はなこ

ひげおさんとの日々徒然

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最近の記事

エゴ と おともだちになる

この前、新しくできたスパにいった。温泉に入ってると意図せずとも、いろんな人の裸が前を通る。 ぼーっとみていたら、急に悲しくなってきた。 ちょうどその時、妊娠5か月。最近体動を感じたり、お腹が少しずつ目立つようになってた。 嬉しい気持ちしか、ないと、思っていたのに。 のに。 ボディーイメージが変化していくことに、気持ちがついていってないんだなあと… 嬉しい気持ちもあるし、自分の身体がコントロールできない怖さもあるし、出産後はあんな感じで体型が崩れていくのかなあと思って嫌だ

    • 父が嫌い

      これを考えているとき、結婚式の直前でした。 バージンロードを父と歩きたくなくて、もんもんと…。 なぜなら、父は仕事ばかりで家庭からは遠ざかり、家庭内の問題が起きても知らんぷりだった。 そんな父に、今更、父親面されたくないという気持ちがもくもくと。 でも、もちろんここまで何不自由なく育ててもらった感謝もある。不器用な父親なりの愛情だって感じている。 でも、でも、でも…。 お父さんが大嫌いなんですね(笑)。 お父さんが嫌いなはなこと、さすがに結婚式ではそれなりに振る舞い

      • エゴを飼いならす

        ここではなちゃん本体(エゴを超えた、自分自身、自分の本質、オーナー)にできることが2つあります。 *** 1. まずエゴのやりたいようにさせてあげてください。  エゴは想像上の自分です。想像上のものですから、なんでもないものです。  なんでもないものがあーでもない、こーでもない…とやっているわけです。  好きにさせてあげましょう。 2. エゴが問いかける内容に答えるよりも、エゴそのものを確認するほうに手間をかけてください。  どういうことかと言うと、  「私はあんな男と

        • エゴは死んでいく

          愛の制限と流れの話、自意識の積み上げとだるま落としの話、どちらにも共通して使えそうな例えが光の話です。 *** 宇宙全体は光に満ちています。どう頑張っても無光にはなれません。 光とは目に見えないマイクロ波や高周波なども含みます。 夜空は星の部分以外真っ暗に見えるし、その太陽光が当たっていない地球の夜の側は闇のように見えます。 これは我々人間が可視光として認識できる範囲に限定して物語を組み立てた説明に過ぎません。 少し物理をかじるだけで、人間に不可視の光も含めれば、全宇宙が

        エゴ と おともだちになる

          誰もいない!!

          「出来事は起こり、行為はなされるが、そこに行為者はいない(=行為者だと思う人物は概念上のものでしかない)」という話に納得してしまうと、 それまでずっと「私」を行為者だと思って暮らしてきたわけだから、ちょっとさみしく、切なく、思ってしまう。 また、実際、行為者はいないことに納得した後も「私」というこれまでずっと持ち続けてきた感覚や概念がいきなり消えてなくなるわけじゃない。 こんなことを考えながらラメッシ・バルセカールという人の『誰がかまうもんか?!(英題: Who Care

          誰もいない!!

          いらない"ややこしさ"は背負わない

          この数日、感情を噛み締めてます。 昨日の寝る前の瞑想ではまた泣きそうになりましたw 最近、瞑想すると泣きそうになることが多いです。 今も洗濯物をたたんでいて、洋服たちがたたまれていくことの中で「自分がたたんでる・たたんでやってる」とわざわざ思わなくても ある意味で「勝手にたたまれていく」のを見ていて、とても不思議な気分になりました。 面白いなぁ、素敵だなぁと思いました。 でも同時に、あれは確か娘を保育園に入れたすぐ後だったと記憶してるんですが、奥さんが職場復帰して、必然的に

          いらない"ややこしさ"は背負わない

          わたしはいない

          でもこれは本質的な話で、普段の個人としての生活の中で何か変わるわけじゃないです。 「私は存在しないのだから、引っ越すけど役所なんか行かないぞ!」とはならないw あなたもいないし、私もいない、いたことがない、なんて誰も理解できませんからね。 この話は徐々に言語化していければと思ってます。 ちなみに、馬車の喩え(自分のオーナーになる話)と矛盾しているというか、逆行している話のように聞こえるかもしれません。 でもこれ根源的なところでつながってるんですよ。 自分という馬車のオーナ

          わたしはいない

          SNSには誰もいない

          noteにブログを書き始めて、気づいたことがある。 時代的に中学生くらいからSNSが発達してきていたので、 いいねが欲しい、人よりキラキラ見せたい、みたいな欲求ともいい塩梅でお付き合いできてると思っていたけれど、 新しくブログを始めるとまた、気持ちがむくむくと出てきていることに。 インターネットには誰もいませんからね。 人物らしき投影=影絵が集まっているだけです。本当に誰もいません。 だからこそフォロー数とかいいねの数とかが重要視されるんだと思います。 本当に誰もいない

