【自己紹介その②】カラダに異変。○○障害
・家の中から、玄関のカギを何回も閉まってるか確認しにいかないと気がすまない
誰か怖い人が入ってきて、みんな殺されちゃうかもしれないという思い込み。
・過剰に鼻の表面をさわる
・祖父母がいつか亡くなる日を想像すると涙が出るほど怖い
・世界が滅亡して死ぬという死への恐怖
この時は誰にも言えなかったし、誰にも話したことはありません。
し、この当時は辛いということすら気づいてなかったです。
そうです、これは強迫性障害という症状。
強迫性障害(OCD:Obsessive Compulsive Disorderの略)とは、自分の意思に反して、不合理な考えやイメージが頭に繰り返し浮かんできて、それを振り払おうと同じ行動を繰り返してしまう病気です。
両親の離婚は、自覚なしだけど、ココロに大きな穴をあけたのでした。
それから5年後、母は再婚。
これまた、
最悪の第2の転機。
育ての親の祖父母のもとを離れ、
母の再婚で東京→千葉へ転校。
母親らしいことをしばらくしたことのない母と急な親子生活。不安しかなかった。
転校もしたくない、義父も嫌い。
祖父母はこっちに残れとかばってくれましたが、結果的に中学生は親の言う通りにしろ!!
と、再婚相手の義父に強引に決められ、泣く泣くあきらめる。
第2の転機といいましたが、
ここがほんとに思春期世代で1番辛かった。
なんと、義父は
・DV男
・働かない
・謎に厳しい
6年もの間、男性という男性は穏やかな祖父しか周りにはいなかったので、義父のその荒々しさを受け入れられなかった。
私が反抗すると、母が暴力をふるわれるので、怖くて反抗も出来ず、ただただ言いなり。
妹は、グレました。w
正直早く別れてほしかった。
みんな幸せじゃなかった。
母は共依存におちいり、もうほぼ洗脳。。
この時、
人生で初めて、死んだら楽になるのかなーなんて、おもってました。
若さ故の安易な考えですし、今は亡くなった方が生きたかった今日を大切に一生懸命生きよう!!
と強く思えております。
こうして母の反面教師で、私の自立心がニョキニョキと芽生え、18歳で即一人暮らしたのは言うまでもありませんw
ようやく、母の目が覚めたのは、12年後w
離婚してバツ2。
その後また再婚して今は幸せに暮らしておりますw←まだ再婚するんかいwww
母には母の人生がありますからねw
こんな波乱万丈幼少期は最大のコンプレックスで、
転校先の中学では
笑顔の仮面を被るのが得意になる。
・いい子でいること
・人に嫌われたくない過剰な反応
・でも、深く人と関わりたくない。関われない。
いじめられはしないし、友達はいたけどいてもいなくても一緒みたいな、影薄な学生生活を送りました。
可もなく不可もなく。
ただ、自己肯定感が低すぎて、
・自分はブスだから一生カレシはできない
・こんな家の環境で、ありのまま愛してくれる人とは出会えない
なんて、思いながら生きてましたw
THEスーパーネガティブ!!
高校で、
今も親友の大切な友達と出逢え、恋愛もし、ようやく居場所が出来たようなそんな気がしてました!!
自立してからは、凄く生きやすくなった。
後に
高校でバイトしていたレストランで、後に社員となり、新人教育や店舗立ち上げ、接客セミナー講師として、活動させてもらい多くの経験をさせてもらうことになる。
波乱万丈幼少期コンプレックス
こんなに赤裸々に自分のことを話したことがないので、思い出すとまだココロの奥がギュゥっとなりますね。
普通に勝るものはありませんね。←しみじみ。
次回
【現在の仕事にたどり着くまでの道のり】
をお話します。
最後までお読み下さりありがとうございます。
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