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2022年4月後半

今年は街に新大学生や新入社員の姿があり、ゴールデンウィークの人出予想も交わされ、いつもの春が戻ってきた気がする。感染防止対策をするとか、戦争について考えるなどが通奏低音として流れながら。


20220416 Sat.

晴れていたので気分転換に渋谷SKYへ行ってみた。夕方、丹沢方面の凹凸がはっきり影になり、満月近い月が出ている。しばらく居ると富士山も小さくシルエットを見せた。丹沢や富士山が見えたのは4月1日に年間パスポートを手に入れてから初めて。
4月半ばになり、ここ屋上は新入生らしき初々しいカップルやグループが多かった。街の様子がわき立っている。

丹沢のシルエットがくっきり
東には、ほぼ満月のお月様


20220417 Sun.

どうして荷造りができないのだろう。
明日から熊野。滝へ入るとか、山を登るが登山装備でないとか、5日分だとか、トランクは機内持ち込みサイズに止めたいとか。一応必要なものは揃えたはずで、考えて準備してきたはずなのに荷造りが進まない。
・何を、いくつ。
・宿泊前に使うものは、取り出し易くする。
・コンパクトに詰める。
これだけのことなのに。

夜中になってから踏ん切りがついて、詰めていく。単に踏ん切りの問題?

今回は色々と慣れない旅になりそう。
五日間の紀伊半島の旅。

20220418 Mon.

予定通りの新幹線に乗り、名古屋で特急に乗り換えることができてホッとした。3時間睡眠。眠いが列車の中でも眠れず、外が気になってずっと起きている。低気圧が西から東へ移動中のもと、地上を逆行して進む。

新宮駅に集合した10数名。小型バスで移動。雨は上がっている。数人既知の人がいるほかは皆初対面。二泊三日、延泊する人とは三泊四日も一緒に過ごす。大丈夫かな。

まず滝へ。飛雪の滝。
水着の上にシャツ&短パンをきて、和服の長襦袢、バスタオルを持参。水陸兼用靴を履く。

ヨガでここまでの旅の疲れをほぐし、これからへ向けて整える感覚。法螺貝が鳴る。滝へ入り祈りの言葉、般若心経。テントサウナ。外気に触れる。滝、サウナ、外気。さらにもう1クール。計3クール。

主催者・参加者には、山伏である先達と修行中の方、それからNVC(Non-Violent Communication)を実践しているメンバー他、瞑想や修行、心理的トレーニングを受けたり、その領域研究をなさっている方々がいらっしゃるようだ。私自身は単に熊野へ、普通の観光とは違う形で行きたいというだけ。男性4人、女性20人位という見当。
全体での自己紹介をせず、自然と話を交わすに任せて参加者が交流していく。わかっているのは先達とともに熊野を巡ることだけ。

山伏の修行ばりに滝に打たれてみた。頭上から落ちる水の音が大きくて、それだけが聞こえ、落ちてくる水の衝撃を身体で受け、水と一体になる。
最初は冷たいと感じるし、そもそも4月に水に入るとは早すぎて、さぞ冷たかろうと構えていたのだが、入って最初の息苦しさを越えると案外平気だ。 プールのように水が貯まっていて、石の上を歩くより泳いだ方が楽だ。

テントサウナはとても暑く、化繊のゴムなどが熱を持ってしまうほど。穴が空いている老朽化テントに入っていると暑すぎず心地よい。しかしそのようなテントは空いていて、皆暑いテントに集まっているようだ。サウナ好きの先達とお喋りしたいのだろうな。

マクロビの夕飯。菜食主義者向けの食事は、余り食べたことがないが、いただいた夕飯は新鮮な野菜を使い、思いがけない組み合わせで美味しさを引き出していた。

例えばクミンとわらびの炒め物、黒豆のレーズン煮、イタドリとこんにゃくピリ辛炒めなど。こんな組み合わせを思いつかないが、食べると美味しい。マクロビってこんなに美味しいもの?と驚く。 美味しさを引き出すのは、材料のよさ、新鮮さ、丁寧につくること、それだけでぐっと変わる。そして今日の料理を作った人は研究と工夫を重ねているに違いない。

飛雪の滝 マクロビ夕飯 夕空

縁ga環 : マクロビの夕飯をケータリングしてくださったところ


20220419 Tue.

バードウォッチングからスタート。

鳥観察のプロが参加していらして、ご好意で朝4時から観察する。といっても4時はまだ暗く、何も鳴いていない。そのうちカエルが鳴き出す。カエルが大人しくなり、5時数分前、鳥が鳴き出した。

