見出し画像

体験の価値

カルディのコーヒー豆のことを長らく信用していなかった。

コーヒー豆はいつも行きつけの豆問屋から買っているのだが、なかなかそこに足を運ぶきっかけをつかめずに、豆のストックがついえてしまいそうなときには、やむを得ず近所のカルディで豆を買っていた。

コーヒーのストックが切れるというのは僕にとって死活問題だ。コーヒーがないと、やる気になれない。もしくは、やる気が空まわりする。コーヒーは僕に平常心を授けてくれる。

コーヒーのほかにも、ストックが切れると死活問題になりかねないもの。

  • 豆乳(朝食。これ以外は食べ(飲ま)ない)

  • 納豆と鶏卵(昼食用)

  • ヨーグルト(間食用)

ほかにもある。サプリメントとか。細かくあげていったらキリがない。でも代表的なものはこの3つ。つまり、僕の食事は(外出していない限り)夕食以外は毎日同じということになる。だから夕食は食べたいものを食べたいだけ食べるようにしている。お酒も飲みたいだけ飲む。

で、カルディのコーヒー豆の件だけれど。なにを買っても可もなく不可もなく……と思っていたのだが、これは! というのがあった。信じられないくらいに美味しかった。僕は早々にその豆をつかい切って、再度それを購入したんだけど、それが大きな間違いだった。コーヒー豆は同じものを連続して買ったらいけない。いくら気に入っても、次はかならずほかのものに乗り換える必要がある。それはコーヒー豆だけに限ったことじゃない。香水も同じだ。それから読書も。

僕は香水になんてほとんど興味を持っていなかった。むしろ忌々しいものであるとさえ思っていた。多量の香水を振りかけて歩いている人とすれ違っただけで鼻がひん曲がりそうになる。同じエレベーターに乗りあわせてしまったときは窒息死しそうになる。レストランでとなりあわせになったときは、僕の料理の代金を支払ってほしいとさえ思う。要するに、僕は香水に対して悪いイメージを持っていた。しかし、僕は大きな間違いを犯していたのだ。僕が憎むべきなのは、香水自体ではなく、香水を多量使用する人類だったのだ。


香水を人にプレゼントする機会があり、そのときに僕はさまざまなにおいを嗅がせてもらった。鼻がひん曲がるかと思いきや、心身はリラックスしていた。

それから「においをまとう」であるとか、「においを着る」という概念も体得することができた。

体得というのは、体験によって物事を知るということ。頭だけで知るんじゃなくて、体で知り得るということ。物事を体得するのには時間がかかる。時としてそれは非合理的な印象を与えるのかもしれない。けれど、僕は今後「体得すること」の価値がよりいっそう高まっていくと予想している。


関連記事

❶ コーヒーと読書

❷ 奥深い珈琲へのいりぐち

❸ 体験とは (1)


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。