どう生きたいのかについて考えてみた
毎日何か書くようにしようとは思っているものの、ちょっと今日はあまり色んなことが考えられなかったので、書くことが具体的に浮かんでこない。自分がどうやって生きたいのかについて書いてみようと思う。
とはいっても、この言葉いいなぁと感じたことを時々思い浮かべながら生活しようと思っているだけだ。
何かを発信している自分の方が愛せる
なんでブログを書く習慣を再開したのかといえば、この言葉がおもいあたっったからだといっていい。
今までは、誰も見ていない文章なんか書いてもしょうがないんじゃないか、みたいなことが思い浮かんで書く習慣をやめてしまうことが多かった。
でも「なにも発信していない自分」と「何か発信している自分」を思い浮かべたときに、確実に後者「何かを発信している自分」の方が好きになれるなと感じた。
そこには、どんな媒体であっても構わない。
今書いているブログでもいいし、漫画でもいいし、小説でもいい。
どんなものでも構わない。どんなことでも構わない。
誰もみていなくても構わない。
ただただ単純に、自分を好きになるため、自己肯定感を上げるためにブログを愚直に書いているに過ぎない。
完全なる自己満足である。そう思っているとすごく迷いがなくなったし、実際に続けている自分は好きでいられると思った。(昨日noteの更新記録は途絶えたけれど)
不意の一撃
普段の生活でままならないなぁ、と思うことは多い。
周りに評価してもらえないし、それを望んでそうなるしている部分もないとはいえないんだけどちょっと寂しくはある。
でも正直なところ、周りのことを割と見下している感は否めない。
そこんところが生活態度に出てしまっているのかもしれない。
周りの人々と自分が大切にしていることが結構ずれているように感じる。
だからこそ、違うレイヤーで生きているような感じで争いが発生しないのだと思う。
そうやって達観して日々が過ぎるのも少し寂しいので心の中に「不意の一撃」というのを掲げることにした。
日々やるべきことはやっておきつつ、「ガツンと一発お見舞いしてやるのだ」という野望をどこかに抱えることにしたのだ。
日々の生活はしっかりやるし、合理的に考えてやるべき蓄えもしっかりやっておく。
しかしこれだけでは不意の一撃には至らない気がする。
日々の鍛錬とちょっとした習慣が人生を左右すると思う。
そう信じて、ちょっとしたことをコツコツと続けることを選んだ。
心の深くに「不意の一撃」を抱えて生きるのが生活をちょっと楽しくするコツだと今は思っている。
まとめ
この2つのことは、色々と考えを巡らせる中でふと思いついたことだが、すごく気に入っている。
時々忘れそうになるけれど、この記事を書いたことでこれを見返せばこの時にきっと戻って来れると思う。
皆さんも、自分の心に持っておく言葉を何か作ってそれを持って生活するのを試してもらいたい。ではまた。