歩調を合わせる
「え?」
喜美子は武志に聞き返す。
「なんや、聞こえてなかったんか。だからな、来週末、真奈と一泊旅行に行ってくるわ」
「ちゃう、そうやなくて、どこ行くって?」
「なんや、そっちか?加賀温泉や。昔、おばあちゃんも行ったことあったやんか」
「ああ、うん」
そう呟いたきり、喜美子は遠い目をしてしまった。
加賀温泉
八郎といつか一緒に行きたいね。
そう、約束しあっていた場所だった。
夫婦だった時は、お互いに陶芸のことで頭がいっぱいだったのと、経済的に余裕がなかったことから先延ばしにしていたのだ。
いつか行こうね。
武志がもう少し大きくなってから、3人で行けるとええなあ。
武志を信作の所に預けて、2人で行くのもええなあ。
そんな話をしていた。
でも、その『いつか』はやってこなかった。
「お母ちゃん?」
武志の声に我に帰る。
「あ、ああ、温泉な?でも、一泊なんて、そんな結婚前のお嬢さんを大丈夫か?真奈ちゃんのお宅、厳しいお宅なんやろ?」
「だからな、お母ちゃんにお願いがあんねん」
「お願い?」
「お母ちゃんもついてきてほしい」
「はあ?????」
思いがけない要求に、喜美子は思わず大きな声を出してしまった。
「ちょ、なんで?なんで息子のデートに親が登場するん。アホみたいやろ」
「お母ちゃんも一緒に行くってなれば、真奈の両親も許してくれるんや」
「そんなの、私が行くことにしとけばええやん」
「そんな嘘、ついてまで?親が?率先して?」
「まあ…そやな。わかった」
「よっしゃ!じゃあ、来週の土曜日に行くで。加賀温泉!」
土曜日、武志と真奈と3人で加賀温泉に向かった。
道中、仲睦まじい2人の姿に、微笑ましくなるも、この仲睦まじい姿がいつまで見れるのか、そんなことをつい考えてしまい、喜美子は、武志達から少し離れて行動していた。
武志の病状は今は安定しているが、先月まで入院をしていた。
主治医の大崎からは、無理をしすぎない程度に、武志くんのやりたい事を今のうちにさせてあげてください、と言う、最終通告のような言葉を告げられていた。
なので、武志達と出かける楽しさはあったが、この姿が最後かもしれない。そうついつい考えてしまう自分に、喜美子は落ち込んでいた。
そうこうしているうちに、今日の宿に着き、ロビーに入って行く。
「あ、お父ちゃん」
武志の声が耳に飛び込んできた。
(お父ちゃん?)
喜美子は驚き、顔を上げると、目の前に八郎が立っていた。
「はちさん………」
喜美子はそう呟いてその場に立ち尽くす。
「なんで?」
喜美子は動けないでいた。
「まあ、お母ちゃん座って」
促されるようにロビーの椅子にストンと座らせられる。
「加賀温泉って、お父ちゃんと来たかったとこなんやって?」
「なんで知ってるん?」
「真奈がな、お母ちゃんとそんな話をしたんやって。」
そう言われれば、真奈に促されるように行きたいところを聞かれて、加賀温泉の話をしたことがあった。真奈はそれを覚えていたのか。
「でな、真奈が、お父ちゃんとお母ちゃんと俺と4人で加賀行きたいって言い出してな。
おお、それええな!ってなって、どうせなら、驚かそうと思って、黙ったったんや。どうや?驚いた?」
「驚いた……」
喜美子は目を丸くして、まだ事態を掴めないでいた。
「ほらー、喜美子にサプライズは向かんのやって。僕は反対したんやで?」
「何を?」
「何をて」
「私と行きたくないってか?」
「誰がそないなこと言う」
「そういことやろ?」
「どこをどう受け取れば、そうなるんや。僕は、ずっと後悔しとった。喜美子といつか一緒に行きたい、そう言い合ってた所やからな。そんな大事な所やから、内緒にするのを反対したんや」
「わかってるわ、そんなこと。真面目か」
喜美子は笑い出す。
「うわ、やられた」
八郎もふふふ、と笑い返す。
武志は、そんな2人を微笑ましく見つめていた。
「ああ、ビックリした。喧嘩、始まるのかと思った」