こちらは鳥博士のメモ。鳴き始めた時間をhhmm形式で。はじめに鳴いたのはオオルリ、4:57だった。

初日の鳥の声(左の数字は時間と確認順)
0457オオルリ
0459メジロ
0500シジュウカラ
0501ウグイス
0502キビタキ
0504ヒヨドリ
0508メジロ0
519カケス
0529オオルリ
0539ヤマガラ
0637センダイムシクイ
0638コゲラ

鳥博士メモより

10種類も聞き分けられないのが正直なところ。鶯のように知っている鳴き声は聞き取れるのだが、はっきり認識できないとその他大勢の鳴き声として聞いてしまっている。それでも今回、鳴き出すと鳴き声とその名前を教えてもらい、聞き取れる鳥の種類が増えた。そのうち忘れてしまうのだが、意識を向けると聞き取れるようになるものだと体験させてもらった。

ある時間帯は谷のあちこちから鳴き声が交わされ、盛んにコミュニケーションをしているようだった。

かねてより不思議に思っていたことを鳥博士に尋ねてみた。「鳥は人の視線を感じ取っているのでしょうか?」 鎌倉の庭で草取りをしながら、ふと近くの木でさえずる鳥へ視線を移すと(頭は動かさずに)鳴き止めるのだ。こちらの動きはないのに何故だろう? 答えは「感じ取っていますね」と。何をもって感知しているかわからないけれど、人の視線なり意識なりを感じているのだと。
朝4時起きした甲斐のあるひとときだった。

SWAROVSKIの望遠鏡で捉えるためは、鳥の行動に関して知識や経験が必要。
キビタキ・オオルリ・キビタキ

朝ごはんを食べてから、今日はいくつか神社を回る。近くまでバスで行き、車で入れないところを歩く。大した距離ではないのだが、地元の人がひょいひょい行くところを、私は恐る恐る歩みを進める箇所が多かった。段差がきつい階段、大きな岩を越えるとき、枯れ葉で覆われた道。時間がかかる。緊張もする。でも転ばなくてよかった。屋久島で滑って骨折した手首がやっと治ったのだから怪我したくない。

それぞれの神社で、先達が法螺貝を鳴らし、祝詞(のりと)をあげる。私達も声を合わせる。その土地の、そこに立つ木々の、長くいる岩々の何か、に対して。感謝と安寧を祈る時間。

丹倉(あかくら)
ここは修験者が見つけた磐座信仰の場所で、大切に守られてきたという。
祝詞を上げたあと岩に耳を付けてみた。私は聞こえないけれど、水の音、風の音が聞こえるという人もいる。

丹倉神社

大丹倉(おおにくら)
大きな岩が御神体。そのてっぺんまで昇った。まずは法螺貝。法螺貝の音が連なる山から返ってくる。先達はいつもより間隔を長く吹く。山々が連なる光景は関東とは全く違う。山しか見えない。祈っているうちに、向こうの山へポンと飛べそうな気になる、ということはないが、そういう気持ちになる人もいるようだ。下は谷、向こうは山、それも春先の生き生きした木々が覆っている。視界には足元と向こうの山しかない。
その御神体のてっぺんで昼食を頂いた。サンダル履きで段ボールに納めたお弁当を持ってきてくれたケータリングの男女二人! たどり着くだけで必死な私からすると凄すぎる!

こんな場所に来たなんて、こんな場所でお弁当を食べてるなんて!

一人では絶対来ない場所で、登るのを恐れてしまうような大きな岩だけれど、皆が上がっていくので私も来られた。サクサク進む人は、なんでもないように歩みを進めている。それをみて私も一歩一歩進む。そうやってなんとか岩の上まで行けた。

ランチは様々な具が載っている丼もの。これもマクロビでおしゃれ。美味しい。量が多いなと思いつつ、作り手がそこにいると残せず結局食べきった。ランチ終盤に先達はいちどだいちどだけさりげなく「無理して食べなくていい」とおっしゃった。修行ならすべては「うけたもう」、出された食べ物は残してはいけないのだと聞いている。

雨滝
バスから歩いて5分ほど下った沢に滝があり、バスの運転手さんは「すぐですよ」と話していたけど結構な難所。雨乞いをしていた滝だそうだ。滝へ近づくために沢を渡る。靴が濡れそう。昨日使った水陸兼用靴を持ってくれば良かったが、置いてきたから仕方ない、もう裸足だ。靴と靴下を岩場に置いて、沢を渡る。途中滑ると言われているところは慣れている人の手を借りて何とか浅瀬の岩の上に立つ。近くまで行かないという選択肢はない。

