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リルケ詩集から

おはようございます。
クマ犬ぽたです。

今日はリルケの気になった詩集から、
『形象詩集』より

嘆き

ああ、なんとすべてが遠く
そして遙か昔に過ぎ去ってしまっていることだろう。
今私が受け取る星の光は
数千年前に
滅んでしまった星からくるのだ。
通り過ぎて行った
船の中から
何か不安な声がきこえたような気がする。
家の中では時計が
鳴った‥‥‥
だがどこの家ともわからない‥‥‥
私は私の心の中から出て
広い空の下に立ちたい。
私は祈りたいような気持ちだ。
これらすべての星の中で一つぐらいは
実際にまだ存在しているはずと思う。
どの星が孤独に
まだ生き残っているかが
わかるような気がする、どの星が光の筋の果てに立つ白い都会のように
空の深みに浮かんでいるかが‥‥‥

リルケ詩集-形象詩集より-頁48,49

寂寥

寂寥せきりょうは雨のようだ
それは海から夕闇ゆうやみこめた岸べに打ち上げ、
人里はなれた広野こうやから
いつも寂寥のこめた空に向かって昇る。
そうして空から街の上に降る。
薄明の時間を、雨となって降りそそぐ。
すべての小路こうじ東雲しののめの方角に走るとき。
期待を裏切られてた二つの肉体が
幻滅と悲哀とを感じながらはなれるとき、
そうして憎み合う人と人とが
一つ寝床に眠らなければならぬとき、
そのとき寂寥は川となって流れてゆく‥‥‥

同前-頁49-50

この詩集の好きなところは、短い中に凄く凝縮されたエッセンスがちりばめられているということです。

この本は先日いった大分の思い出の本ともなっています。
どこから読んでも良いし、開いた頁をみて、自分の感覚との違いを味わったり詩人の言葉の使い方とかも凄いなあと思うことばかりです。
肉体的な苦痛を昔から味わってきた私にとって、リルケは忍耐力を教えてくれた。肉体を耐えしのぐこと、慢性腰痛で、歩くのも大変だったときの事を思いだす。
心と身体が一心同体になって初めて魂というものを掴めることが出来る。
私の尊敬している執行先生も肉体の痛みに小さい頃から耐えてきた。

リルケのこの詩は更に勇気を与えてくる。

(来たらんか終の痛みよ)
来たらんか、ついの痛みよ 我、汝をうべなえり
我が骨肉の裡に宿りし癒し難き痛みよ
見よ、かつて魂において燃えた如くに、今
我はうちに燃えんとす。我が肉は永く争い
汝が燃やさんとせし焰を拒み続けん。
しかるに今、我は汝を育み 汝の裡に燃ゆ。
この世なる我が平穏は 汝が憤怒の中で
あの世への掛け橋たる慟哭と成りぬ。
我が無心に苦しみの棚引ける山に登り、終に未来から解き放たれんとす。
涙したたる我が心を生け贄に、
かく故に我は真の未来をあがない得るか。
今、人知れず燃ゆる我は、我に在るや在らずや
我は思い出を解き放つ
ああ、我がいのちよ、生は外に在らんか
それ故に焰たる我を知る者は誰もらぬ。

友よ-執行草舟-頁304,305

今日は詩の紹介ですが、私があれこれ書くよりも、この詩の素晴らしさというのを感じて頂くのもありかと思います。
学びが気づきになって血肉になることを祈って。

最後までご覧いただきありがとうございました。
それではまた👋
ご機嫌よう!

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