アンジュルム『愛・魔性』に見る孤独とメサイアコンプレックス
アンジュルムの新曲のひとつ『愛・魔性』は井筒日美さん作詞で、作曲にアンジュルムとしては初めてエリック・フクサキさんを起用している。
エリック・フクサキといえばカントリー・ガールズに提供した『ピーナッツバタージェリーラブ』、Juice=Juiceに提供した『Fiesta! Fiesta!』でもハロヲタには御馴染みのイケてるラテンBOYである。
そしてこの『愛・魔性』も完全に『Fiesta! Fiesta!』から続くフラメンコの系譜。ゴリゴリの情熱的なラテンナンバーだ。
が、ちょっと歌詞をよく見たい。
冒頭から幾度も出てくる
この「Messiah」は「メサイア」と発音する。日本語として馴染みのある言い方だと「メシア」つまり「救世主」のことだ。
情熱的なビートに乗って「愛は救世主。熱い営みを」と歌うオラオラ系の肉食女子的な曲かと思ってしまいそうだが、よくよく歌詞を読んでいくとちょっと違う印象になる。
この曲の主人公である女性は冒頭からずっと
と終始、自分の感情に気付いて欲しいという要求ばかりを口にしている。
強気に出しているようで全く自分に自信のない、自己肯定感の低い女性だと分かる。
「私はこんなに愛を提示してるのよ。こんなにあなたを愛しているの。あなたもそうでしょ? 同じくらいの愛を見せてよ!」
と「愛してる」と言っているようで「愛されたい」という欲望に溺れて相手への攻撃にまでなりかねない歪んだ愛情表現になっている。
これはいわゆるメサイアコンプレックスというものの一種に思える。
こちらのnoteとかでも解説されているように、通常なら「救いたい」という感情のみで人を助けたりするのが、自己肯定感の低さから「自分が救われたい」という感情が混ざっている状態で「誰かを救いたい」と行動することで、その行為が拒絶された時に攻撃性が生まれてしまうことがある。
『愛・魔性』の主人公は、そのようなメサイアコンプレックス状態にある女性なんじゃないだろうか。
近年のアンジュルムは「強い女性の孤独」とか「強くなりたい女性の向上心」なんかを歌うことで、女性ファンの獲得に成功している。そんななかで、このコロナ禍という特殊な環境で孤独を感じることも増えて「自分って本当に必要とされているんだろうか?」なんて考えてしまうことも多いと思う。
そういう不安が捩じれた愛情表現として爆発してしまった女性の苦しさを歌うということで、またひとつ違ったアプローチによって現代女性への寄り添いをアンジュルムは表現しているんじゃないだろうか。
という深読みをしてみましたが、どうでしょう?
ところで、この曲では9期の川名凜ちゃんが大々的にフィーチャーされている。同期の優等生にして才女である松本わかなちゃんや、憑依系という異名が付くようになった為永幸音ちゃんに比べてパフォーマンス面では少し控えめだった彼女が、先輩である伊勢鈴蘭さんと共に凛とした歌声でメインを張っているのが衝撃だった。
アンジュルムに加入すると成長が早い。とはよく言われるが、ド素人からオーディションで入った川名凜ちゃんの伸び率は群を抜いている。いや、それを言ったら伊勢鈴蘭さんも同様か。いまや「れらぴ系女子」と確固たる地位を築いた存在である伊勢鈴蘭さんも加入当初は北海道の田舎娘でしかなかった。
環境と意識は人を成長させる。
アンジュルムは、だからスパッと旅立つ子が増えたんだろう。歴代の先輩や現役のメンバーも常に先を考えながら活動をしている。そして自分がどうなりたいか。どんな未来に生きたいかを考えているからこそ、今という時間を大切にしているようにも感じる。
10代の子たちがそんな風に自然と成長していける環境こそがアンジュルムなんだろう。
転生したらアンジュルムになりたいなぁ。
あ、最後にしょうもない願望が。