私達が到着する前に、実は先達は枯れ葉を払って岩場を安全を確保してくれていたそうだ。
祝詞を上げ、法螺貝を聞く。岩を削って流れる水。光。
戻るとき前を歩く人をみて、かなり急な坂だと改めて思うが、身体は元気で思いの外力強い足取りで登る。(これは翌日膝痛を起こした。)

大丹倉からの山々、雨滝、海

花の窟神社
世界遺産。海の近くにある。
整備され、世界遺産の表示や土産屋が並び、今まで行った場所とは違う俗世間を感じる。とはいえここも盤石神社。大きな岩がそびえ立ち、祝詞をあげる。

道路を渡ると、海岸線の長い海。

紀伊半島の海はなんて素敵な色あいだろう。緑、遠くは青。そして白いしぶきはまろやかに見える。法螺貝や祈りは海に飲み込まれていく。

夜はマクロビのカレー。ファイヤーセレモニーでインディアン流儀の祈りと歌、ヨガベースのキールタン。その道を修練してきた人達が作る時間に集わせてもらう。外は寒いけれど焚き火は暖かい。


不思議に満ち足りた時間で、うまく説明できないが以下のような要素が心に残っている。

流れ
1日が自然と過ぎていき、どの時間も大切だと感じる。
実はこの企画ではもっとお互いが話したりワークをする予定だったのだけれど、祈り・食事・移動・温泉だけで満たされた。ここにワークを入れたり何か知識を取り込もうとするのは違うのだ。大切なものを大切にする、というシンプルな流れがあった。
普段、これをやるべき、沢山やろう、という価値観とは全く異なるもの。
かといって厭世的なのでもなく、真剣に生きる姿勢だ。「まにまに」という表現。そのままで、ありのままで、という言葉に繋がる。まにまに進めていく。それにより、本来のあり方で過不足なく進んでいく。


法螺貝、山から返ってくる音。祈りを唱和する声。水の音。先達が腰につけている鐘の音。鳥のさえずり。焚き火のはぜる音。

耳心地のよい音に満たされる。人の体は7割が水だ。音の振動は水を通してよく伝わる。心地よい音は、体全体にとっても心地よいのではないか。人が知覚している以上に、体そのものが感じてとって深い心地よさをもたらす。

木、岩
自然信仰の対象として、木や岩が祀られている。
昨年夏に3週間位信州に居たとき、ふと感じた。「木は何十年、ものによっては何百年、千年とここで過ごしている。岩はもっと長い間、何万年、何千万年の間、ずっとここに居たり、山の動きに合わせて運ばれたりしてきたんだ。人間は数十年をあちこち動いて体験している。」
そう思うと、木や岩も、人の命や魂の延長上にあり、長い時間をかけて流転する存在だと思える。その点で線引きがなくなる。大いなるものへの畏敬の念と自然と混ざり合う。自然信仰はそういった感覚から始まっているのかもしれない。

人として
先達は思考に寄りすぎると賢しく、人が人間になるという。野性ともいえる感覚をもとに動いている状態は「人」。現代人は思考に偏りすぎていて、野性の感覚が薄れているから、それを見直したら、その人の魂が生き生きしてくるという。

自己紹介しない場の安心感
リトリートの場は、場が始まるとまもなく皆がその人らしい表情で心地よい状態になる。なぜそうなるか、よくわからないが、ひとつは「自己紹介のないこと」が関係している。してはいけないわけでないが、とくにしない。親しくしゃべったけれど、あの人の名前がわからないということも生じる。それでよくて、普段何を生業にしているか、などからお互いレッテル張りや値踏みが始まることを避けるメリットのほうが大きい。

原因・理由・成果を問うのでなく、ただただ今やるべきことをやっていく。その流れを大切に進む。そのことにより、それぞれの人がその人らしくいられる。そんな先達の語りがまとまって読める書籍。


20220420 Wed.

玉置神社、正式参拝。熊野三山の奥の院。
神社へ山伏が行くことは珍しいのだろうか。いや、この質問自体がおかしいだろう。と思うのだけれど、宮司さんにとって、山伏へ正式参拝の祈りを奉仕することは、少なくとも一般の人に対してとは違うのだろうな。同業者的な、何かがありそう。正式参拝を行い、宮司さんが山伏に率いられた私たちをお祓いして下さった。

法螺貝を吹いて祈ることは本殿前では遠慮して、裏手にある大きな杉の木で行った。

玉置神社

この神社は、なかなか辿り着けない人もいるそうだ。ナビが狂ったり、行けないことがあるのだと。わかる人にとっては、結界が何十にも張られているということだった。私はそういったことは知識もなく体感もない。しかしこのような話を聞くと、今回、このメンバーで先達に率いられたから来られたのだなと素直に思う。

