【短編小説】 御堂での対話(プロローグ)
御堂。暗い。障子から漏れる光。
「和尚様、死んだあの子のことを忘れられません。私と夫のあいだには息子がひとりおり、おりますが本当ならその上に娘が、長女がいるはずでした。その娘は私の胎から出てきたときには、息をしていませんでした。その娘を葬ったとき、私はそれほどかわいそうと思わなかったのに、下の長男が育っていくのを見るうちに、あの娘のことを、一瞬たりとも忘れられないようになりました。まるであの娘が目の前に立っているみたいで、消えていこうとしないのです。胎から出てきたときにはもう骸になっていた彼女の体を包んだ白い布、私はそれを、たびたび広げては、眺めては、泣き暮れる有り様です。
夫は配車アプリのプログラマーをしています。在宅勤務ですし、家事も、息子の世話もしてくれます。私を気遣ってくれます。私は、このままではいけない、自分は変わらねばならないという一心でここに来ました」
「よくぞいらっしゃいました」
と和尚の声。その声は薄暗闇の向こうから聞こえるだけで、和尚の姿は見えない。
女は声のする方を指してその場に跪いた。じっと動かない眼で、和尚がいるであろう方を見ていた。その眼差しにはなにやら恍惚の色が浮かんでいた。
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