31.そのうち、皆勤賞の価値は無くなるだろう。 だって社会の実情にそぐわないもの、、、。
「〇〇くんは、落ち着きがありません。」
「〇〇さんは、協調性がありません。」
生徒が落ち着いていて、協調性があることで助かるのは先生なのだ。
「つまり私が楽できません。」
ということなのだ。
皆勤賞も内申書も全ては生徒のためではない。
先生がクラスをコントロールしやすくするためのものだった。
考えてみてほしい。
例えば、いろんな動物がいるクラスの先生をしたいだろうか?
理想論では
「それぞれに才能があり、価値がある。それぞれの個性を伸ばして、、、。」
と言った綺麗事を並べることはできる。
しかし実際は、体型も違う、餌も違う、気性の荒さも違う、夜行性かもしれない。
または同じかと思ったら、ジャガーとヒョウだったりもする。
それならば全部「羊」のクラスを受け持ちたいと思うのではないだろうか。
まともな大人であればあるほど「どっちのクラスをやりたい」と言われたら、羊のクラスの方が多いはずだ。
なぜなら圧倒的に楽だから。
理想論や綺麗事を目指すと、その分「労力」が必要になる。
「労力」はできるだけ使いたくない。
先生ではない私ですらそうなのだ。
相手が「動物」どころか「人間」ですら嫌だ。
いや、「人間」だから嫌なのだ。
そういう意味において、人間の、しかも子供たちを相手にする「教師」という職業に就いている人を本当に尊敬する。
生涯皆勤賞は無理な話。
さっさと皆勤賞の呪縛からドロップアウトしたほうがいい。
追伸、小学生にも「有休」が当たり前の時代が来るかもしれない。
おススメの書籍はコチラ↓
よろしければサポートをお願いいたします。コービーブライアントレスから立ち直るきっかけになりそうです。