歌手の玉置浩二はこの辺りの出身で、芸名を神社にちなんでつけたそうだ。彼はテクニックだけでなく、人間として内から溢れるものを表現している人だと思っていた。先達の話と重なるところがある。

熊野本社は、自分たちでお参り。手を合わせ、祈ることに慣れてきた感覚がする。悪い意味ではなく、自然と祈るようになって来たということだ。

大斎原・熊野大社の手水にヤタガラス


今晩の宿は古民家。その母屋にて先達による魂振りワークショップ。鎌倉に続いての体験となり、自分が実践することに力を置いてやってみた。体幹部はだいぶできるようになってきたが、頭部は難しい。人によって頭のつき方が異なることも理由になるが、振り方をよく習得できていないようだった。地元の方々も参加して20名ほど。一期一会のお喋りを楽しむ。

魂振りは、身体の殆どは水で構成されていて、その水を振動させるように見立てて行う。音の振動は水に伝わるなぁと、昨日と今日の繋がりに気づいた。


20220421 Thu.

熊野での様々な体験に自分自身が飽和状態になっているようだ。宿泊した古民家で昼前までお喋りし、宿から紀伊田辺まで向かうバスが発着する熊野大社近くのバス停まで、雨が降るなか車で送ってもらう。余韻が残っている。

川を見下ろす場所にある古民家 マクロビ飯


バス停に着く前に、郵便局に寄って不要になった山歩きグッズを自宅宛送付。

スッキリしてバス停で別れの挨拶しているときにスーツケースを車に積みっぱなしだったことに気づいた。いくら荷物が少なくなったからといってリュック一つではなかろう。危ない、危ない。スーツケースを忘れてバスに乗ったら大変なことになるところだった。また熊野に来たい、送ってくれたYさんに会いたい、ということなのだろうか、と解釈してことなきを得た事に安堵する。この程度のヌケは私にはあっても不思議はない。むしろ今を満喫している。

(昔、ヨーロッパを旅行しているとき、ケルンで友達と友達の彼氏とゴハンを食べ、ビールで気持ち良くなってから夜行列車に乗ろうとして、スーツケースを地下コインロッカーに置きっぱなしであると気づき、彼氏が走って運んで来てくれたこともある。ギリギリ発車に間に合った。何度思い返しても楽しく、有難い思い出だ)

紀伊半島は海沿いをJ Rや近鉄など鉄道が走り、内陸の山越はバスが走っている。時刻表を見るとバスの方が便利なくらい。

同上した参加者と、バスの中ずっとお喋りした。彼女の師匠たる人のエピソード。その方の苦労と喜び。こういう時、大体私は聞き役になっている。一つだけ、自分の悩み事を話してよく聞いてもらい、必ずしも自分を悪く思ったりせず、相手のことをあまり考えすぎず、当たり前に対応することがいいんじゃないかと話してもらい、そうだなとスッキリした。聞いてもらったら、それ以上こねくり回す必要はないなと思えてよかった。ありがとう。(こねくり回すことは、思考を下手に使っているようなものだ。)

紀伊田辺で彼女とハグしてお別れ。思えば、この熊野の集まりは女性が多く、皆よい意味で規格外で面白い人たちだった。


ここからが後半。明日まで南方熊楠にどっぷり浸かるのだ。わーい!
本日は紀伊田辺にある南方熊楠顕彰館及び隣接する自宅へ。

展示そのものは、南方熊楠の生涯をイラスト入り年表にしてわかりやすく表示しているシンプルなもの。関連するビデオなどもある。そのほか、2階資料室に関連書籍が多数置いてある。それらは殆ど自由に閲覧できる。

私はある程度は彼の仕事を知っているつもりだが、何かまだ知らないこともあろうかと、子供向けの伝記を読んでみた。150ページくらいのもの。どうやら知らないことは余りなかったけれど、紀伊半島での生活は那智と紀伊田辺とがあったのだと知る。

そのほか、今日はどんな本なのかをチラッとチェックした本もあり。これから図書館で借りてみたいものや購入したいものを見繕う。例えば『南方熊楠大辞典』。5センチくらいの厚さで、キーワード、関係した人物など詳しく記述されている。私は、和歌山出身の楠本さんという人に大学時代お世話になったことがあるが、この辺りは楠がつく苗字は多いのかもしれない。庭にも楠木があったし。この大事典に掲載されている楠本さんという人は南方熊楠の採集スケッチを手伝った人だということが書いてあった。もちろん私が知っている楠本さんとの関係は全く不明。なんの関係もなくて当然だろう。いつかお会いすることがあれば伺ってみたいものだ。

