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持ってないもの、足りないもの。

何かを購入するとき、飲食店を選ぶとき。
失敗したくないから、SNSで情報収集をする。

Instagramでハッシュタグを付ければ、
たった数枚の画像だけで
物の利便性や、場所や飲食店の魅力、おすすめを教えてくれる。

画像には思考停止していても、安易に読めるくらいにの文字量で補足もあったりして分かりやすい、情報収取に疲れない、むしろ楽しかったりするし、本当に助かる。


美容系のYouTubeも視聴する。

私の代わりにたくさん試してくれてレビューしてくれる。
化粧品は私にとっては、高額な買い物なので、
レビューはいつも参考にさせてもらっている。

情報収取だけのつもりが、ただただ娯楽を提供してくれるYouTubeも見てしまう。

推しは
カップルが自炊して大食いするチャンネル。
MCバトル(フリースタイルラップ)のリアクション動画。
現在10人目妊娠中スーパーママの料理動画。

大好きでついつい見てしまう。

Instagramも一緒。
見たくなくても、おすすめで表示されたものを
ついつい見てしまう。
へぇ〜と感心するものから、つらないなと思うものまで。


つまらない投稿っていうのは、あくまでも私の解釈。
楽しいと思う人も、もちろんいると思うし、わざわざその投稿のコメント欄に「つまんない」と書き込むほどマナーのない人間ではない。
そういうやつは最悪だ。

つまりは、つまらないと思っている投稿を見て、そんなことに時間を割いている自分がちっぽけすぎて嫌になるのだ。

誰でも発信者になれる時代。
スマホの中では主人公になれる時代。

いつも見る側の自分。
何も発信するものがない。


自分は何も無いな、他の人たちと比べて何が足りていないのだろう。
ここ数年、個性とか流行っているけど、そんなものない。
個性って、人と違うって、生きづらさでもあるし、
そういうものを削ぎ落としながら生きてきたのかな。


自分の持ち物の軽さと薄っぺらさに
ネガティブになる今日この頃。苦しいし、辛い。


SNSを見ていると、
私ってこういう人間で、性格で!
こんなことにこだわって生きていて!
資産運用頑張ってて!
趣味は節約で!
こんなお役立ちアイテムを知ってて!!

自分の個性が、趣味が、
誰かに発信するほどの価値があって。
そして多くの人に支持されているいる発信者がたくさんいる。

自分の発信が、誰かのためになったり、
みんなに見てもらえたり、価値あるものになるってどんな気持ちなんだろう。


きっと気分がいいだろうし、優越感も味わえそう。

中にはマウントとられたなー
わざわざ見なきゃよかった。
あちら側の人間になれそうで、なり損ねた自分だなと思わず卑下してしまうようなアカウントもある。

きっとこの微妙な“差”が私を苦しめるのだと思う。
有村架純は素敵な女優さんだけど
嫉妬しないし、一生目標にもしない。

その世界に行けそうで、でも行けなかった自分に苦しむのだ。

だけど、多くの人に支持されて、長期間追いかけたくなる発信者は、損得勘定とかマウント精神より、本当にその分野が好きで楽しかったり、誰かの役に立てばっていう素敵なモチベーションがある人ばかりな気もする。

だから私も信頼しているユーザーや
期待をいつも超えて楽しませてくれるYouTubeは自分の生活を明るくしてくれるエンタメのひとつだ。


この“差”は有村架純とまではいかなくても
結構大きいのかもしれない。

誰でも、手段や選択次第で
自分を発信できる世の中になって、
主張することがない。
いつも誰かが作った世界の観客でしかいられない自分が情けなくなる。

「スマホ1台で稼げます!」
「専業主婦も子育て中でも!」
「お家にいても稼げます!」

そんな広告が私の劣等感にさらに追い打ちをかけて、見ている側だけの自分を悩ませる。

だけど、多くの人に支持される発信者のような熱い何かを持っていないのは事実。
その分野での才能は花開かない。

スマホの中で多くの人に支持されるのは
今の時代、簡単で誰でも出来るとか言われているけど、それはきっと、そういう謳い文句。

これからもその謳い文句が、たくさん私の目に入り込んでくるだろうし、心揺さぶられるかもしれない。


だけど、こういう時代に合わせた自分のメンタルコントロールもしていきたい。

この世界が全てじゃない。


広いけど、狭い世界。

目の前の小さな箱から視線を上げて、
ずっと遠くをの方を見て、深呼吸をする。
自分がまだ見つけていない広い世界がまだまだありそうで。

少し安心した。




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