【短編小説】終われない小説

透子は昔からおもむろに、衝動的に文章を書き出す癖があった。それは大学の論文課題にしろ、詩的な文章にしろ散文的な日記にしろ、出だしはいつもいきなりで、気持ちの赴くままに走り書く。なんとなく恋愛小説より大人同士の友情や友愛に関する話を書きたい、と思った。
彼女は昨年出会い、親交を深めたある男のことを考える。考えたいのだ。思い出にするにはあまりにも強烈で暖かい記憶を、文字にして残したかった。




東京に家を持ち、京都に出向中のその男は市内一等地にあるマンションで仮住まいをしている。東京に妻を残して。
異常な量の業務に僅かな文句を垂らしてはいるが、猛烈に忙しい日々を悠々と、どこか楽しそうに過ごしていた。
2人で焼き鳥屋さんに飲みに行った日、古い映画が好きだという彼が、低い撮影技術で撮影された四十年代の洋画の良さを嬉しそうに話す姿を透子はよく覚えていた。




「妻は俺のことを、どこまでも理解してくれている。」



鴨川の河川敷、三条大橋を降りて橋をくぐり少し北に歩いた芝生でふたりして胡坐をかきながら缶チューハイ片手にお互いの事を話していた時に、彼が放った一言だった。三条大橋に遮られ、うるさいくらいにまぶしい繁華街の光もほとんど届かない暗闇の中で、彼は俯き、空想に耽る子供のような表情でゆっくりと話した。

その瞬間、透子は激しい嫉妬にかられた。彼の事は好きだが、これは恋愛感情から発生する嫉妬心とは何かが違う。
この世界のどこかに自分を理解してくれる人がいる、とたっぷりの自信を持って言うことができるその男と妻の関係性に猛烈に嫉妬したのだ。なぜなら透子が心の底からから手に入れたかったけれど、とうとう手に入れることができなかったものをやつは手にしていたからだ。

壮平は世間で言うところの所謂 "成功者" だった。あまり視線を合わせず伏し目がちで、それでも余裕たっぷりの振る舞いを見せ、全てを持っているこの男はどんな時に取り乱し、誰かに追い縋るんだろう。





このひとを制圧してやりたい





ふと脳裏に浮かんだ欲求を透子は無視することができなかった。この男の生活を、感情を、一瞬でも良いからぶち壊してやりたいと強く強く思った。

病気持ちで不自由な身体、極端に少ない収入、上手くいかなかった結婚、社会の最底辺。どれを取ってみても透子は彼の対極にいた。彼が手にしたような人生を透子が僅かな確率でも獲得できたかもしれない瞬間は、大学を卒業してフリーターになってしまった時点で消え去っていた。努力や才能が足りなかったといえばその通りだ。しかし過去の自分と今の自分どちらを振り返ってみても、安定した会社に就職して適齢期にまともな人と結婚し、子供を産むという "王道の人生" に進む人生は与えられてこなかったし、途中で方向転換する機会があったとしても自らそちらに進もうと思ったことがなかった。むしろ多くの人が選ばないであろう人生を歩んでいることに優越感すら覚えていたのだ。

そんな妄想とも言える優越感は、今嫉妬という感情により突如ぐらつき、内側からガクガクと崩壊しようとしている。自身の生の基盤になってるものが崩れ落ちようとしているものだから、透子はそれを食い止めようと、ある行動に出た。


続く

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