自宅は、当時使っていた時のように標本や道具が並べてある部屋に興味を引かれた。だいぶ以前、都内ワタリウムだったと思うのだが、南方熊楠の粘菌や菌類観察について深掘りした展示と似ている。あの時の方が凄まじい分量の書き物が散らばっていた。それに比べるとここではお行儀よく片付いている。

自宅見学のみ、入場料がかかる。このチケットは顕彰館入場の時にすでに支払っているから何も断りなく見学していいのかな?と思ったら、小さな部屋にお一人いらした人が、どうも担当者だったようだ。畳の部屋に、細身で後ろ向きに座ってパソコンに向かっていたので、熊楠研究にきている学生さんなのかと思った。

庭に植っていた樹木について質問したくて、声をかけてみたら、なんと、私より年配の女性。少しお話しさせていただいた。何に興味を持ったのかなどお話しする中で、熊楠が原稿作成するときにさまざまな情報を組み合わせるために作っていた「腹稿」に話が及んだら、モーツァルトも同じように、メロディーの断片を並べて曲を作っていたらしいと腹稿との共通点を教えてくださった。腹稿は、乱暴に結びつければマインド・マップのようなものだ。一見関連性がないようなものにも関連性を見出していた熊楠の思考を書き表す方法、当時知る人が少ない情報を組み合わせるための手法らしい。

https://www.minakata.org/facility/collections/fukuko/

普通ならサラッと30分あれば見学が終わるところ、2時間もいた。それでも他の見学者に出会うことなかった。雨・平日であるけれど来館者は余り多くないのかもしれない。開館してくださっていて有り難かった。

南方熊楠顕彰館へいく道は、南紀らしい大きな石を敷いた石畳の道が整備されていて、落ち着いた住宅地を進むにわかりやすかった。今回行けないが、駅の反対側にある高石寺は、熊楠のお墓がある。また合気道発祥の地でもあるそうだ。


20220422 Fri.

快晴。紀伊田辺で迎えた朝。珍しく7時から行動開始。そして結果的に調和の取れた1日になった。

朝一番は、世界遺産でもある鬪雞神社へ。熊楠がここの宮司の娘をお嫁さんにもらったとのこと。行ってみると気持ち良い場で、朝7時台から地元の方がお参りにいらしていた。平家討伐のとき熊野水軍が源氏に味方することになった故事があり鎌倉で育った私にはご恩がある場所になる。

鬪雞神社の名は平家物語壇ノ浦合戦の鶏合せの故事に由来します。
源氏と平氏の双方より熊野水軍の援軍を要請された武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当・湛増(たんぞう)が、どちらに味方をするかの神意を確認するため、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせました。すると、ことごとく白(源氏)の鶏が勝利したため、源氏に加勢することを決め、熊野水軍200隻を出陣させました。熊野水軍の加勢が合戦の勝敗に結びついたともいわれます。

闘鶏神社HPより


記念館・番所山

本日は雨上がりの快晴。熊楠記念館の前後に海に足だけ浸かったり、岩場を歩いたり。遠くのバス停まで歩いていくことになり円月島を180度ぐるっとまわり、道沿いの足湯にも入れて紀伊半島らしさを味わった。

メインの南方熊楠記念館は、大きな1フロアに研究した各テーマを紹介し、ビデオや粘菌プレパラートも見ることができた。その他、ここもやはり図書が充実していて、なかなか直接手にしないであろう土萓法龍との往復書簡など自由に閲覧出来た。菌類発見の報告書もレプリカがあり、一つ一つ見ると面白かった。

壁に展示されていた3万語にわたる「履歴書」を熱心に読んだが、一部だけしか読みきれなかった。(帰宅後、ウェブサイト掲載もあるし、Kindle版で販売されていることもわかった)

熊楠の好物
・あんぱん
・ニラ入り味噌汁
・ビフテキ

熊楠憲法(覚えている限りで・・・10項以上あった)
・明け方寝て、昼前に起きる
・朝食はパンとバター
・今日できることは明日に延ばさない。

お手伝いさんが数ヶ月から2年ほどでどんどん入れ替わっていた。自分への戒めという意味もありつつ、妻子やお手伝いさんと自分のスタイルを知らせるためにも役立っていたのだろう。

菌類は妻子や地元の人との共同作業で発見し記録したそうだ。そのため発見者の名前を標本に必ず記載した。命名するときにも発見者の名前を記録している。高名な研究者の陰に助手が隠れることが多い中、これは、素晴らしいことだと思う。
とはいえ、独自な価値観で、ある意味ねちっこい性格や物言いのため、あるとき遂に妻が実家へ帰ってなかなか戻らないこともあったらしい。妻や娘が研究を全面的なサポートなしには成り立たなかった。紆余曲折を経て体勢が整ったようだ。


最後にちょっとしたサプライズ。

昼抜きだったので白浜駅で空港駅行きバスを待つ1時間、ご飯を求めてふらふら歩いていると「いま展示してるんですが…」と地域アートイベントへ声をかけられた。フラッと入ってみたところ、暗い室内に宵闇の写真、そして映像。あれ? これ今朝みた場所じゃない?

