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父が嫌い

これを考えているとき、結婚式の直前でした。
バージンロードを父と歩きたくなくて、もんもんと…。

なぜなら、父は仕事ばかりで家庭からは遠ざかり、家庭内の問題が起きても知らんぷりだった。
そんな父に、今更、父親面されたくないという気持ちがもくもくと。

でも、もちろんここまで何不自由なく育ててもらった感謝もある。不器用な父親なりの愛情だって感じている。

でも、でも、でも…。

お父さんが大嫌いなんですね(笑)。

お父さんが嫌いなはなこと、さすがに結婚式ではそれなりに振る舞いたい=大人ぶりたいはなこの喧嘩です、これ。
どっちも内容は異なりますが自己イメージの側面同士の戦いですね。
言ってみれば、手首と肘の戦いというか。
戦ってどうするの?ってやつですねw
そもそも戦えるのか?と。
お父さんが嫌いなはなこは、多分、最初にお父さんにたいして「なんだ、こいつ…(嫌いだわー)」と思った年齢で止まってます。
ちなみに、大人ぶりたいはなこは「結婚式ってこんな感じ」という常識を持った(もしくは、押し付けた)年齢で止まってます。

お父さんが大嫌いなんですねって言われて、すごい腑に落ちました。笑
お父さん嫌いなこと、気づいてなくて、笑

普通の感覚だと矛盾しているようにしか聞こえないかもしれないですが、
大嫌いなことと、大好きなこと、あと、どうでもいいこと…これらの感情・解釈・判断は同時並行で共存します(仲は悪いかもしれないですが…)。

例えば、東京の中でも「あのへんは好き」「あっちはあんまり好きじゃない」「そっちは行ったことないから知らない」「ここは怖い…」とか、
いろんなテイストの地域があるでしょ?
んで、全部ひっくるめて東京ですよね。
馬車で喩えている、身体・感情・思考も同じです。いろいろ多様なものが集まったり交差したり距離をおいてたりしています。
エゴはその中でどの部分に注目するかを恣意的に、そして、打算的に決めるのが仕事なんですね。
エゴの本来の活躍場面は「未知のことに対応するとき」なんです。
未知の危険から少しでも身を守るために、過去の自己イメージから妥当な対応を選択するのがエゴの本来の仕事です。

しかし、このエゴの自己防衛機能が必要のないとき(日常生活の中ではほとんど必要ありません)に活発になると、
余計な横滑りを始めるんですね。これが「悩む」とか「間違える」ことの本性です。
はなちゃんはお父さんを「嫌い」でもあり「どうでもよい」でもあり「好き」でもあると思うんです。
でも、表向きあからさまに「嫌い」と言うのは憚れると思っているのでしょう。(この思っているのもエゴだと思います。)
そういうふうに、これまでの人生の歴史の中で知らず識らずのうちに作ってきた偏りが誰にでもあります。
この偏りは自己イメージを保存しようとするエゴの働きが過剰に働いた結果です。

だからといってエゴを無闇に悪者にしないでくださいw
彼女も彼女なりに頑張っているのです。

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