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弱聴の逃亡日記 予告編

――この物語は坊主頭の28歳独身女、弱聴(仮名)が現代社会という荒波から抜け出し、東京から故郷の岩手県まで約430キロの距離を歩いて旅したお話である。
(本編より)

仮タイトル「弱聴の逃亡日記 ~430キロ徒歩の旅~」

――弱聴は突然むくりと起き上がり、ニット帽を脱いだ。
 坊主頭が露わになる。数ミリしか伸びていない髪の毛に、丸い頭の形がはっきりと表れる。さっきまでニット帽に入っていた耳がなんだか寒そうだ。坊主頭から男だと思ってしまうが肌質や体型を見るとやはり女だ。
 弱聴は、呟いた。
「よし、歩いて旅に出よう。」
(本編より)

ある日、弱聴は徒歩で故郷の岩手県に帰ることを決意し、半ば蒸発に近い状態で家を飛び出す。

――やっぱりスマホを持ってくるべきだっただろうか?

――「徒歩の旅といえば、やっぱり野宿でしょ!」さて、寝袋を出して……といきたいところだが弱聴は寝袋を持っていない。

――この時、弱聴は重大なことに気付いた。
「歩くと疲れるんだ… 忘れてた…」
チーン…。
(本編より)

スマホなし、寝袋なし、体力無し!
準備不足で苦労続きの旅の中、弱聴が逃亡した理由が明らかになっていく。

――2017年10月、働き方改革の波が弱聴の職場にも襲ってきた。

――動悸、息切れ、めまいに頭痛。更年期障害か! なんてツッコミを入れたくなる症状ばかり。初めは笑い飛ばしていたけれど、仕事に支障が出るようになって笑えなくなった。

――人は人件費。働いた分だけお金がもらえる。誰がどんな能力を発揮して、誰がどんな活躍をしているか、そういうのは関係ない。

――味や見た目は関係ない。腹に入れば何でもいい。今感じている空虚感や脱力感は空腹からくるものなんだ。満たされない感覚が無くなるまで胃をいっぱいにしなければ…。
そうやって私は過食症になってしまった。

――めまいや頭痛を我慢しながら仕事して、帰ってきたらブタみたいに食べ散らかして、便器の前に跪いてゲロ吐いて――それでも残った選択肢は「ここから一歩も動かない」という結果。
(本編より)

そんな問題だらけの私生活から逃げるように旅に出た弱聴は、旅でのトラブルや人との出会いを通じて少しずつ変わっていく。

――女の子が近づいて来て弱聴に言った。
「なんでそんなに髪短いのぉ~」

――「何してるの? こんな道端で」
突然のことに戸惑う弱聴。
「あの…えっと…寝てました」
「寝てました?」
呆れたように笑われる。
「実はね、私たち警察官でね」
「警察!」慌てて起き上がって居ずまいを正す。

――「あの…実は野宿させてもらっていました。歩いて旅をしている者で、ここがすごくいい場所だったので、場所をお借りして寝させてもらいました。あの、何か盗もうとか悪さしようとかそういうつもりは一切なくて、本当にただ寝させてもらっただけで…」

――どうやら純情的弱聴が降臨してしまったらしい。
「ベッド、ありがとう! 布団、ありがとう! 屋根と壁、あなたたちが雨風を凌いでくれたお陰よ。それから床も。みんな、ありがとう!」

――不思議と力がみなぎっていた。先ほどまで感じていた疲労が嘘のように消え去り、まるで若返ったかのように体が軽くなり、サクサクと足が進む。腹の底からはフツフツと熱が沸き上がり、背中から蒸気が立ち上るほど全身が熱くなった。頭の中では「諦めるな、進め、進め!」と鼓舞する声が絶え間なく聞こえてくる。

――私にも出来るんだ。消去法ではない選択が。誰の目も、何の利害にも左右されない、自分の意志だけが決める選択が、私にも出来たじゃないか。

――少し荒療治の感は否めないが、これでいいんだ。私なりの治し方だ。「生きるためのレシピなんてない」んだから。

――私はすでに「イタイ人」だ。バカにされたって、笑われたって気にすることない。
(本編より)

そして長い旅路の中で様々なテーマに、少しコミカルに、けれど真面目に向き合っていく。

――弱聴は自分とスマホの関係性について考えるようになった。いわゆる「私とスマホ、どっちが大事なの?」的な話だ。

――「教わって出来るようになった」ということは言い換えれば「教われば誰でも出来る」ということだ。「教わって出来るようになった仕事」はつまり「教われば誰でも出来る仕事」なわけで、だから私は簡単にお金に成り下がったのだろう。

――だって金の存在があまりにも大きすぎるし、それに対して自分の存在はあまりに小さすぎる。どう考えても私は金に勝てない。
どうしよう。マジでお金が怖い。

――そんな弱聴の愚直で不器用な中学時代は、しかし、失敗だったらしい。
 何を持って成功失敗を判断しているかは分からないが、少なくとも私たちが受けた「ゆとり教育」という教育制度は失敗だったらしい。

――「ごめんね、私の体。ごめんね」弱聴は体に謝った。
 心なんて不確かなものだ。小さな出来事でころころ変わる。その不確かな心の、ほんの一瞬の気の迷いで、ひたむきに働き続ける自分の体を痛めつける資格があるだろうか。

――体ってすごく不思議だ。お母さんのお腹の中で自分が成形されたことも、お母さんのお腹から出てきたことも、小さい体が大きくなっていくことも。それら全てが自分の身に起こって経験してきたことだということも――すごく不思議。そしてどこか神秘的。

――「本当の幸せってなんだよ~。幸せの意味ってなんだよ~。見つけたってズルいよ~。私にも教えてくれよ~」

現実社会を離れ、長距離を歩き続ける極限状態の中で生まれる発想は目からウロコ間違いなし!


以上、出版社に送った企画書の一部を「予告編」と言う形で投稿させていただきました。

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