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浮世絵の魅力を春画から学べる『写楽心中』

浮世絵が好きだ。世界中で芸術作品としての絵画は数あれど、浮世絵ほど幅広い解釈と楽しみ方が出来る文化はないと思う。そして現代芸術においても日本は独自の文化を誇る。そう漫画文化だ。

海外にもアメコミ、バンド・デシネなど漫画はあるが、日本の漫画ほど多様性に溢れたものは少ない。なぜ日本だけがこんなに漫画を文化として国民全体で共有できているのか? それは歴史に脈々と流れる日本画や浮世絵の血によるものだと思う。なかでも浮世絵は庶民の間に身近な存在として浸透していた。今でいうと写真集やプロマイド、広告ポスターのような存在が浮世絵だ。

ちなみに、もしあなたがハロプロ好きであれば、こんな本で浮世絵に触れるのもお薦め。

庶民文化に浮世絵以上の娯楽としてあったのが春画である。

春画はイメージ的にエロ本と短絡的に思われがちだが、実際に展覧会(そう、春画展とか開催されたりしているのだ)で触れてみると、どちらかというと今の漫画と近い楽しまれ方だったように感じる。

去年、こんな映画も公開されたりしていた。

人々の生々しくも活き活きとした表情やポーズ、どこかクスッと笑える可笑しさも備わっている。そして、さらに絵師の個性が大胆に表現されているのが春画の魅力だ。

浮世絵って難しいと思われがちである。だが春画ならどうだろう。

モチーフは明確。エロを如何に表現するかを様々な絵師が競っている春画を楽しむことで江戸時代の雰囲気が身近に感じられ、そして絵師の個性を知ることで彼らが表の顔として描いていた浮世絵の見かたが分かってくるんじゃないだろうか。

そう春画は現代でも有名な浮世絵師たちがペンネームを使って描いていたのだ。葛飾北斎、歌川国芳、喜多川歌麿などなど名だたる絵師たちが挙って春画を描いていた。

そんな中で伝説の浮世絵師・東洲斎写楽は春画を残していない。突然現れて、風のように消えた天才写楽。『写楽心中 少女の春画は江戸に咲く』は春画を描く間もなく時代に消えた写楽の忘れ形見“たまき”が父親の代わりに春画の絵師として花ひらいていく過程を描いた作品だ。

たまきの成長を通して春画から浮世絵の世界へ、日本の漫画の原点へと誘ってくれること間違いなしだと思う。ちなみに現在2巻まで出ている。まだ始まって間のない巻数なところもお薦めポイント。

第1巻は吉原で母親と共に囲われていた10歳のたまきが、写楽と組んでいた版元の二代目・蔦屋重三郎に「写楽の娘」であるという素質を見込まれて見受けされ、15歳まで好きな絵を描きながら育てられるところから始まる。

重三郎は「写楽と初代(父親)は歌川豊国に追い詰められて心中した」「歌川派の良いようにさせたままではおけない」「お前を使って写楽を復活させる」そう、たまきに告げる。

だが、たまきの絵は「つまらない」と言う。

男を知らないから抱かれて来いと言い放つ。無茶苦茶だ。しかも「幼馴染の由太郎がお前のこと好きだから行って来い」と現代だったらハラスメントにもほどがある命令をして追い出す。

本当に無茶苦茶な命令だが、たまきは覚悟を決めて由太郎のもとに雨の中を歩いていく。そのシーンの情緒が静かな背景描写に集約されていて、とても浮世絵的な構図が見事だ(1巻P.53からの3ページ)

男を知り、人間の本質に触れたたまきは才能が開花する。

2巻は妖艶な美人画で有名な渓斎英泉との出会いと葛飾北斎の娘・応為の登場、そしてライバルとなっていくであろう歌川派の筆頭・歌川豊国の娘(だと言っている)おぎんが登場する。

浮世絵界のスーパースターの娘が三つ巴でバトルしていく展開の予感は今後、楽しみで仕方ない。

ところで英泉と応為の関係は以前NHKが見事なドラマにしていた。二人の絵師の数奇な半生もまた2巻の見どころとなっている。

ちなみに、たまきが2巻の終盤で描く襖絵は喜多川歌麿の有名な「歌満くら」のオマージュなのかなと思った。下記に貼ったが、この春画はアートとしての最高傑作と言われている作品だ。

「春画はただのエロに非ず」というのが分かる美しさではないだろうか。

あえて男女の表情も見せず、着物も最低限の着崩しでチラリと見える女性のお尻だけが生々しい。高度な着衣エロと男の持つ扇子の粋な対比が絶妙だ。

という感じで、漫画を読みながら江戸時代に大流行した現代漫画の原点とも言える春画の世界と数多の絵師を『トキワ荘』的なライバル関係で楽しみながら浮世絵の素晴らしさも発見してもらえると嬉しいなと思ったりします。

以上、『写楽心中 少女の春画は江戸に咲く』お薦めの作品でした。

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