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ものさしおさかな

子どもの頃から、どうにもまっすぐ泳げないお魚が、心の中でブクブクと回遊している気がします。

このお魚はものさしって名前がついているくせに、全然まっすぐな線も引かせてくれないけど、なんとなく豊かな雰囲気を醸し出してきます。ただ泳いでいるだけなんだけど。

どーにかなりたいのでもなく、どーにかなろうともせずに、ただただ水の流れに身を委ねてブクブクと泳いでいる。そんなお魚です。

若い頃はこのお魚の正体は何なのだろうと答えを探していましたが、最近「実はまっすぐって、ちょっと凸凹なんじゃないのか?」って思うようになってきました。小さな頃から世の中の常識的なものや一般論やコミュニティ、組織の中で、何かしらの正解を求められて生きたので、きっと僕の人生はまっすぐなんだろうと思ってきた。

親は自由に生きていいよと言ってくれたけど、社会からはまっすぐ生きろと言われる。組織からはこれがうちの真っ直ぐだからと教育されていく。ってことは、まっすぐなんていう価値観はそもそも無いのだろう。

ふと後ろを振り返ってみても、まっすぐと思っていた線が、まぁ、上下左右に歪んでいるったらありゃしない。それがおかしくって思わず笑っちゃいました。

横の人も、前の人も、みんな曲がっているんだと知った時の滑稽さったら、これまたありゃしない。そう思ったら人生なんてただただ泳ぐことなのかもしれない。自由に泳いだらいい。そもそも水の中を歪みもなくまっすぐに泳ぐことなんてできないのだから。

君はどう生きるか?って、考えてる間にも時間は進み、肉体は無に向かって動いている。むしろ僕はどう生きているか?(NOW)にフォーカスしてみると面白い発見がたくさんあるかもしれない。実装しながら考えるというやつです。

人間の肉体も、生物の成長も、種から芽が出て成熟して、最後の「無」に向かっている過程の中で、学び、間違え、喜んだり、悲しんだり、妬んだり、虚しくなって、また間違えて、修正して、そんなことを繰り返して行くだけのこと。結局、人生は肉体の盛衰と考察の同時作業なんだと思うと、「失敗」というものが栄養素の高い食材にすら思えてきます。

結局は豊かにまっすぐ生きるっていうことは、心と身体のバランスっていうことなわけだ。満足感や充足感にこだわるよりも、日々の生活の中で小さな感謝を探す方が豊かだ。そして多少の楽しみがなければ人間なってやってられないわけです。

ちなみに谷川俊太郎さんは言葉は音楽として捉えていると言っている。言葉と言葉を繋ぐのではなく、「語と語を音で繫ぐ」と言っている。音と語の噛み合わせやリズム、語呂感を、普段の生活から心地良い状態に保っているから90歳を過ぎてもあんなに元気なのかもしれない。

**谷川先生プチ情報**
60歳の頃、健康に気を遣って1日1食(夕飯だけ)にしたそうです。主食は玄米だそうですが、それで90歳を超えても頭の中は益々クリエイティブだし、どんな世代の人と話してもお話が面白い。そんな谷川さんですら、人生失敗だらけと言っているのですから、って話です。

昭和初期の生まれで、「俊太郎」という名前をつけたご両親にかなりのセンスを感じているのですが、こんなとりとめのない、あっちこっちに歪んだ文章で朝を迎えました。

今日も、おちゃのまポップな一日になりますように!




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