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バトン2

はじめに
これは、朝ドラスカーレットを元にした、私の妄想小説です。
今回も、武志の亡くなった後の話です。

「骨髄バンクの設立に力を貸してください」

大崎は、喜美子をまっすぐ見て、そう伝えた。

「骨髄バンク??」

「はい。今の白血病の治療は、骨髄移植しかありません。ですが、HLAが合わないと移植が出来ない。兄弟でさえ確率は1/4。親は殆ど合いません」

「そうですね。だから、武志も合う人がいなくて残念な結果でした」

あの時は、必死になって協力者を探し、藁をも掴む思いで人を頼った。
だが、残念ながら、ドラマのようにドナーが見つかることは無かった。

「武志君の時は、知り合いの伝手をたどって協力者を探したじゃないですか。でも、それには金銭的にも時間的にも色々限界がある。なので、公的な機関で代わりにドナーを探してくれる。そういう仕組みを作りたいんです。
去年、アメリカで骨髄バンクが設立されたんです。同じような仕組みを日本でも、って言う人がたくさんいて、活動を始めたんです。
僕もね、内分泌専門の医師として、武器を手に入れたいんです。治してあげたいんです。
だから、僕もこの活動に参加してるんです。
喜美子さんは、陶芸の世界で自分の才能を武器に切り開いてきたんですよね?
すごいバイタリティだと思います。そのバイタリティを活かして設立に力を貸してもらえませんか?」

ドナーを見つける難しさは、身をもって体験していることなので、そんな事ができるようになればどれだけ有難いか。
夢のような話だと思った。
思ったが、どうしても活動に参加する気持ちにはなれなかった。

「すんません。素晴らしい活動やと思いますし、そんなことが現実になれば良いなと、本気で思います。でも、参加できません。あかんのです。
ウチが離婚してることは知ってますよね?別居したのは武志が8歳の時でした。武志が父親の不在をずっと寂しがっていたのを10年気付かなかった。当たり前のことなのに、気付けなかったんです。
なんでやと思います?自分の事しか考えられん、そういう人間やからです。だから、こんな鈍感な私が、人様のために何か活動をする事は無理があると思います。ホンマ、ホンマすみません」

喜美子は深々頭を下げた。

大崎は、無理強いできる事じゃないので。と、笑顔で帰って行った。

その数日後、珍しいお客さんが来た。
庵堂ちや子と草間宗一郎だった。

「え?ええーー??お二人、そういうことーーーー?!」

喜美子は久しぶりの再会を喜んだが、2人一緒に現れた事の方に驚いていた。

「まあ、その話は置いておいて。喜美ちゃんにお願いがあって来たんよ」

「喜美ちゃん、骨髄バンクの立ち上げに協力してくれないかな」

草間が、喜美子をまっすぐ見つめてゆっくり語り出した。

内容は、先日大崎先生から聞いた内容とほぼ同じだった。

「僕も庵堂さんも、武志君の時は、何も力になれなかったことを後悔していてね。そんな時、日本でも設立の流れになってるって聞いて、これは僕たちでも出来ることが有ればと思ったんだ」

「私はさ、市会議員なんてやってる癖に、あの時何の役にも立たなくて、ほんと、本当悔しかったんだよ。でも、設立に向けての話なら、私のスキルが役立つかもしれない。
それに、喜美ちゃんが手を貸してくれると、私としては百人力なんやけどなあ」

ちや子が、喜美子の手を握って話をした。

こんな偶然があるだろうか。
お世話になった3人から、ほぼ同時に同じ誘いを受けるなんて。

「お母ちゃん、たのんだで」

武志にそう言われ、バトンを渡された。そう感じた。

ちょうど、武志を思って作った器が焼き上がった日の、出来事だった。

2人が帰った後、喜美子は大崎に電話をした。

「あ、先生。川原です。川原喜美子です。先日の話、受けさせていただきます。ウチに何が出来るのかわかりませんが、やれる事は精一杯やらせてもらいます。よろしくお願いします」

喜美子は、骨髄バンク設立に向けて、協力することにした。
これからの人生、一つくらい陶芸以外のことに命の炎を燃やしても良いんじゃないか。
武志から渡されたバトンを誰かに渡したい。
そう思ったからだ。

信楽に春が訪れようとしていた。


あとがき
骨髄バンクに間に合わなかった武志。その時から、骨髄バンクについて少し調べました。
そうしたら、今回の話を書いてみよう。そう思えました。
このように私の妄想を刺激してくれるスカーレットにお礼を言いたいです。
なお、このお話は私の完全なる妄想であり、本編とは全く関係がございませんので、悪しからずです。





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