ギャラリーで見た< I > 河野愛さんの作品


今朝バス待ちの間に撮った写真

歩道で本を読みながら道ゆく人に声をかけていた方は、この企画のキュレーターで熊楠好きでスサノオ研究していて海の熊野にも興味あるそう! 私の熊野体験と重なるなぁとひとしきりお喋り。

ごはんは結局”めはり寿司”をひとつ作ってもらい空港行きバスへ乗車。店はないという空港にはお弁当屋さんが机を出していて旬の小さな真アジを頂き地元名物が整った。

7:05宿出発@紀伊田辺
7:10-30闘鶏神社
<JR紀伊田辺からJR白浜→バス>
8:50-9:10海
9:20-14:20熊楠記念館&番所山
-15:30 歩きながら撮影・足湯
<バス>
16:00-17:00 白浜駅 ギャラリー&ご飯調達
17:00- 南紀白浜空港へ

充実した紀伊半島5日間滞在だった。

旅行ルート


20220423 Sat.

旅行から帰ってきて翌日はちょっとキツイが鎌倉でのイベントに午後から参加。
午前中は洗濯。

よい天気で先に鎌倉入りしているメンバーから「晴れている、暑くなるので水分補給と体温調節できるよう気をつけて」との連絡が入る。迷っていた上着を持たずに半袖シャツの上に長袖シャツブラウスを着て出かけた。

10名が鎌倉駅に集合して、八幡宮へ向かう段葛にて参加者同士の自己紹介を3人組で行う。源平池の脇で、各自が読書会担当部分を読んでA4用紙3枚にまとめる。それを順番に発表する。全員分を聞くと概ね、その書籍が伝えていることを共有できる。そして思ったことを語り合う。これを2冊について行った。源平池では「日蓮の手紙」(100分de名著、植木雅俊)。妙本寺・八雲神社では「日本習合論」(内田樹)。場所と本の組み合わせが絶妙。対話も盛り上がるし、地元への目線が豊かになる。

妙本寺にて


20220424 Sun.

熊野の旅を振り返るなか、昨日読んだ『日本習合論』内田樹 著 に、まさに私の旅だと思えるようなことが書いてあった。明治時代に多くの概念が新しく導入されたことについて、

「観光」は違います。tourismにふさわしい行為は千年前から行われていたんですから。しかし、それは「なかったこと」にされた。明治時代以降に、それまで日本人が知らなかったtourismという新しい概念が欧米から輸入されたという話になった。聖地を訪れ、美しい光景を味わい、ついでに美食や遊興に耽るということをまるで日本人はこれまで一度もしたことがなかったかのように歴史が作られた。僕は「観光」という言葉一つのうちに、明治政府の宗教統制の意図せざる余波を感じるのです。

p.121 『日本習合論』内田樹

熊野を旅行気分で、より観光っぽくなく、地元の人の力を借りて味わいたいなぁと思っていたところ、今回の主催者や先達が率いる場所があると知り、幸い参加することになった。それは日本に昔からある山伏が山あいの神社や社を回る旅と同じだ。

特別な経験や知識がなくて参加したので、少し戸惑いもあったけれど、これでいいんだな、と思った。

20220425 Mon.

日中25度超える真夏日。鎌倉の実家へ帰り、除草剤を撒く。草取りを瞑想として行っているけれど、どこまで庭の芝生の維持に役立っているのかよくわからない。

庭仕事をする私のメリットは、①庭を隈なくよく見る、意識をむけることになる。そうでもしないとあちこち見ずに季節は巡っていく。②草取りは瞑想。草取りしながら思いつくことがあり、主に祖父や父と出会いなおすこともある。要は無意識の領域からポンと浮かび上がる着想が得られる、ことがある。

