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幼い僕が音のない世界について、正面から向き合えた日。


音のない世界


僕の幼少期は病気だった。

病院に入院していて
あまり幼稚園の記憶がない。

でも、少ない記憶の中で
この内容を記事に
書いておくことが
なんとなくなんだけど
大事な気がして、
今書いている…

幼稚園での思い出は
正直これくらいしかない
かもしれない…

病弱な僕に対して、
誰も悪くないのに
祖母は僕と変わってあげたい
とまで言ってくれた。

「自分の人生を終えてもいいから、
なんとかして助けて。」

「あげれるものは、すべて僕にあげて」

とも言ってくれていた。
今でも、大切な存在だ。

幼いながら、状況や内容を
理解はしていたけど

その”言葉”は特に今でも覚えている。

母親も病気だったぼくを、
一番近くで見ていたので
すごく優しかった。

確かに、人一倍その当時は
つらい思いを、僕はしていたし
母親も親としてつらかったのだろう。

僕は今でも、たまに寝つきが悪いと…
当時の夢を見ることがある。

でも、ただ
どちらかというと、
本当の意味でのしんどさを
なんとなくだけど…

理解していなったのかなとも、
今では思う。

僕らの感じる…
今までの人生で
経験したことがある
しんどさ、つらさではなく
みんなそういうもんだと、
僕は、子供ながら
しんどさを受け入れていたし

受け入れるしか選択肢はなかった。

しんどくない状況は
こういうことだってのも
正直よくわかってなかった。

何より、しんどくない時間に
”ズルさ”を
覚えてしまっていたように思える。

だって甘えれば甘えるほど、
まわりはいうことを聞いてくれたし

手に入らないものも、
その年齢においてはなかった。

一応その当時の自分を弁護しておく。

特定疾患であった。

簡単に言うと、
ちょっとめずらしい病気ね。

だからこそ、
みんなが僕を甘やかした。。。。。

今日はそこから幼稚園に復帰した時の話。

幼稚園への通園に復帰した僕。

もちろん、そんな病院生活が続いたので…
おそらくだけれど
甘えたのくせに、王様だったと思う。

狭い友人関係で過ごしていた。

人見知りだ。

ただ、子供社会では
そんなこと通用しない。

当時の年齢からして、
みんな自分が一番な時期だ。

誰も悪くない。

そんな中、一目置かれる存在が
クラスにはいた。

”ゆみちゃん”だ。

ゆみちゃんは耳が聞こえなかった。

もちろん仮名だ。

ゆみちゃんの性格は明るかった。

当時の僕は、
ほかの友達と同じように感じていた。

捉え方の違いが
起きてしまうかもしれないけれど

ゆみちゃんが僕に気を使うべきだと…
思っていた。

僕は、病気がちだったからだ。

おはようの時間も、
ゆみちゃんは困っていた。

歌の時間も、困っていた。

図書館に本を借りに行く時間も
ゆみちゃんは、明るいながら困っていた。

不思議と毎回、
僕の近くにいた”ゆみちゃん”

