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「走りたくない」を「走りたい」に変えた妻の一言

なぜ一度はきっぱりと走ることをやめた自分が再び市民ランナーとして走り出したのか、誰かのヒントや勇気になればと思い、話しておこうと思う。

僕が選手として走り出したのは中学生1年生の時。

スポーツが苦手というコンプレックスを克服したかったので、努力で才能をカバーできる長距離走なら・・・と選んだ競技に11年の歳月と情熱を注いだ。

それなりにやりきったので、陸上競技を引退した時は正直「もう走りたくない」という思いだった。

社会人となり忙しくなったこともあって全く走らない日々が10年つづいた。

友人に誘われて駅伝を走ることはあったが、競技への情熱を再燃させることはなかった。

そんな僕に転機が訪れる。

それは当時お付き合いしていた彼女(今は結婚して妻)との他愛もない会話。

彼女「東京マラソンすごい人気だね」

自分「そうだね。走ってみたいけど、倍率10倍だから当たらないよね〜」

彼女「じゃあ、エントリーするだけしてみる?」

自分「するだけしてみるか」

彼女「当たったらどうする?本気で走るの?」

自分「確かに・・・。当たったら練習してサブスリー*挑戦しようかな」

彼女「それいいね」

*サブスリー:42.195kmを3時間以内で走るエリート市民ランナーの証

そうして、東京マラソンにエントリーすることになった。

しかし、残念ながら2ヶ月後に届いたのは抽選落ちの案内だった。

本来ならばここで終わりの話はここから意外な方向へつづく。

彼女「外れたね〜」

自分「しゃあない」

彼女「どうする?他のレース出る?」

自分「いやいや、今更他はないよ。でるならニューヨークシティマラソンとか、沖縄とかの南国まで行かないとやる気でないよ」

彼女「ふーーーん」

そうして、マラソン再燃はない、、、かと思われたが、後日。

彼女「エントリーしといたよ!」

自分「えっ?何に?」

彼女「石垣島マラソン」

自分「は?」

彼女「だって、沖縄とかなら走りたいって言ったじゃん。私、石垣島行ってみたかったんだ〜。サブスリーがんばってね~」

何とも強引な展開で僕は石垣島マラソンでサブスリーを目指すことになった。もう10月末のことだった(石垣島マラソンは1月下旬)。

動機はどうあれ「やる!」と言ってしまった以上、仕方ない。僕のランニング人生の再開は半強制的にスタートした。

10年ブランクの一般人が3ヶ月でサブスリー。その難易度の高さも良くわからないまま日常の中にランニングが増えていく。

しかし、そんなに話は甘くない。

3ヶ月それなりに真剣にトレーニングをして臨んだ石垣島マラソンは3時間08分54秒。32kmまでは順調で「これはイケるか?」と思わせたが、付け焼き刃では石垣島の気温と風と坂には勝てず、最後10kmは歩くのと変らないほどのスピードまでバテてしまった。

悔しかった。目標は達成できなかったが3ヶ月を振り返ると色んな変化が起きていることに気づいた。

まず、ランニングを通して友だちができた。朝一緒に走る仲間との出会い、元陸上選手時代の仲間との再会、エリートランナーたちとの交流、走ることそのもの以外の面白さを見つけた。

更に、体力がついて仕事もエネルギッシュになった。もともと睡眠時間を削ってでも仕事をするタイプの自分はつい夜遅くまで仕事をしてしまっていたが、練習による疲労感で早く寝るようになり、健康的になったとも言える。

そして、予想外だったこととしては、目標に近づいていく喜びを感じられたこと。明確に数字で表されるランニングの目標は日々にモチベーションを与えてくれた。

石垣島マラソン以降は、特別な目標があるわけではなかったが、誘われては大会に申し込み、みんなとワイワイと楽しみながら走る市民ランナーと化していったのである。

会社の仲間もつられてか走るようになり、ランミーティングと称した「走りながらミーティングをする」という文化まで生まれた(就業時間は自由なため、日中にトレーニングをすることができ、またオフィスが一軒家なので部室やシャワーが完備されている)。

そして、2014年8月にランニング再開後2回目のフルマラソンを走ることになる。

北海道マラソン

「もしかしたら、次こそはサブスリーできるかもしれない」そんな淡い期待を抱きつつ、スタート。

しかし、気温27度の真夏のレースの洗礼は厳しく、ハーフを通過した時点から頭がボォーっとしてくる。歩きそうになるのを必死に我慢してかろうじて走る。まさに地獄をみるほど苦しいレースとなった。結果は3時間21分。

惨敗。

正直、走りながら何度も思った。「何でこんな苦しい思いをしてまで走っているんだろうって・・・」そして、決めた。もうマラソンはやらない。

趣味程度に走るだけならフルマラソンで記録目指さなくなっていい。

その思いを妻(彼女はこの頃に妻になった)に伝えた。

そして、言われた。

「えぇ〜、サブスリーやるって言っておきながら2回ともダメで諦めるってダサぁい」

会心の一撃。

僕のハートの防御力に関係なくこんなにも刺さる言葉。

「ダサい」

この言葉を人生に残してはいけない。やるしかない。

そう思って再挑戦を誓った。

すると、1通のメールが届いた。

「東京マラソン当選のご案内」

そういうことか。そうきたか。

東京マラソンきっかけで再開させられた僕の競技人生。

遂に君と直接対決する時がきたんだな。

やってやるよ。

そうして、僕の東京マラソンへの挑戦と共に本気の市民ランナー人生はスタートしたのだった。

#家族

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