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正義とは何か

今期のヒロアカについて、2回に1度は涙を流しながら見ている。
今回も予想通り、涙なしでは見られない回だった。
6期については、進撃の巨人を見ているときの感覚に似ている。
この先も苦しいことを分かりながらも見続けてしまうあの感覚。
最後の予告の音楽もめちゃくちゃ似ている。
それでも私は最後まで見届けるのだけれど。

それはさておき、ヒロアカと言えば、アメコミ大好き堀越先生によるヒーロー漫画作品。
前回の記事にも少し書いたが、最近私はバットマンシリーズにハマっており、先日「ダークナイト」を見終えたばかり。

これがまた少し重なる部分があって面白かったので、今日はその事について書こうと思う。


ここからは、ネタバレありで書いていこう。
因みに私は原作未読者である。



まずは、アニメ「僕のヒーローアカデミア」第124話「ダビダンス」のあらすじ。

ヴィラン(敵)である荼毘は、自分がNo.1ヒーローエンデヴァーの長男であると公表する。

目の前で聞いていたエンデヴァーは、亡くなったはずの長男がヴィランとして今も生きているという事実を受け入れられない。

荼毘は、私欲のために子供を作り、自分の夢を子供に託そうとしたエンデヴァーに恨みを持っており、いわば復讐心のようなものを抱いて再びエンデヴァーの前に現れたのだ。

一方、この回のもう一人の主役のヴィランであるトガヒミコはウラビティーと一対一で戦っていた。

トガヒミコは、ヴィラン仲間のトゥワイスがNo.2ヒーローのフォークスにやられたことで、ヒーローという存在に対してより強く疑問を抱いていた。

自分と同じように、デクに好意を抱くウラビティーとなら分かりあえるのではと確かめにいくが、もちろんウラビティーは人の命を奪うトガヒミコを許せるはずもなく、戦い続ける。

No.1とNo.2ヒーローの行いが明るみになり、ヒーローに対する世間の視線がこれから変わっていくことを示唆するような内容だった。

今回のエピソードに限らず、作品全体を通して「ヒーローとは何か」「正義とは何か」というテーマがある。

荼毘だけでなく、ヒーローとヴィランが実は血縁関係にあったり、ヒーローが復讐心に動かされヴィランを倒そうとするシーンは度々出てくる。

この度に、正義と悪は常に表裏一体であり、いつどちらに転んでもおかしくないということを思い知らされる。


映画「ダークナイト」も「真の正義とは何か」がひとつのテーマである。

ヴィランであるジョーカーの台詞でこんなものがある。

「“狂気”は重力のようなもの。
 人はひと押しで落ちていく。」

「ダークナイト」(2008)

作中で登場するハービー・デントは新任検事として町に蔓延る悪と戦ってきた。その高潔さを称えて町の真のヒーローとも思われていたが、ジョーカーが仕組んだ罠により恋人を失った後、復讐に燃え、自らがトゥーフェイスというヴィランになってしまう。

そんなハービー・デントのことを言った台詞である。


ヒロアカにも当てはまるキャラクターたちがいくつか思いつく。
オールフォーワンと死柄木弔の関係性もまさにそうではないか。
死柄木弔も「重力のように狂気へ落ちてしまった」一人かもしれない。
この危うさが、最近のヒロアカには特に潜んでいて、見ていて落ち着かない。
昨年は特にアニメばかりに集中していたが、今年は映画や本も少しずつ楽しんだりして、幅広く作品を見る楽しさも見出だしている。



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