          SNSには誰もいない

          自分の身体で起きていることには必ず意味がある

          乗合馬車の話なんですけど、 私車(=体)がうるさいかもしれないということに気付きました。 大抵なんとなく具合が悪くなってきて、はてこれは…???って思い感情と思考に気づくパターンですねえ…。 肌が荒れたり、アレルギー症状出たり、どこか痛くなったり… あー、僕が瞑想をはじめたころを思い出しますね。 僕の場合は「なんでこんなにちょいちょい身体は不調になるのだろう?」というのが若いときからありました。 身体の不調をなんとかしたいという試みの中で瞑想に出会ったところは大きいですね。

          自分の身体で起きていることには必ず意味がある

          瞑想の多様性

          瞑想をやってみてどう感じるか、どんなことが起こるかはかなり個人差があると思います。 過去に瞑想してる友達や知り合いと情報交換をして知ったことですが、 例えば、 ・気持ち悪くなってできない ・なにが正解かわからなくてただただ辛い ・意味がわからない ・本に書いてあるとおりできなくてイライラしてしまう ・瞑想のやり方だけがどんどん上達するけど、精神が成長している感じがしなくて悩む など、瞑想することで余計に悶々しちゃう人もいっぱいいるようです。 一方、 ・瞑想を習慣化するように

          瞑想の多様性

          瞑想の話

          ひげおさんから瞑想の話を聞いた。 ひげおさんがよく瞑想をしているのは知っていたし、なんか流行っているから瞑想について気になってはいた。 でも、実際のところ、瞑想ってよくわからない。 こころがおちつくの?ただ座っているの? YouTubeとかでみる瞑想をやってみてもなんだか、これであってるんだかなんだか、何か良くなったんだか、わからないで終わる。 昨日の夜、瞑想をしていたら、自我が爆発する体験をしましたよ。 僕は瞑想中にいろいろな心的体験(日常の物理世界で起こっているこ

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          死ぬこと

          この前、久々にお友達に会った 彼は、 死んだら生きていたことを誰も証明できなくなってしまう、時代が過ぎれば忘れられてしまう と話していて そしてそのことがすごく悔しいことのように話していたのが印象的だった。 私はすっかり、死ぬのは”身体がっ”てことだよなあ〜って思っていて、別に悔しいとも悲しいとも思わないなあ・・・と。 身体だけが死ぬ、それは寝ている時と何ら変わらないと思っているから。 でも、それでも。 それでも死を目前とした時、恐怖を感じるだろうことは漠然と感じて。

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          イライラはエゴのおなら

          細なことで旦那さんに怒って、その怒りのぷんぷんした波動みたいなのが止められない。 本当に些細なこと過ぎて覚えていないけれど、とにかくイライラしてしまってもうやだ!むかつく!ごめんじゃない! そんなことがたまにある。 ああこれは何かに怒ってるんじゃなくて、ただ自分の中で沸々と湧いてる…怒りたいから怒ってるんだなあ〜。 旦那さんはただその私の怒りの沸点を上手にひっかけてしまっただけのことだなあ。 仕事ってある意味怒りを引き出してくれる対象が定期的に発生してたので、自分のガス抜

          イライラはエゴのおなら

          ”わたし”とはわたしであって、それ以上でもそれ以下でもない

          私とは何者か?と考えるとき、馬車のワークで考えてみたらいいよっていう話の続き ドリルの無駄な部分を省いてショートカットしてしまいますと、馬、御者、車の中のどれか、または全てを組み合わせても「私」は見つかりません。 そうなんです、このレベルで考えていたら「私」なんて存在しないんですよ。それ以外に答えはありません。 わたしは乗合馬車ですし、もしかしたらオーナーになったことなど、一度もないですねえ。 今妊娠中で、つわりの症状がよく現れます。いつもは夕方くらいから気持ち悪いのに

          ”わたし”とはわたしであって、それ以上でもそれ以下でもない

          ”わたし”とは なにか

          同一化している主体の「私」については、世の中のほとんどの人が考えたこともないです。これがうぶさの根源と言えるかもしれません。 はあー….私とはなんなんでしょうか。 私なんて存在するんでしょうか。なんか常に色んなものに同一化してる気がしちゃう〜 一度ご自身で具体的に考えてみるといいと思います。自分のこととして具体的に。私は誰なのか、存在するのか…みたいな話は僕は大好きですからw、いくらでもうんちくを語れるわけですけど、 ここで話している流れ、文脈でいうと、僕の話を鵜呑みにし

          ”わたし”とは なにか

          人間のうぶさ

          一時期、ねずみこうだったり、株だったり、宗教チックなのだったりにめちゃくちゃ勧誘される時期があった。 今振り返ればいい人生経験なんだけど、みんな優しいふりして近づいてきて、なんだか傷ついた気持ちになっていたことがある。 それは、うぶさがなせる業だと,言われたことがある。 信じ込みやすさ、影響されやすさ、という人間のうぶさが悪用されている事例は絶えませんよね。 プロモーション(広告)の手法が丸々このうぶさに根ざしてますし、 会社組織の作り方とか、家族の在り方、教育の在り方、

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