリシアの模倣をしません。あえて模倣をしなかったこともまた影響を受けたことになるのでしょうが、ローマは独自の政治システムを構築し始めます。貴族と平民の結婚を認める法を制定し、平民の人材育成を促します。そしてケルト族来襲による敗北をきっかけに、政府の全ての要職を平民出身者にも開放し、ローマは階級別ではなく全面開放という道を選びます。そして公職を経験した者は貴族・平民の区別なく、元老院にもなれる権利を持つようになります。その結果、ローマはローマ人の持つ全てのエネルギーを投入できるようになります。つまり国力を最大限に発揮できるような仕組みを整えたってことなのでしょう。

3つ目は敗者もローマ人として同化させたこと。ローマは敗者を奴隷化するのではなく共同経営者とする、当時では他国に例を見ない政策を選択します。またローマは他国人、他民族でもローマに住むだけで市民権を与えます。そして後にできたのが「ローマ連合」。これはローマは勝者、それ以外は敗者という非平等的な同盟関係ではありましたが、しかし奴隷化することも財産没収することもなく、当時としては異例でローマ人は非常に寛容であったと言えるでしょう。簡単に言えば敵であっても勝負が着けば、どんどんと仲間に引き入れたっていうことなんですね。

以上3点が要因となり、ローマはイタリア半島を統一します。そしてこの瞬間からローマの繁栄、ローマ帝国が始まったと言われてます。とはいえ、その繁栄の始まりであるイタリア半島統一でさえ500年もかかってるんですね。しかもやっとここからが繁栄への始まりだそうですよ。
「ゆっくりと、しかし着実に」
物事の成就に焦りは禁物、3歩進んで2 歩下がるくらいの気持ちでボクも着実に進んでいきたいと思いました。

歴史って実に面白い!

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