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おせちを探せ大会

正月に帰省した際に、祖母の家に挨拶に行きました。
数年前から認知症を患っている祖母は、毎年12月31日に宅配で届くおせちを必ず家のどこかへやってしまいます。そして本人はおせちが届いたことをすっかり忘れてしまっています。(ここ2年ほどは、正月に会いに行ってもその日が正月という事実を忘れています。)そして幸か不幸か、祖母の家はかなり大きな日本家屋です。いわゆる母屋があって、離れがあって、蔵があって、土間があって…
つまり、素敵なおうちだけど隠す場所がたくさんあるということです。

今年は父と私の2人で訪れていたので、本大会への参加者は2名。玄関におせちが入っていた段ボールが転がっており、届いた段階でわざわざ箱から出してくれた様子。さあどこへ行ったのか。


「おばあちゃん、昨日おせちが届いたと思うねんけど、どこへやったんや?」
「さあ、そんなもん届いてへんで。うちは見てへん知らんわ。」
「ほんまか、ほしたらまた今年も探さなあきまへんか。」


父の、諦めと空元気の混じったような声とともにスタート。長年この家で暮らしている祖母だからこそ、慣れないことはしない。すなわちおせちという保存すべき食品を暖かくなる居間や日当たりのいい部屋に置いたりはしない。ひんやりした部屋ということで、私は仏壇のある部屋へ向かった。お供えしているのでは、という考えがあったから。
ふすまを開けふすまを開け、暗く少しかび臭い部屋で床の間から仏壇の裏から押入れからあらゆるところを探したが見つからない。次に、数年前のおせちを探せ大会でおせちが置いてあった雨戸の裏のスペースも捜索。足の踏み場もなくなるほど散らかっていたのである程度見て断念。別棟の旧台所や応接間、はなれなどあらゆる扉を開けていったが、見つからない。しかし、こういう普段使わないような場所でも何故か埃が所々払われており、決まってそこにはアルバムが佇んでいた。アルバムは比較的新しいものでは祖母の娘(つまり私の叔母)の結婚の時のものから、私がまだ上手くピースサインができなかった頃のもの、白黒の若い頃の祖母がいるものまで部屋ごとに様々であった。

もしかしたら、最近祖母は色んな部屋に行って思い出せそうな思い出をめくり返しているのかもしれない。

そんなことを考えながら、次の場所を推察する。祖母の腰は90度に曲がっていて、膝に手をつかないと歩けないから、目線は下のはずだから高いところには置かないはず。まさかとは思いながらも、洗濯物の山の下を丹念に調べる。
「あったわ!」
という父の声により、今年のおせちを探せ大会は終了。約40分の試合を制したのは父であった。発見されたおせちは風呂敷に包まれた状態で、玄関からすぐの古紙雑誌の束の下にそっと隠されていた。

「おばあちゃん、おせち見つかったって。食べよっか。」
「はあ、さよか。えらい贅沢なもん食べようねんな。」
「おばあちゃん今日はな、正月やねん。」


3年前、父は祖母に対してひたすらに怒っていました。自分の親が、どんどん情けなくなっていくのに耐えられなかったのでしょうか。おせちが見つからない正月はずっとイライラして、15分ごとに
「なあ!どこにやってん!絶対届いてんねん!」
と大きな声で、祖母に詰め寄っていました。ただでさえ腰が曲がり、私の背が伸びたこともあってより小さく見えるようになった祖母が、どんどん縮こまっていくのが見ていて辛く、妹と2人で急かされるようにおせちを探しました。

それに比べて今年の父は、随分と穏やかに祖母に接していました。相変わらず何度も祖母におせちの居処を尋ねてはいましたが、柔らかい口調で諭すように、
「なあ、昨日な、宅配でおせちが届いたんや。ほんであんたが受け取って開けてくれとうねん。空箱はあるからな、どこかにしもて(しまって)くれとうんやけど、見つかりまへんねん?」
と語りかけていまいした。少しずつ、今の姿の祖母を受け入れてきたのかなと感じ、おせちを探せ大会も楽しめるようになってきているようでした。
私のことが分からない祖母は、私の声には滅多に反応してくれません。でも、父の声にはきちんと返事をしてくれます。それだけ、一緒に過ごしてきた時間も思い入れも何もかも違うからでしょう。1年に1回しか訪れない私と違って、ほぼ毎日会社に行く前や帰りに祖母宅に寄って様子を見に行く父だからこそ、日に日に変わっていないようで変わって行く祖母の姿を受け入れるのは難しかったように思います。

祖母の今後を叔母と相談する父は、まだしばらくはこの家で過ごす方がいいのではと考えているようです。バリアフリーとは程遠い、隙間風だらけで極寒の、段差ばかりの家ですが、だからこそその段差も含めて祖母の体に染み込んでいるからあまり環境を変えない方が良いだろうという意見です。
私には、施設等に入るのと家で過ごし続けるのとどちらが良いのかは全くわかりません。ただ、一人暮らしの祖母がこれからもここでの生活を続けて行くことは実際難しそうに感じました。祖母に対して怒鳴らなくなった父ですが、実際はまだ、薬を飲んだら治るとどこかで信じているような気もしてしまいます。

最後に。毎年なぜか1月1日はしいたけの菌を植えます。今年は私と父の2人でしたが、くぬぎに電動ドリルで穴を開け、しいたけの菌500個をその穴にトンカチで埋めていきます。ふと、家の中でテレビを見ていたはずの祖母がふらっと外へ出てきました。おもむろに私に近づくと、
「えらいこまい(小さい)穴やなあ」
と言いながら、私と一緒に菌を植えはじめました。私のことは相変わらずわかっていないようでしたが、さっきまでの弱々しさはどこへ行ったんだと思うほど、しっかりと、慣れた手つきで植えていきました。
話し方も、食事中のままならない会話の時とは別人のようにしっかりとしたものに変わりました。
「この穴、ちっこうてなあ(小さくてな)、おちょぼ口やな」
「ちゃうねん、まっすぐ(菌を)打たんかいな」


一方、祖母がしいたけの菌植えに加わってから、父は一言も話しませんでした。考え事に耽った様子で、淡々と木を運ぶ父が何を考えていたのか、帰りの車の中で訊こうとしたけど、なんとなくわかる気がして結局訊けませんでした。


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