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私は友達が少ない。
私は友達が少ない。社会人になったばかりの頃の話だ。
小中高・大学と、それなりに友達はいた。仲良くなるのが下手ってわけではないらしく、喧嘩もそれなりにしてきたけど人間関係に深刻に悩むほどではなかった。
ただ、「区切り」をつけるのが、異常に上手かった。
小学校から中学へ上がれば小学校の頃の友達を簡単に手放し、中学から高校へ上がれば中学の友達とは自分から連絡を取ろうとは決してしなかった。大学は県外に出たため、高校の友達とは全員おさらばしても良いくらいの気持ちでいた。今まで同窓会には無論出たことはない。
一応断っておくと、関係はその時限りだったとしても、決して大切にしなかったわけじゃない。友達の中でも、親友と呼べるようなとても仲良い友達はいつの頃も1〜2人は居て、本当に泣きながら話したり喧嘩したり、相談し合ったりしていた。本当に大切だった。大切だったから、手放される前に手放した。それだけ。
希薄だ。
現代あるあるだって思ってもらっていい。今じゃよくある話だ。
希薄だ。
薄くて息ができなくなる。
*
私には仲良い友達が数人だけいる。社会人になって少し経った頃の話だ。
とても仲良い友達には皆 共通点がある。
ちょっと個性的だ。悪く言えばアクが強い。クラスで浮くギリギリラインの個性を持ってる。ほとんどが大学で知り合った友達だ。仲良くなってはじめて分かるのだけど、彼らは皆例外なく、その自分の個性によって傷ついた経験を持っていた。私よりずっと人間関係に悩んで生きていた。傍目から見て、とても自由そうに見えるその生き方に「羨ましい」と言われることにすら傷ついていた。それでも必死で人と関わって生きていこうとしていた。
私は彼らがとても好きだ。確かにちょっと変わってる節があるかもしれないけど、好きなものごとには寝食忘れるほど没頭し、好きなものを好きだと言い、決して手放さない、確固たる強さがあった。
そして私のことも、決して手放さなかった。
何年経っても、まるでいつも会ってるかのように平然と連絡してきた。一方通行をまるで気にしない様子だった。一度友達になった縁は、切れないと思ってる。
手放されない、安心感。
空気の濃度が上がって、少しだけ息ができる。ちょっと休憩。
*
私にはADHDの友達がいる。社会人になって丸4年経とうとしてる今現在の話だ。
社会人になって早々に私の数少ない友達が続々と会社を辞めた。社会が彼らの個性をダイレクトに拒んだのだ。
学校にいた頃、「ちょっと個性的だね」で済まされていたことが、社会は認めてくれなくて、病院に行ったらADHDだと言われた、らしい。
ここ数年で、私の友達は次々ADHDだと宣告され、薬を常飲したり、障害手帳を所持するようになった。
その後 数年で何社も渡り歩く人もいれば、フリーランスになった人もいるし、海外へ飛び立った人もいる。友達は、好きなことを好きだと言い続けることを決してやめない。けれど会社を辞める決断をする前、皆泣いてた。
私の友達が、社会に、全否定された。
私は彼らと出会って、やっと息ができるようになったと言うのに、彼らの息する場所は、どこにあるのかまだ分からない。
*
私はこの4月から、友達と一緒に暮らす。ちょっと未来の話だ。
彼女は、ADHDとASDが併存してるらしい。でも私にとってそんなことはどうでも良い。どんな病名が付こうが、私にとって彼女が彼女であることに変わりはない。
ちょっと人の話を聞くのが苦手で、ちょっと物忘れが激しくて、興奮してると何喋ってんのかよく分からない。でも人三倍くらい努力家で、繊細で、感情豊かで、毎日必死に息できる場所を探してる。小説家志望の、夢に溢れた、私の自慢の友達だ。
これからも彼女は、個性を個性として認めてくれる場所を、「できない」の言葉に縛られない場所を、ゆっくり深く息ができる場所を、懸命に探していくだろう。そして私は、それを側で少しだけ支えてあげたい。
社会よ、私の友達を否定するな。
*
彼女と一緒に暮らすのは、きっとそんなに長くない。どちらかが会社を辞めたり、結婚したり、旅に出たくなったら、呆気なく終焉を迎えるだろう。
でも私はもう知ってるから大丈夫。
彼女は私のことを決して手放さない。そして私ももう手放す気はない。
何年経っても、きっと平然と連絡してくる。
「ねぇ元気?」
元気だよ、
君たちがいれば、私は息ができるから。
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