真奈は、少し驚いた様子だった。
「ごめんな、真奈ちゃん、驚かせて」
八郎が優しく語りかける。
「よっしゃ、じゃあ、加賀温泉楽しもうか!」
喜美子が威勢よく立ち上がる。
「なんでお母ちゃんが仕切るんや」
武志が笑いながら後に続く。
その後、4人で温泉街を散策し、温泉に入り、夕食を共にした。
部屋が別なのかと思い込んでいたが、4人で一部屋なのだと言われて、喜美子も八郎も、驚いた。
「これからでも一部屋とるで?」
気を遣って八郎が申し出る。
「ええんや、満室なんやて」
武志がキッパリ断った。
武志と八郎がもう一回温泉に行ってくるわ!と意気揚々と出かけるのを喜美子と真奈は見送り、2人でお酒を酌み交わしていた。
「実はね」
真奈が、語り出した。
「今日のこと、提案したのは、もちろん私なんやけど、武志ね、ずっと家族旅行行きたかったんやって。親子3人で旅行、行ったことないなあ。行きたいなあって。だから、ええ機会やから、私から提案したの。見た?あの子供みたいな武志の顔」
真奈は、愛おしそうに微笑む。
喜美子は途端に申し訳ない気持ちになった。
武志が幼い頃は、経済的にも時間的にもそんな余裕がなくて家族で旅行なんて行くことが出来なかった。そうこうしているうちに、自分達のわがままで離婚をしてしまった。
今はこうして、3人で新しい家族の形を築けているが、武志が過ごしたかった、幼い頃の家族の時間は取り戻すことが出来ない。
「申し訳ないことしたな」
ポツリとつぶやく。
「ええやないですか、今日、武志はあの頃の自分を取り戻してるんですよ」
そう、ハッキリ言う真奈に、喜美子は、武志はなんと素敵な人がそばにいてくれるんだろう。感謝しかなかった。
「ありがとう、真奈ちゃん」
お礼を言うのと同時に、真奈のように八郎を支えきれなかった自分の不甲斐なさを突きつけられているような気がした。
温泉から上がってきた八郎が、武志と真奈を2人きりにさせてあげよう、と、喜美子を外に誘った。
温泉街を2人でゆっくり歩く。
並んで、歩幅を合わせて、歩く。
「今回の旅、武志が家族旅行したことないって言ったから、真奈ちゃんが提案してくれたらしいわ。」
「やっぱりそやったんか」
「わかってたん?はちさん」
「なんとなくな」
しばらく無言で歩く。
「……私はダメやな、そう言うことに鈍感で。武志の寂しさに、ずっと気づいてやれんかった」
「まあ、それが喜美子やからな。
あ、悪い意味やないで?そういうのもすっ飛ばして、打ち込めたから、あの穴窯ができたんや。でも、武志は、犠牲になったとは一つも思ってないで。思ってたら、自分も陶芸の道に進んでへんて。喜美子の背中を見てたから、後を追うことができたんや」
八郎が喜美子の背中をポン、と叩く。
背中がじんわりと温かくなるのがわかった。
「今日、はちさんがいてくれてよかった。
仲睦まじい2人の姿みてるとな、微笑ましいんやけど、これが最後かもしれんって思いもどうやっても浮かんでまってな。1人じゃ抱えきれんかった。
はちさんいてくれたから、そんなことあんまり考えずに済んだ。ありがとう」
今度は、喜美子が八郎の背中をポン、と叩く。
八郎が照れたように俯く。
しばらく無言で2人で歩く。
「あんな」
喜美子がそう言うのと同時に、八郎が「ん」と喜美子に向けて肘を突き出してきた。
喜美子が思わず吹き出す。
腕組んでもええ?
そう言おうと思っていたのだ。
八郎の腕に喜美子の腕を絡ませる。
2人、顔を見合わせて、恥ずかしそうに笑った。
もう一度、歩調を合わせて歩く。
歩調を合わせているだけで、2人の時間を取り戻せていた。
「そろそろ戻るか?」
「そうやね、武志寂しがって泣いてるかもしれん」
そう笑い合って、2人で温泉街を歩いた。
下駄の音がリズム良く、響いていた。
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