在日米軍基地で働くということ-1-
私は、在日米空軍がある地域で生まれ育ちました。
今回書いている記事も、他の在日米軍基地に関する記事も、私の地元にある基地で経験したことを元に書いています。
他の地域にある米軍基地と比べて、共通する部分もあれば、全然異なる部分もあると思いますので、あくまで基地の現状の一部として読んでいただけたら幸いです。
子どもの頃から身近な存在だった米軍基地
生まれも育ちもずっと基地の側。
子どもの頃から、毎日のように飛行機の音を聞くのが当たり前。
公園に行っても、スーパーに行っても、軍服を着たアメリカ人を見かけるのは日常茶飯事だった。
学校に行けば学年に少なくとも1人はハーフの子がいたり、習い事でもチラホラ見かけたり。
父が地元で自営業を営んでいて顔が広かったこともあり、基地関係者の知り合いも多かったので、基地内に食事に行ったり、イベントに参加したりもよくした。
私にとって、日常に「軍人さん」がいるのが当たり前だったのだ。
英語が話したいと思ったきっかけ
そんな環境の中で育ったので、自分で自覚する限り、外国人に対しての苦手意識や差別意識を持ったことはなかった。
そういったことを理解するには幼すぎたっていうのもあるかもしれない。
英語が喋れないくせに、その辺を歩いてる外国人に"Hi!"って声をかけちゃうような人だった父の影響も大きいかも。
それでも、最初はあんまり英語に興味はなかった。
ある程度物心がついた頃、「英語が話せたら基地に友達作れたりして楽しいかも〜」となんとなーく思う様に。
大きなきっかけになったのは、小学生の時初めて映画館で観た映画「アルマゲドン」。
字幕版の洋画を観るのも初めて、しかも迫力のビッグスクリーン!
何を隠そう、私の初恋の人はブルース・ウィリスだ。
「こんな面白い洋画を、字幕なしの完全オリジナルで観れるようになりたい!ブルース様の言ってることが理解できるようになりたい!」
そんな単純な想いだった。
そこからは猪突猛進、すぐにお試しで基地内の英会話教室に通った。
中学にあがってからは、学校での英語の授業に加えて、基地から通っていた同級生や、その繋がりで出来たBase kids(ベースキッズ:軍関係者の子どもたち)の友達と遊んで日常会話を勉強したり、教えてもらったりした。
高校で留学するという目標は出来たものの、留学費用の高いこと高いこと!
色々模索して、留学費用を学校が負担してくれる高校を見つけて進学し、短期のホームステイ留学を経験。
最初の基地内英会話とホームステイ以外、独学と学校の授業だけで英語を学んだ。
大学では英文科で更に英語を勉強し、バイトざんまいで旅費を貯めてはひとり旅。
英語で色々な国の人と交流して、素敵な思い出がたくさんできた。
基地で働きたい
そんなこんなで大学も卒業し、一般企業で社会人になってしばらく経った時のこと、友人とアメリカ旅行することに。
社会人になってからはなかなか時間がとれず、全然旅行してなかったこともあり、ドキワクしながらの数年ぶりのアメリカ。
久しぶりにがっつり英語を話して楽しいのと、自分の英語力が落ちていることに気付いて悔しいのとで、改めて「英語を使った仕事がしたい!」と強く感じた。
どんな仕事ができるだろう?
大学卒業間近に父が突然亡くなり、母が不安定な状態で、実家での母との同居が免れない時だった。
答えはただ一つ。「基地あるじゃん!」
速攻求人に応募し、無事に採用。
ここから、私の10年間の基地従業員としてのキャリアが始まるのである。
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