靴を探しに~初めてのGUCCIで泣いた話
良い靴を買おうと決めた。
今季買ったBIRKENSTOCKは2足ともめちゃくちゃ気に入っているけれど、何せショートブーツとボア付きサンダル。春が来たら履けなくなってしまう。
カレを買ってエルメスの魅力に取りつかれた私は、ひそかにほくそ笑んだ。そうだ、エルメスで靴買えばいいじゃん。1つ買えばまた欲しくなる、そこはエルメス沼の入り口だ。
問題は私の足。マノロ?ルブタン?おいしいの?な幅広甲高ワガママフットはヨーロピアンとまさに逆。たぶん入らないけど、エルメスの靴、一度でいいから履いてみたい…!好奇心が抑えきれなくなった私は、完全にダメもとで試着に向かった。
エルメスの棚は、空っぽだった。
履いてみたかったモカシン・パリの在庫はなし。サイズのあったデスタンは気持ちよくフィットしたが、在庫は汚れが目立ちそうな淡色スエードのみ。スムースレザーが気になるが、パリ共々入荷時期は未定。取り寄せるなら購入が前提だという。つまり、運よく次に入荷したタイミングで店頭に足を運ばない限り、試着すらできないのだ。さすがは天下のエルメス様。
しかしデスタンを履いた瞬間の感覚は、衝撃的だった。靴底が、足裏に吸いついてくる。履いてしばらく立っているだけで、靴が足の形にじんわりと沿ってくるのがわかる。いい靴ってこういうものなのか!
他のハイブランドはどうだろう、とこの時初めて興味が湧いた。
エルメスを出て、百貨店のフロアを見渡す。靴と言えばフェラガモ?と隣のフェラガモになんとなく入店し、試着させてもらったが木型が全く合わず。店を出て顔を上げると、遠目にGUCCIの文字が見えた。そこで思い出した。そういや最近、noteでGUCCIのかっこいいローファー見たぞ?
***
「若いモード感」に何となく気後れして、GUCCIには一度も入ったことがなかった。入り口に立っていたのは、優しそうなお母さん然とした年上女性。思い切って挨拶し、きれいめに履けてカジュアルさもあるヒールのない靴を探している、と伝えると、そのままシューズコーナーに案内された。
バックヤードに行った彼女を待つ間、背筋を伸ばして店内を見渡した。色と柄がこれでもかと散りばめられているのに、気品溢れるGUCCIの世界。そこへ若い男性店員さんが近づいてきて、「店内、乾燥しますよね?」とおしゃれなボトル入りの水を出してくださった。やだ、ここ好き。あったかい。
やがて、お母さん店員さんが箱を抱えて戻ってきた。出してくださったのはヨルダーン。「こちら、幅広甲高なお作りなんですよ」という説明に小さく驚く。え、イタリアの靴なのに?
慣れない靴べらをこわごわ当てがって、履き口に足を差し込むと「シュッ」と小気味よい音がする。履く瞬間はちょっときついかな?と思うのだけど、履いてみたら快適そのもの。いい靴は、着脱しやすいのではなく履き心地がいいのだと、どこかで読んだのを思い出した。
立ち上がると、再びあの感動が襲ってきた。靴底がぴったりと足に吸いついてくる。靴が足に馴染むどころか、足の皮膚に同化してくる感覚。軽く歩き回ってみると、何も履いていないみたい。どこも当たっていないし、違和感が全くない。
鏡を見て、また驚いた。まるで今日履いてきたかのように、自然なのだ。
パリやデスタンを履いた立ち姿では、まず靴に目が行った(いい靴履いてますね)。ヨルダーンは違う。強く自己主張しないのだが、圧倒的な恭しさと品格でそっと履く人を支えてくれる。なんというか、武将の妻のような。
しかし、驚きはこれだけではなかった。
店員さんを振り返った私の目に、「それ」は飛び込んできた。
濃緑に見えるほど深く艶めくブラックレザーのバッグは、私の持つGUCCIのイメージからは大きくかけ離れていた。なまめかしい黒革に華麗なゴールドチェーンがよく映えて、こちらはさながらヨーロッパの貴婦人だ。
呆気にとられる私を前に、店員さんがちょっといたずらっぽく微笑んだ。「どうぞ、合わせてみてください」さらりと差し出されたバッグを受け取り、おっかなびっくりチェーンストラップを斜めにかける。鏡を見た瞬間、目を見開いた。
華。圧倒的な華だ。
バッグを持つだけで私の存在が華やいでいる。ブラックの小物は暗く見えるからと避けてきたのに、これは今まで持ったどのバッグよりも私を明るく見せてくれた。しかも、品格まで添えて。この瞬間、世の女性がチェーンバッグを求める気持ちが痛いほどよくわかった。
