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散歩

夫のみ用事があり、完全にフリーな私。ソファでゴロゴロ時間を過ごしていたら、もう昼過ぎになってしまった。このままだと貴重な休日が…と後悔しそうだったため、運動がてら近所を散歩しようと思い立った。学生時代のように無目的に歩くこともよかったが、現在夢中になっているミステリ小説の続きが気になってしょうがなかったため、徒歩数分のカフェに行こうと思った。しかし、Google mapを適当に見ていると、徒歩圏内──といっても家から30-40分程度の場所に『東京国立近代美術館』があることを知った。私はなぜかその場所に誘われるようにして目的地に設定し、とうとう歩き始めていた。

29度快晴の暑い日だったため、半袖に短パンという出で立ちだ。愛用のBluetoothイヤホンで好きな音楽をかけながら歩みを進めていると、靖国神社や日本武道館がみえてくる。九段下近辺は道路が広く、緑が多い。そろそろ見えてきた九段会館は息を呑むほどの建築美だ。旧軍人会館といい、当時は在郷軍人会の本部が置かれたそう。大戦後はこのクラシカルな建築様相を生かし、結婚式場として再出発したらしい。現在は結婚式場は廃業されているのか「九段会館テラス」という現代的な名称に変わり、若めのカップルがゆっくりとした時間を過ごしていた。

いよいよ目的地である『東京国立近代美術館』が見えてきた。道を歩いているときに入館料が500円かかるということを知っていたため、持参したバッグから財布を出そうとした。しかし、私はすぐその財布をしまうことになった。〈無料観覧日〉という文字があったからだ。なぜ? 本当に無料なの? 千代田区民限定?──と混乱し、「このまま入っていいものか…」と緊張していたが、まず受付が機能していなかった。そして周りの観覧客も涼しい顔をしてゲートを通っている。途中で首根っこを掴まれて摘み出されたらどうしよう、観覧後、万引きGメンのような人から「ちょっといいかしら?」と肩を叩かれるのではないかと本気で怖かった。とはいえ、私は何も調べることなく「今日が無料ということなんて、知ってましたけど?」と鼻をツンとさせながら入館した。普段はチケットもぎりをしている正装の男性職員と目が合いギクリとしたが、「いらっしゃいませ。どうぞ」と言われたため平静を装ってみせた。何も悪いことをしていないのに、美術館のような静かで高貴な場所は少なからずマナーがありそうで怖くなる。堂々としていれば無問題なのは百も承知だが、私はどうも慣れないのだ。

さて、所蔵作品展「MOMATコレクション」(2024.4.16–8.25)を巡った。展覧会は4階から2階まで。1階からは企画展となり、いつもの3~4倍ほどの観覧料となる。その日はまだ準備中であった。4階にのぼり、お手洗いを済ませ、いざ観覧。ここで全てを紹介するわけにもいかないが、4階では屏風や陶器、筆を使用した油絵(これはかの有名な藤田嗣治)などの日本画の優美に圧倒された。3階では抽象画と戦争記録画、日本画が紹介されていたが、とりわけ戦争記録画に映し出される人の「生」には度肝を抜かれる。というのも、本美術館で紹介されている記録画は、いわゆる内地の出来事ではなく、タイやビルマ、ボルネオ、レイテ、ミクロネシアで行われた「決死の戦争」を伝えているからだ。もちろん内地も同じような苦しい状況だっただろうが、暑い暑い異国のジャングルでの戦いとは「色」が違うだろう。ここでいう色とは、種類や景色の両方を指しているが、とにかく臨場感溢れるその絵を見ていると草の匂いや砂利道を歩く音、人が殺される酷く生々しい音など、聞いたことも触れたこともないのに実感としてやってくる。写真ではなく絵の方が、想像を掻き立てられるのだろうか。私はそう感じた。

2階──最後の展示でひどく面白かったのは、『肉屋の女』(山城知佳子、2016)である。米軍基地敷地内の黙認耕作地に実在する闇市で肉屋を営む女性にフォーカスした作品で、肉の映像が異様に生々しく、かつそれでいて、その肉を目当てにする男性労働者たちの汗や整えられていない髭、肉を食べる大口がアップで描写されており、気持ちのよいものではなかった。キャプションには、「作品のモチーフは、沖縄戦の歴史や米軍基地問題、それらが女性にもたらした被害を連想させます。一方で寓話のようなイメージによって、本作は、抑圧や性差にまつわる暴力といった普遍的なテーマへと開かれています」とある。森美術館の公式ブログに山城のインタビュー姿もあり、「肉」への意識について大変興味深かった。(https://www.mori.art.museum/blog/2012/12/post-209.php)。とはいえ食欲は失われた。

大きな充実感を抱き締め、美術館を後にした。もう夕暮れの時間になってしまった。昭和館で「失われゆく昭和の仕事」という写真展を見、すでに大満足の私は、靖国神社を参拝し、こうした平和を祈願した。帰りはGoogle mapの導きは不要だ。夕暮れどきの心地よさを感じながら、帰路についた。

普段行かないようなスーパーマーケットで肴を購入し、ひとり家で早めの晩酌をした。好きなお笑い番組をみていたら、夫が帰宅してきた。何やら仕事で面倒があったらしく、疲れている。本当はいつもの弾丸トークで夫を困らせたかったが、今日はやめておいた。感情を表に出さない寡黙な夫が「ちょっとだけ愚痴を聞いてくれる?」と、珍しい一言。よっぽどだ。相槌を入れながら、それを聞いた。数分後、夫の中で決着がついたのか、安心したような顔を見せた。私はそのタイミングで「これ飲む?」と先ほどのスーパーで買った夫が好きそうなクラフトビールを見せ、ニヤリとした。夫は「もちろん」と目を丸くして喜び、そして二人で乾杯した。私はこの時間がとても好きだ。夕暮れにひとりで祈ったことは、どうかこれからもそうでありますように、とぬるくなった酎ハイで喉を潤しながらそう思った。


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