僕は、ゆみちゃんをサポートする任務に
いつのまにか任命されていた。

ただ僕は…

人見知りと、
自分が一番だと思っていたのとで

全くゆみちゃんを助けなかった。

サポートしなかった。

そして、園から帰る時間になった。
母親が僕を自転車で迎えに来た。

母親と先生が何かを、
真剣な顔をして話し合っていた。

帰りの二人乗りの自転車で、
母親の機嫌は
今までで一番悪かったと思う。

あまり会話もなかったかなー多分。。

家に着くなり、
僕はテレビの電源を入れ
いつも通りに、
バラエティーを見ようとしていた。

テレビの画面が、明るくなった。

そんな矢先、勢いよく母親が
リモコンを握って、ボタンを押した。

消音ボタンだ。

そして剣幕な表情で言った。

今までの僕に
接してきたことのないような
態度だったことを覚えている…

母親
「ゆみちゃんがいてる世界は、
 きっとこんな世界。

 なんで、あんたは
 サポートしてあげないの?」

僕は、急に音を切られたので
ビックリして
呆気に取られていた…

ただ、母親の言葉は妙だけど
幼いながらに
心に染みたことを覚えている。

きっと当時の僕は、
ゆみちゃんが困っていたことも
わかっていたんだと思う。

サポートしなかった自分に
後ろめたさも感じていたんだと思う。

でも、プライドと人見知り
狭い世界でしか
心を開けなかった僕には
ゆみちゃんのサポートは
試練であったのだろう。

言いわけにならないね。

でも、この当時に関わってくれた
すべての人に今は感謝している。

もちろん”ゆみちゃん”にも。

音のない世界は、本当に夜まで続いた。

自分の独り言ばかり聞いていたと思う。
僕は音のない世界との狭間にいた。

その日の母親は、
本当に人生で一番怖い顔をしていた。

中学生になり友達と喧嘩をして
謝りにいかなければ
ならなかったときの顔より、

大学を中退したときの顔より
真剣で怖い顔だったと思う。

次の日、何か自分が
変わらなきゃと思いながら
園に向かった。

でも…

相変わらず
全然サポートなんて出来なかった。

正直、小さな僕には
何をどうサポートすればいいかさえ
わからなかったからだ。

また母親に怒られるのは嫌だったけど、
1人モジモジしていたそう。

それに気が付いた、先生が
それとなーく
お絵かきの時間を設けてくれた。

隣には、ゆみちゃんがいた。

ゆみちゃんは絵が抜群に上手い。

僕はというと…
めちゃめちゃド下手である。

ドを10個つけても
足りないくらいに下手である。

先生もそれに気が付いていたのかな…

絵ってね。本当にすごいと思う。

お互い絵を見せ合って、笑いもしたし
褒めあったりもしたと思う。

当時の言葉なら多分…

「みてみてー」とか
「すごーい」とかね。

だから、
自然と気が付いたら仲良くなっていた。

ゆみちゃんは、
当時手話もそこそこ使えていたと思うし

まあまあ唇を読むことも
できていたと記憶している。

僕の知らない世界の反対側では
人一倍頑張っていた人がいたんだね。

だってまだ幼稚園なんだよ。

それからというもの、
怒られるかもしれないけれど

僕には、特にサポートした記憶はない。

全くない。笑

ごめんなさい。。。。

ただ、仲良くしていた。
ほんとそれだけ。。

いろんな考え方があると思うけれど
仲良くなれば、接し方ってかわるもんね。

帰りの時間になった。

母親と先生が今日も話していた。

話し終わると、
そばにいたゆみちゃんとバイバイした。

今度は、
ゆみちゃんのお母さんが先生と話していた。

僕と母の帰りの自転車は
会話であふれていて、
母親は嬉しそうだった。

帰り道に、いつもは1個のところ
2つもお菓子を買ってくれた。

晩御飯も好物だった。
母親もきっと嬉しかったんだね。

次の日、僕の母親は、
ゆみちゃんの
お母さんから手紙をもらったそう。

音のない世界を体験させて
僕のことを叱った母親の行動を
先生から聞いた、
ゆみちゃんのお母さんが
喜んでくれて書いてくれたそうだ。

そこには、何もできなかった
僕なのに、僕のことを
ほめてくれている内容もあった。

それから、卒園をした。

卒園後は、別々の小学校に進学した。

中学校になり再会し、
同じクラスにもなった。

思春期になり
別々のグループにいたし
話すことは、多くなかったけれど

勝手に、気にはかけていたつもり…

同じクラスになったことを
母親に報告すると喜んでいた。

懇談とかで、
ゆみちゃんのお母さんに
会うと楽しそうに
会話していたことも覚えている。

中学卒業の日の朝。

忘れもしない。

黒板一面にカラフルな
チョークで描かれた見事な絵があった。

ゆみちゃんの絵だ。

ゆみちゃんの絵は
数段パワーアップしていた。

男の子と女の子が
手を取り合って
進んでいく後ろ姿の絵であった。

感動した。

やっぱり、久しぶりで勇気がいったけど
ゆみちゃんに僕から話しかけた。


「絵めっちゃ上手になったね。すごいね」

って、本当は言うつもりだった。

でも、恥ずかしくてヘタレで
やっぱり言えなかった。

口から出てきた言葉は

卒業式当日に


「お母さん元気?」だった。

ゆみちゃん
「元気!元気!」

って返事してくれたけど。

30分後には
ゆみちゃんのお母さんに
直接会って、挨拶していた。

ほんま僕って…ヘタレやわ。笑


また次回。


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(๑╹ω╹๑ )