母と夕飯を食べ、お茶をいれて、ひととき団欒。他愛のないこの時間を、後々恋しく思うのだろう。

20220426 Tue.

昨日やっておいてよかった、除草剤散布。鎌倉は珍しく霧が出ている。山にも霧がかかり陰影が美しい。

渋谷へ戻り渋谷S K Yへ上がってみると、低い位置を雲が流れていく。屋上は強風のためC L O S Eだ。

4/26 18時ごろ 西の空 @渋谷SKY
ちぎれた雲が左から右へ流れていく

膝の痛み、気になる。ネット上に上がっている記事を見てまずは手当してみよう。冷やすことと痛点マッサージかな。一応整形外科にも行くつもり。

気になること
・美の基準(Design Code)
・パターン・ランゲージ
・真鶴

南方熊楠と宮澤賢治。同じイニシャル。東と西の巨人がいたということに注目した人がいた。鎌田東二先生。早速書籍を図書館で借りた。

ノーム・チョムスキー

やはりアメリカについての言及あり。どう受け止めるか人それぞれだが、この観点は知っておいたほうがよいと思う。

ウクライナの公式支援感謝リストに日本含まれず。まぁいいではないか。感謝は当事者が自発的にするもの。感謝されることを目標にしては外れるし、武器供与しないというセンが顕れているのだから。


20220427 Wed.

熊野で張り切って山道を登った翌日、通常より段差が大きい階段を下ると右膝が痛い。歩いているときは問題ない。夕方少し熱をもった感じがする。念のため整形外科で診てもらうと、レントゲンで膝には異常なく、関節包も見かけは十分。おそらく大腿四頭筋が疲労で硬くなり膝に負担がかかったのではないか、という見立て。確かにストレッチを全く行わずに歩いていたし、せいぜい夜温泉で伸ばす程度だったので見立てに納得。稼働域をしっかり動かしてから運動するようにしよう。


5月半ばから『「わかりあえない」を超える』を4人で読むことになった。熊野で初めて会った人と、Onlineで既知で先日熊野で初リアル対面した2人。この本は、違いを越えてコミュニケーションをしたい、つまり「この人と、ここが相容れないからもうダメだ」という限界を作らないコミュニケーションを指し示してくれる。
NVCとは、Nonviolent Communication.非暴力的コミュニケーションの略で、実際に紛争調停などで活用されてきた。手法と言えば手法なのだが、スタイル、スタンスといってもいいかもしれない。違いから対立を生むのではなく、違いからお互いの根っこにある願いに想いを馳せるスタイル。対立や競争ではなく共創を目指すスタンス。


20220428 Thu.

クローズアップ現代 「揺れるロシアの人々 ー軍事侵攻と国家のはざまで」にてウクライナ侵攻について視聴。
石川一洋氏(旧ソビエト時代駐在 N H K解説委員)が「非公式でも窓口を閉じてはいけないと私は思う。」その通り。ロシアを完全に排除できるない限り、そんなことあり得ない。ロシアとは今後も付き合っていくのだ。

隣国であり、情報統制されているとはいえロシアの中が一通りの意思ではなく、異なる動きもあるはずだし、プーチンに何らかのアクセスができる可能性もゼロではない。(かなり日本は軽くみられていると感じるが)

先日(4/26)観た動画にてチョムスキー曰く。「ロシアにとって、ウクライナの中立化・N A T O配備を行わない、という条件が必要になる。これをウクライナへのロシア不可侵を条件とするば、ウクライナがロシアに対して今後交渉する材料にもなるはず。クリミアについては、ゼレンスキーも先送りにする課題だと述べている。つまりロシア領のまま、ただし、今後課題として取り上げたいという意思表明。もう一つドンバス地域。ここをどうするか。」ゼレンスキーとしては明け渡す理由がないだろう。ロシアは欲しいだろう。そこに住んでいる人々はどうなのか?住民投票を行った場合、公正さを担保できるのだろうか?


用事があって、幡ヶ谷駅周辺を少し歩いた。甲州街道と並行した緑道、そこに交わる小道沿いに八百屋・飲食店など。さらに小さな脇道にはビストロ・居酒屋などこじんまりした居心地良さそうなお店がちらほらある。老若男女、親子連れが気ままに歩いている。お店で叔父さん、おばさんから声をかけられている野球ユニフォームの小学生ふたり。「ふにょふにょしていると、下の学年がふにょふにょするから、頑張ってね、でも勝ってよかったね! がんばってね」と激励されている。近所の人にこんな風に言われることって、都会だと珍しいかもしれない。ここでは街に血が通っている感じがするなぁ。


道志村。白骨化した頭蓋骨が見つかったというニュース。3年前の女児行方不明をすぐ思い浮かべた。コロナ自粛する前の2019年G W。2年の空白を経て、2022年は制限がかかっていないG Wで人出も増える見込み。そんな時に、娘さんが自ら会いに来たのではないか、と感じた。甚だ感傷的ではあるけれど。


読み始めた『レイヤー化する世界』佐々木俊尚著。これからの世界構造がどうなっていくか、いままさに作られている、と論じる本。ここでは始めに、中世・近代に遡って世界の成り立ちを紐解いている。