さらに、バッグと靴が呼応している。両方とも黒革にゴールドのホースビット(くつわ)という組み合わせだが、ニュアンスが異なることでかえってバランスが取れている。靴は、GUCCIの歴史の象徴。バッグは女性らしい華やかさを表現しているのだと、店員さんが教えてくれた。
ホースビット1955には、レザーのストラップもついている。付け変えてみると雰囲気が一変、海辺の街にも馴染みそうな親しみやすさが漂う。さらに、色とりどりのツイリーをハンドルに巻きつけると、一気に表情が変わるのも面白い。バッグが主役からキャンバスに変わるのだ。これは、ベースがブラックだからこそ成立する幅の広さだと悟った。
「お客様には、このバッグが一番ぴったりだと思いました」
驚きと興奮で変なテンションになった私に向かって、したり顔で、でも優しい声音で店員さんが話し始める。
「お客様、お子様が小さくていらっしゃいますよね?両手が空くのが第一条件だと思いますから、あえてハンドバッグではなくて、ミニバッグの肩掛けをオススメしようと思いました」
ミニバッグ、考えたことなかったです。
「子育て中、お荷物は多いと思いますから、すぐ取り出したいものだけミニバッグに入れて、あとは別のカバンにおまとめになるのはいかがですか?」
おお、なるほど。でも今、私のショッピングリストでバッグは最下位で…そんな心の中を読み取ったかのように、彼女は続けた。
「みなさん、お子様が小さいから汚れてもいいバッグを、とおっしゃるんですが、お子様が小さい今だからこそ、良いバッグをお求め頂きたいんです」
どういうこと?
「これからお子様と、きっといろんなところにお出かけされますよね。子育てって、毎日が貴重な瞬間の連続なのに、本当にあっという間に過ぎてしまいます。だからこそなるべく早い段階でこちらのバッグをお持ちになって、バッグに思い出を刻み付けていただきたいんです」
思い出を、バッグに刻む。考えたこともなかった。
「ああ、このバッグであそこに行ったな、こんなことがあったな、って。お子様が大きくなられたら、こうしてストラップを外してセレモニーにお連れください。小さな頃からの思い出が詰まったバッグで、入学式や卒業式に」
え…?
「お子様、今2歳なんですよね?じゃあそうですね、15年くらい経ったら、当店までバッグをお持ちください。ステッチのほつれや革の傷に金具の緩みなど一通り全て、一度無償で修理させていただきます。それできれいになったバッグを、お嬢様にお譲りされるのはいかがですか?これはあなたが小さい頃から今までずっと、一緒に歩んできたバッグなのよ、って」
あ…ダメだ。
盛り上がってくる涙を、止められなかった。
産後うつを経験した私にとって、娘を産んで最初の1年は、それまで生きてきた中で一番辛い日々だった。私が子どもなんて望んじゃいけなかった。こんなダメなママなんかいない方がいい。消えたい。いなくなりたい。毎日そう思っていた。
その頃持ち歩いていたマザーズバッグは、見るのも辛すぎて早々に手放した。でも今、子育てが楽しいと思えるようになった今ここから、新しいバッグと共に思い出を積み重ねていけるのだとしたら。
涙で言葉を詰まらせた私に一切動揺することなく、店員さんが言った。
「せっかくの宝物みたいな思い出を捨てちゃうなんて、もったいないと思いませんか?」
きっとご自身も子育てを経験されたであろう先輩の、すべてを包み込むような柔らかく温かい声音に、心の奥が揺さぶられた。
私は、初めて訪れたGUCCIで、バッグを前にして泣いた。
***
結局その日は、何も買わずに帰った。そして今もなお、全く予期していなかった心震える出会いの余韻の中にいる。
次に買うものは、心から好きなものと決めている。だから、この心の震えが自分の内側から、心の奥底から湧き上がっていると確信できたら、迷わずにこの靴とバッグを買おう。
そのためには、他と比べてみるのもいいかもしれない。せっかく本物の黒の靴やバッグの良さに気づいたのだから、もう少し色々見てみようと思う。
「長く愛せるから、共に歩めるから、だからみなさん、ブランドにお越しになるんだと思いますよ」
そうおっしゃっていた店員さん。ハイブランドのハイブランドたる所以と誇りに、今私は心から痺れている。
この話の後日談はこちら。
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