見出し画像

「創作大賞」に応募しながらも「#読まれないnoteを書こう」というタグをつけることについて

タイトル長ぇな(笑)

いくつかの記事で「創作大賞2023」に応募しました。
「#読まれないnoteを書こう」というタグをつけて。

あれあれ??
応募するってことは
読んでもらいたいんでしょ??

「#読まれないnoteを書こう」というタグと出会い、
使い始めたときの記事が👇です。

この時は
かなりキモチが楽になりました。
「たくさんの人に読まれなくてもいい」
「スキ、とかイイネの数が問題じゃないんだ」

まあ、そうなんだけど、きっとそうじゃない。
そう思い始めたのはここ1,2か月のことです。

自分の考えや思いをネットで綴る時って
「こんなこと書いたら嫌な思いする人いるだろな」とか
「反感くらったらどうしよう」
とかマイナスなキモチが渦巻きます。
「どこそこ行ってきましたーー!」って内容なら
なんっとも思わないのにね。

ブログ時代がまさにそうでした。
仲良くしてくれるブロ友さんや、読んでくれるブロガーさんが
増えれば余計にマイナスなことやネガティブなことは書けないな、と思うようになりました。
ある日それやったら、お叱り、じゃないんだけど、
「もうあなたのブログはイイネはもちろん読みもしません」
と言われてしまいました。(あ、コメント欄で、です)

イイネだけしていかれてもな・・、
みたいな内容だったので当然っちゃ当然ですよね。
かなりやんわり書いたつもりなのよ。
自分は自分の言いたいこと言っただけだし、
(自分の気持ちに対して)間違ってはない。
なのに、とんでもなく悪いことしちゃったような気分でした。

今でもそのことは心のどっかに引っかかってます。
だけど、自分の考えや意見を「脚色して」
記事にすることに意味があるのかしら?
自分は「それは黒だ」と言いたいけど、「白」だと言う人のことまで考慮して書こうとしてたんですね。
だから、言いたいこと言っているようでいて、
どっちつかずのあやふやで曖昧だったの。

最近は
「読まれることを期待しない」んじゃなくて、
「どう思われるかを気にしない」
「あえて賛同を求めない」
「自分の思いを素直に綴る」
そういう意味でこちらのタグを使うようになりました。
でも、棘のあるモノではいけません。

ブログ時代によく見かけた
「いつもご訪問、イイネをありがとうございます」
みたいなテンプレもつけません。

正論でもなんでもありません。

巨大なネットの世界の片隅にある、
「note」という街で「創作」を続けるための
小さな小さなつぶやきです。

#読まれないnoteを書こう








この記事が参加している募集

noteでよかったこと

サポートいただけたらすごく嬉しいです。 野菜のタネ代にします。→話のタネになるんです♪