「ちょうど動物が力と攻撃においてすぐれているように、勇猛果敢さと戦闘意欲においてのみすぐれた野獣である。要するに単なるけだものでしかない」

p.56 『レイヤー化する世界』佐々木俊尚

これは誰が誰を語った言葉だろうか?
いま読むとロシア兵や傭兵に対して、欧米日が語りそうな言葉だ。実際はイスラムの作家ウサーマ・ブン・ムンキズという人が、十字軍来襲時にヨーロッパ人(十字軍)をこう表現したのだ。
ものの見方は、現システムの中心がどこにあるか、表現者がどの立ち位置から発しているかにより、大きく変わる。過去の歴史から学ぶことは、排除からは調和は生まれないということ。
ロシア、イスラムの世界を排除しない仕組みが欲しい。中国に自己中心でない世界観、まだ見えぬアフリカや南アメリカの国々も居心地のよい世界。誰もが「屈辱」「恐れ」を感じなくてよい場が欲しい。

20220429 Fri.

蓼科へ午後出かける。現地では叔父さんも交えて4人で過ごす。車を一部日程しか借りられなかったので読書と散歩三昧となりそう。

新宿は霧雨、茅野へ着いたら本格的な雨降りだった。昨年夏、ニッサンレンタカーを借りたのにニッポンレンタカーのカウンターへ行ってしまったことがあり、今回はメールを今一度確認し、ニッサンへ行く。すごい雨だ。レンタカー小屋の扉が閉まっている。張り紙「急用のため16:00まで不在にしてます」。え、え、15:30から予約なのに。電話は繋がり事情を話してシステムで確認してもらうことになり私は歩いて2分程の駅へ戻る。戻りがてらニッポンレンタカーの小屋へ寄り、GW中の空きは出ていないか尋ねてみたが「全車予約あり」とのこと。仕方ないとニッサンからの連絡を待つ。20分程して念のためもう一度メールを見たら、今度はニッポンレンタカーと書いてある。「?」やってしもうた。間髪おかずニッサンから電話連絡。システムにお客様の予約がないようなのですがと、そりゃそうだ。平謝りでお詫びして再度ニッポンレンタカーへ。先程の男性だろうか? 特に反応なく淡々と貸し出し手続きを進めてくれた。
家族は口に出さないが呆れていた。この人、またかと。雨のなか、列車で疲れているところ、駅ビルベンチでお待たせして済まないことでした。

長野は春が始まったところ。雨のためか全体的にグレーな景色。桜の満開は過ぎているけれど、ちらほら花が残っている。新緑はこれから。


20220430 Sat.

全国的にお天気の今日、長野も快晴。早春の装いで残っている桜と、これから芽吹く木々。山は様々な緑色がまだらのように並びもくもくと膨らみがある。
残雪をかぶる遠くの山が見える。昨日大きな荷物を背負った若者は八ヶ岳を歩いているだろうか。

里は御柱祭。前回2016年と違って、コロナ新生活のもと密集を避けて、山曳きをクレーン車で運んだという。地元野菜を売る店の大きな駐車場では里曳きイベントを行っていた。いいアイディアだ。7年に一度の行事を次世代へ繋げるにはこうして実施することが大事。晴れ姿をみせるメンバーは皆若い人達で、中年ベテランの大きな声を合図に柱の上で房を降っている。ラッパも太鼓もいる。街中のスーパーでは御柱祭の振る舞い用にお菓子、乾きもの、ビール、お酒を並べある。
5月3−4日が里曳きだそうだ。間近に日程決定し、観光客向けの大々的なPRは行わずに開催すると聞いた。

どれもたまたま行った先で
たてしな自由農園でのメド乗り、西友店内の御柱コーナー・山出しで使った綱

長野は身近な緑、畑や田んぼ、防風林や雑木林、野山、遠くの雪を抱いた山並み、自然が多くスケールの違いがあり、豊かだなぁと思う。

茅野市の眺め

松本までドライブすることになり、帰りは諏訪湖SA(上り線)のスタバで休憩。諏訪湖を見下ろすデッキにて気持ちよいひとときを過ごした。これは、ミーハーに昨年からやりたかったことでにっこり満足。

やってみたかった諏訪湖SAでのスタバ
お天気で絶好の日和



ゴールデンカムイ、漫画の無料公開。4/28までと聞き、しかし314話もあるというので無理だと諦めていたが5/8まで延長しているそうだ。4月に入る頃から、ゴールデンカムイの動画をススメられ、原作漫画がいいのだとさらに推しが入っていた。熊野では別な人からも原作漫画をススメられ、かつヤンジャンで無料公開しているとアプリまで具体的に教えて貰った。これは見るしかない。

added photos and revised without changing the purpose of the text at May 5.


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